女に生まれて得したと思うこと
女に生まれて得したのかもしれない。
男に奢って貰えるからとか、旦那の金で遊べるからとかではない。私の性格、見た目が女に生まれて得してたタイプだったのだ。
引っ込み思案で人の後ろに隠れがちな子供だった。体も弱くて気も弱い。
女の子だから前に出られなくても、弁が立たなくてもギリ許されていた。これが男子なら、おとなしい子はいじりの対象になり、女子にもモテず底辺の扱いを受けていただろう。
「モテ」に関していうと、おとなしい、弱いという性質は男性にとってはマイナスに働くが、女性にはそこまでマイナスにならない。ここは性別の不均衡が起きている。
殴られたこともないし、きつく叱られることもあまりなかった。先生に殴られてる男子を見て、冷や汗をかくと同時に男じゃなくて良かったと胸を撫で下ろしていた。
攻撃されたくないので、真面目に努力してる感じを出すことに注力した。真面目に努力している人をパワーで制圧しようとすることは倫理的にできない。
私のような気が弱そうに見える女は、いじめたらバツが悪い雰囲気を出すという戦略がある。それ以外に生き残る術がなかったのだ。
弱者が弱肉強食の世界で生きる時、自分を守る方法が必要になる。身一つで出て行って様々な攻撃を受けた時、勝てないのは明白なのだから危険に対して敏感にならざるを得ない。
心理だったり、逃げ足だったり、処世術を身につけていく。
女に生まれるより男に生まれた方が得してたタイプというのもいる。見えない天井をものともせずかき分けながら登っていく強さがある人だ。それは能力もあって、対等に渡りあえるからだ。
そうやって頑張ってる女が、弱者ぶってる女にイライラするのもわかる。自分は傷だらけなのに、傷つかないように生きてるのずるいって思うんだろうなと思う。でも考えてほしい。ウサギとライオンがいたとして、同じ戦法で戦うとどうなるだろうか?ウサギはどう頑張ってもライオンに力で勝てない。ウサギなりの生存戦略があるのだ。
「女はいいよな」という男は、たぶん私みたいな性質の男が言ってるんだろうと思う。上昇志向持ちたくない、仕事したくない。生活が大事。女に生まれてたらもっと自分らしく生きられたのに。その気持ちもよくわかる。小型犬とライオンを同じ肉食獣だからといって同じ競技で戦わせるのは無理がある。
こういう男は社会で評価されない。私と同じタイプの父が仕事嫌いなのも納得だ。私は女だから、男の脅威にならないから、かろうじて許されていると思う。でもちょっと気を抜くと一瞬で食い殺される恐怖の中で生きている。
実際はこの性質の女というのは女社会の中でも見下され、男からも対等に扱ってもらえない。果たして本当に得なのだろうか?
凪のお暇の凪ちゃんがその代表例だろう。
凪も、女性像としては得するタイプだ。だから慎二と付き合えたけど、それだけ。「女らしくていいよね」とは言われるかもしれないが、嫉妬も込めて「大島さんみたいに絶対なりたくないわ」と言われてしまう。慎二と付き合ったことは羨ましがられることかもしれないけど、それは決して幸せにつながる道ではなかった。
唯一のカードであるモラハラ彼氏を切り、得する自己像を脱ぎ捨て、自分らしさを探している。
得しているなら、なんで逃げる必要があったのか?
それはやっぱり得に見えているものが、「幸せ」ではないからではないだろうか。
ちなみに、弱者を守ってくれるものは男ではなく法と倫理だと思う。
暴力に勝てるものはペンくらいなのだから。
自分が弱者であるなら、法と倫理を全力で守ろう。