全てが過程であるという気楽さを大事にしたい
なぜ人は嫌な思いをするのだろう
緊張してストレスを溜めるのだろう
成功しなければいけないという深い罠にはまるのだろう
私は、今年60歳になる。昔でいう還暦である。
そんな私は、そろそろ人生を締め括らねばならないという、常識的なことを考えはじめた。
それは100%つまらないことなのだと知りながらも、しめくくることが大人の対応のように感じたのである。死は、平等にやってくる。体調不調というような予感を思わせながらくる場合もあれば、事故のように全く不意打ちでやってくる場合もある。私の先輩も60代で亡くなる人もいる。
人生は成し遂げなければならないと考えると、難しい。何も成し遂げないままに死ぬことが大半だと思うからだ。全ては、途中で投げ出すことになる。ただできることは、責任という重い荷物を少しづつ平等に与え、配り、たまたまそれを持った人が、嫌がらないようにしていくことだと思う。
一つの方法は、相手に決めさせるということだと思う。
少なくとも、決めた本人は責任を意外と心地よいと感じるように。大事にできるように、用意周到に配慮して手渡すことだと思う。
ある日、私が亡くなった後でも、あいつが死んでも大して困らない。本当に困る人などいない、という状況さえつくればそれでいいのだ。ふと、そんなことを感じている。
欲張りな私はもっと、自分の人生に集中したい。人の事どころではない。ただそれだけな気もするのだが。