困るのは誰?

IBのJapanese High Levelでは、有吉佐和子の「恍惚の人」やヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を始め、多数の作品を読み、内容についてエッセイを書いたりプレゼンをしたりしてきました。

先日、JapaneseのIOC (Individual Oral Commentary・口述試験)に先立って事前試験がありました。IOCでは小説と詩集それぞれの口述試験が各10分あります。小説は夏目漱石の「坊ちゃん」、小田実の「なんでも見てやろう」、詩集は高村光太郎の「智恵子抄」から出題されることが決まりました。小説は先生からの質疑応答、詩集は、当日指定された詩についてコメンタリーを行います。指定されてから何を話すのかを考える時間が20分与えられます。その間にメモを取っても構いません。

口述試験ということもあり事前の打ち合わせなくテストに挑みましたが、この手書きのメモに思いがけなく躓いてしまいました。ある程度準備ができていたにも関わらず、メモを取ろうとしたことで却って考えがまとまらなくなってしまったのです。本試験では学校からパソコンを借り、メモを取ることを、試験後すぐにお願いしました。すると担当者レベルで本試験での使用がその場で認められました。

本試験当日は、パソコンを利用することによって試験会場が変更になるかどうかで戸惑い、日本語のキーボード設定をその場で行う時間を要し、そもそもパソコンの不具合があり、アクシデント続きでメモをとる時間は半減してしまったのですが、それでもなお手書きのメモとは比較にならないほど思考をまとめることができました。この配慮があったからこそ僕は実力を発揮できたと思います。

さて、僕は4月にヤンゴンのインターナショナルスクールで編入試験を受けました。もちろん僕はコーディネーターとの話し合いの中でLDや配慮のことを話しました。彼らは僕の英語レベルや、教科が変わり、より困難な科目になることを心配しましたが、僕の障害に関しては気にも留めていませんでした。「今の学校のサポートを引き継げばいいのね。オッケーこの話はおしまい。」というふうに、それは何の問題にもなりませんでした。むしろスポーツをやっているかとか、興味はどこにあるとか、行きたい大学などについて積極的に聞かれました。

"with special needs"と言われた時に、自分が感じるのは「特定の配慮を必要としている(人)」ということです。一方で、日本語で「特別支援学級」や「特別配慮申請」と聞くとどうしても「特別な負担をかける必要のある(人)」という意味を感じます。日本にいた時は僕は「先生に特別な負担をかけている」と感じました。だから僕も小さな配慮であっても、受けている以上、真面目にやらなければいけないと必死なっていました。必死になっていましたが、それは結局高校進学にも繋げることも後輩の配慮に繋げることもできませんでした。日本の社会は、配慮を疎ましいものと思っているのではないでしょうか。

今、僕はすごく言葉を選んで書いています。だからすごく文章が長くなっています。でも本当はこの問題はもっと簡単なことなんです。PCを使いたい。使えば?PCを使った子が成績が大きく上がりすぎた?全員使えばいいんじゃない。PCが使えない子が出てきた?手書きでもいいんじゃない。それで本当は済む話なんです。困るのは誰ですか?

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