「天」才に期待しない
こんにちは、かとしょーです!
「天」才に期待しない、区切りは「天才」では?と疑問に思うかもしれませんが「天」才で合っています。
「天才」にすると、そうした一部のスゴイ人のことを表しているように読めますが、
今回の対象は私も含めた全ての人になります。
まずは、この記事を書こうと思ったキッカケから…
私は1年以上非常時用の簡易な発電器具を自作できないか身近な人と研究しています。
先日、研究のМTG後に「特殊能力が欲しい」という話題が出された中で出た結論がキッカケになります。
その結論とは…
「誰もが特殊能力を持っている、或いは後天的に獲得できる。
但し、生まれつきの特殊能力については自分の欲しいものとは違ったり気づかなかったりするので期待してはいけない」
というものでした。
そもそも特殊能力とは…?という話もありますが、例えば数キロ先の景色が見えるは現代人にとっては特殊能力です。
他にも眠らなくていい体質、異常なものを消化できる、聞こえる音の範囲が広いなど多様な特徴から、F1レーサーの動体視力などの鍛えられて異次元になったものまで一纏めにしています。
先に挙げたものや、それ以外でも、生まれつきの要素がゼロのものは残念ながらありません。努力で身に付くものでもある程度は才能の違いが影響します。
なのに対象が全ての人で、「天」才に期待しないとは中々に残酷だと思うかもしれません。
ですが…「天」才とは何かを考えてみてください。
「天」才とは文字通り天(他所)から(自分の意志に関係なく)与えられた才能のことです。
つまりは誰もが持っているであろうけれど、それが何かは分からないし、望むものである可能性は更に不明、という期待するだけ無駄な代物です。
しかもそんな「天」才を褒められても嬉しくもなんともありません。
何故なら、「天才だね」という褒め言葉を使うとき、多くの人は「自分と違うことの免罪符」として努力や結果を出すまでの過程を見ていないからです。
だからこそ、「天」から与えられた才能に期待するのではなく、
自分がやりたいことや自分のなりたい像に向かって愚直に努力をすることが大事になります。
勿論向いているものや得意なものを探すことは大事なことですが、それを逃げ道にしてはいけません。
寧ろ、才などなくても道を切り拓けることこそが「人間」に共通する才能です!
だからこそ「天」才に過剰な期待をすることなく今ある手札を最大限に活かして前に進み続けることが、望む結果を得て幸福になるために必要となるでしょう!