拡張のその先にある人類の未来 3
2からの続きです
僕は2で発展には限界点が存在すると書きました。サイボーグ化し、宇宙コロニーに住んだところで人の営みは大きくは変わらない。それなら人間の拡張にどんな意味があるのか。ならば「天空の城ラピュタ」よろしく「人は土から離れて生きられないのよ」と考え、科学の進歩を「バルス(破壊)」して本来の人間らしさを取り戻そうとする思想が出てくる。つまり行き過ぎた科学が人のあるべき姿を奪っているという考え方です。そうした思想の原初は「バベルの塔」にも描かれています。
科学の進歩が人をダメにするのではなくてそもそも人がダメなんだと僕は思うけれども、一方で科学の進歩に頼らず、人間が自然と共存する生き方を肯定します。時にそう行った場所では不要な技術があるということも肯定します。なぜなら科学の進歩は「幸せを追い求めていくこと」だからです。科学によらない幸せの追求があってもいいと僕は思っています。
僕がROCKETに入る前、日本科学未来館でプレゼンテーションをしました。その中で「世界は二極化していく。一方は科学を追求する世界、一方は自然と共存する世界。人間はその間を自由に行き来して、自分の居場所を自分で選択できる様になる」という自分の理想を伝えました。
どちらをより強く求めるのか。それは個人に委ねられています。
発展が限界点に直面した時、芸術は創造や、破壊を表現する様になります。夢見たものを実現しようとする一方で、いき過ぎたものを破壊しようとします。そのどちらもが今をよりよくしようという考えのもとに人間から生まれたものです。科学が二面性を持っているのではなく人が二面性を持っているのです。
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東京100人のディスカッション@日本科学未来館