【いつメロ No.4】人生とは映画のようなもの
「まだ火曜日か…」
こうして、曜日を追うようになったのは社会人になった頃からかな。カレンダーの青と赤の曜日が来ることをひたすら望む日々。いつもと同じ道を通って同じドアを開ける日々。
そんな黒の日々に少しでも反撃しようと、通勤中は音楽を聴いている。好きなアーティストは特にいないから、シャッフルで聴いている。流行りの曲は私には合わないようだ。
黒の日である今日も、私と音楽しかいない空間に閉じこもって反撃をしている。1曲聴き終えたその時、次の曲である曲との再会を果たした。
最初の出会いは、公園だった。
会社からの帰り道にベンチに寄っていた時、ギターを弾いている女子大学生が隣のベンチにいた。その子が透き通るような声で憂うような目で「今日は何もなかった 特別なことは何も」と歌いだしたのを聴いた時は、思わずその子のほうを向いてしまった。柔らかなイントロとは裏腹に、歌詞は虚無を感じさせられたことに驚きを隠せなかった。
この曲は「死」や「残された時間」といったテーマになっているようで、そんな大層なテーマは自分には合わないと思い、全て聴くことなく帰り道に戻った。
けど、こうしてシャッフルで再会を果たした。あの時の衝撃を思い出したのか、スキップもせずメロディと歌詞を聞き入り、この歌詞では身体に電気が走った。
「ある時は悲しみが 多くのものを奪い去っても
次のシーンを笑って迎えるための演出だって思えばいい」
その電気は私の脳内の思考回路に刺激を与え、思考そのものを変えてしまった。
そうだ。月曜から金曜の黒の日々は、休日を笑って過ごすための演出と思えばいい。そして、今の仕事の日々は、後のいつかに笑っているための演出と思えばいいんだ。
その考えに至ってからの私は、どこか前までの自分とは違ったように感じる。表面上の活気がみなぎり、社内でも「以前よりも元気になった気がしますけど、何かありました?」と聞かれるほどになった。そして、心の中では、演出家のごとく「私の人生」という一本のドキュメンタリーの構想を練り続けていた。いつか先の人生でも笑っているように、今この時をどんな演出としようか、そしてこの演出を迎えたいならどう導こうか。そんなことを常に考えている。おかげで、カレンダーの曜日の色も気にならなくなった。
今の私なら、たとえ世界がパンデミックに脅かされて、行動を制限されても、やりたいことが出来なくなっても、「次のシーン」を笑って迎えられるように演出を作ることが出来る気だってしている。
そんな今日も私と音楽しかいない空間で、誰の目にも触れないドキュメンタリーを今日も独り作り続けている。
Mr.Children/Documentary film