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たまごかけごはん | エガタマのいぶくろ

 

 「あなたが死ぬ時。最期の食事に何を食べる?」
 

 いつだったか、唐突に尋ねられた事がある。霜降り牛?名店の寿司?贅を極めたフレンチ?いやいや、一庶民でしかない私である。しばし考えた挙句の答えはこうだった。

「炊き立てのお米で作る、卵かけご飯」。


 東京の下町、濃ゆい醤油味に囲まれ育った私にとって、昨今流行りの、小洒落た卵専用醤油などいらない。ごく普通の卓上醤油を、気が済むまでたらして……卵は、大きく新鮮なものであれば十分。ウコッケイだか滑稽だかよくわからない鳥の有精卵でなくても構わないのだ。白身が残るくらいにサクッと混ぜ、すっかり醤油色になったそれを、愛すべきホカホカご飯にえいや!とかける。願わくば、熱々の味噌汁と漬物も……。うっとりとそんなことを言って質問者の失笑をかったことは、付け加えておく。


 あの時の私は、なぜ「卵かけご飯」と答えたのだろう。つらつら思い返すと、一つの光景が脳裏に蘇った。離乳食を喜ばず、ベビーせんべいばかり食べる赤ん坊だった息子が、初めて夢中になった食事が「卵ふかしご飯、ほうれん草入り」だったのである。レシピは至ってシンプル、醤油なしの卵かけご飯に刻み菜を混ぜ、レンジでチンして出来上がり。お匙ですくう親の手を握りしめ、離さない孫の食欲っぷりを見た私の母は

 「ああ思い出した。あなた(筆者のこと)も赤ちゃんの頃、このご飯しか食べなかった。血は争えない」と呆れたように笑った。

 まあるく、もろく、それ一つが命そのものである食材に生かされた、私と息子である。どうやら私は、死ぬ直前にも別の命ひとつの殻を割り、中身を食して絶命するつもりらしい。生きるとは、食べるとは、なんと業が深いことであろうか。
 業が深いついでに、今からでも息子に頼みたい事がある。「その」時が訪れたら……私が産み落とした君が、掬ってくれたひと匙に、おいしいと笑って息絶えたいのだ。

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