産後うつ中に退職を決断をして5年が経ちました
ふと感情にアンテナが立った勢いで書いています。
うまくまとまるかは分りませんが何となくで感じ取ってもらえれば幸いです。
注)産後うつの診断はされていません。(だったらそんな吊タイトルつけるなと思われそうですが...) 振り返るとあの時が産後うつだったという考えです。
これを書こうと思ったのがワーママはるさんのVoicyで触れられていた質問箱の内容でした。
この質問者さんが他人事に見えず、ふと自分がどうだったかと振り返ってみたくなりました。
大学時代から憧れていたワーキングマザー
私は大学時代からワーキングマザーに憧れていました。
大学1年生から進路室へ行っては「女性の活躍」「働きながら子育て」といった類の冊子を読んでは、ビル街でスーツ姿の女性がベビーカーを押している姿に憧れを抱いていました。
ちょうどその頃に周産期医療センターの受け入れ不足や子育てに関する新聞記事が多く新聞を切り取っては集め、住んでいる県の子育てし易いところは調べては就職もかねてインターンシップへ行き実際に子育てし易い場所を模索してきました。
しかし、大学4年の就職活動で就職先が決まず「ビル街でスーツ姿の女性がベビーカーを押している姿」は儚く散り、新聞記事を集めていたころから気になっていた別の職の道へ進むために専門学校へ通うことになりました。
就職し、結婚・妊娠・出産をしたものの・・・
専門学校時代が過ぎ働き始め、ご縁があり結婚・妊娠・出産を経験することができました。
もちろん、ワーキングマザーとして復職を希望していました。
保育園入園激戦区だった場所もあり妊娠中に保育園見学へ行き市役所に行っては保育園情報を得ていました。
役所の方からは「1歳では兄弟枠のある子しか入れないので0歳入園で出してください。0歳で入れなくても途中入園は枠がないのでできません」と出産前に言われたのが未だに覚えています。
いざ出産し、生活が激変。
2日で計2時間しか睡眠がとれない(10分のコマ睡眠を足して2時間)、母乳が出すぎて胸が痛い(受診したら投薬が必要かもと言われましたが何とか落ち着きました。ちなみに私はミルクで育ちました。)産褥期に家事をしていたこと身体は回復しないところが、睡眠不足・貧血・全身筋肉痛、骨盤痛のなかで1~2時間おきでくる泣き声とおむつ交換と授乳。
1日を時計軸で見ることができず、「〇時間寝れた」「〇時間前に授乳したから起きるのが〇時間後かな」と時間刻み(時には分刻み)で回復する前に動き出す生活を毎日繰り返していくと身も心もボロボロになります。
毎日怒っては泣いて、身体は痛いのによくなる気配はないく毎日イライラしていました。
汚い話ですが、歯磨きさえもできない日が何日もありました。
自分の身支度ができないほどでした。
そんな中で保育園の願書を書かなければと義務感のように必死に書きましたが、4月入園になれば初めてのハイハイを見る事も初めての歩くところも見る事が出来ないのかもしれないと泣きながら書いていたのを覚えています。
たまたま実家に帰って保育園入園手続きを出したことを言った晩、母親から電話で「0歳で保育園に入れるなんて可哀そうってお父さんが言ってたよ」との一言。
私は、可哀そうって何?と反発をしながらも0歳で保育園に入れるのは可哀そうなんだと謎のマインドがかかり罪悪感でいっぱいでした。
入園通知の結果
そんな中、入園通知が届きました。
結果
入園決定 (ただし希望したところではない園)
入園できたけど、心から喜ばしい気持ちではなかったです。
激戦区なので入れるだけマシだと思われるかもしれませんが、見学会以外の日でたまたま見えた光景が私には受け入れられなかった(敢えて言いません)ので正直預けるのに悩みました。
育休も1年経ってないしもう少し考えたいと思いながらも、
途中入園ができない
1歳では入れない
育休延長も不可(当時は1年間の育休の制度です)
0歳での入園は可哀そうと思われている事への罪悪感
が頭の中を毎日ぐるぐる駆け回る中での休みのない育児。
何も考えられないのに考えないといけない頭の中で次第に
・もう少し探したいから4月で入園しない→途中入園できない→退職
・1歳枠で入園出来なかった場合→退職
どのような選択をしても退職の選択肢しかないような思考になっていました。
そこで夫に「一緒に考えよう」という淡い返事を期待しつつ、働きたいけど退職の道しか出てこないことを伝えると
「仕事辞める考えがあるなら育休とる資格ないよ」
確かに、育児休業は復職を前提として休みが制度としてあるので復職できないなら制度を利用できない、夫の言い分は正論だと思います。
しかし、私にはドヤ顔で言う夫に何も言い換えす言葉がなく思考停止しました。
産後、マズローの基本的欲求を満たされず世話をしないと死んでしまう赤子をみていて思考がかなり極端に偏った私は、最終入園申し込みまでの1か月泣いていない時が無いくらい毎日泣いて育休中に退職を決断しました。
退職後に痛感されたこと
退職ってあっさりと終わっちゃうのですね。
最終的には誰にも挨拶できず去ることになりました。
辞めたすぐは生活がなにも変わってないので実感がわきませんが、市の書類を通して痛感しました。
市に提出する書類があると思います。
そこには子を育てている大人の個人情報を書く欄がありました。
必ずといってあるのは、職業欄。
確認すると主婦は職業ではないそうです。
私は、仕事を辞めたので無職と書かざる得ませんでした。
学生でもない、会社員でもない、自営業でもない、無職だと。
職業を〇で囲むタイプもありますが、主婦っていう欄がないのが意外と多いです。
そこで私は、何者でもないのだと気づかされました。
と同時に、外に出れば周りの大人からは「お母さん」しか呼ばれず、私という存在が薄くなりだしました。
テレビで知った同期の活躍
お風呂上りにたまたまつけたテレビに専門時代の同期と先輩が映っていました。
何年も現場を経験して将来像を語る同期。
その映像を体育座りでただ見るキャリアの短い無職の私。
さらに何にもないと気づかされました。
仕事をしないってことは収入がない
しばらくたって気づきました。
当たり前ですが仕事してないと定期的に収入がないのです。
これまでお互いの収入で賄っていたので、相手から貰うことに違和感でした。
当時、私の方が収入が多かったのにお金をもらわないと生活できません。
最初はプライドからこれまでの収入から出していたこともありますが、そんなのすぐに底が付きます。
夫は覚えていないと思いますが、私が泣きながら「お金ください」と言ったこともありました。
注)夫は言った分だけはくれます。私だって稼げるのにという葛藤で貰い辛かったのです。
夫の稼ぎで生活することが長くなると、自分の稼いだお金ではないから私自身のために使うのが気が引ける思考になりました。
美容院は年に1回、服は何年も買っていないのは当たり前です。
基礎化粧は生活費が余ったら購入(半年に1回買えるくらい)
唯一、図書館で本が借りれるので興味のある本や絵本は借りていました。
お出かけなど家族での楽しみにはお金をかけていましたが、私だけにお金をかけることへの思考はかなり変わったと思います。
そして、その生活が長いとそれが当たり前の思考になっていくのです。
何をするのにも許可が必要になり、自己決定権が狭まりできなくなってくるのです。
小さい子を持つ親は大人と話がしたのです
言葉を話さない年齢を育てている間、無性に大人と会話がしたかったのを覚えています。
朝早く出勤しその日の内に帰れない夫とは会話が少なくなるので、支援センターや買い物などに行かない限り1日誰とも話さなかったなんて日がたくさん出てきます。
人って話さないと話せなくなるんです。
人と話さないと自分の存在意義を見失いがちになります。
復職への思いと心理的圧力
それから次男が生まれ保育園入園申請を試みましたが、なかなかうまくはいきません。
申請を出すにあたって、夫からの
「今、働くの?」
「長男が小学生になってからパートをやれば良いじゃん」
「昔、俺が小学生で帰ってくるときに誰もいなかったとき寂しかったのを覚えている」
などの話が多くなりました。
夫は専業主婦の母親のもとで育ったので、無意識のうちに自分の価値観が言葉に出てきたのだと思います。
結局は保育園に落ちてしまったので、落ちたと同時にこの話はだんだん減ってきましたが、たまに復職の話をすると
「〇〇だったら近いからいい」
「〇〇の職業だったらいい」
など謎の指定が入って空気が悪くなります。
私には職業選択の自由がないのか、未だに平行線です。
偶然の出会い
Voicyをきっかけでワーママはるさんを知るようになりました。
はるさんって、私の気持ちを代弁してくれるんです。(スピリチュアルではないですよ)
形にならないモヤモヤとした感情を言語化してくれるのです。
繰り返して何度も聞きました。
私だけにわかる字でノートに書いたり、何度も泣きながら聞いたり…
中学時代にハマったHUNTER×HUNTERのラジオをカセットテープで録音して何度も巻き戻してはノートに文字おこしを毎日していた頃のようにのめり込んでいきました。
そして、共通言語があったと思って頂きはろこみにも参加ができるようになりました。
はろこみに参加して最初はみなさんの経歴を勝手に比較しては勝手に落ち込んでいた時もありますが、可能な限り参加していくと大切な場所へと変わっていきました。
はるさんのVoicyやはろこみを通して、専業主婦だからと理由づけて辞めていたものを取り入れ、自分専用のPCがないのでiPadを購入しワードプレスを作成と自分でやってみたいと思うことを少しずつ形にして行けていると実感できるようになりました。
産後うつの中退職して5年が経ちました
産後うつに調べると以下のものがありました。
・極度の悲しみ
・頻繁に泣く
・気分の変動
・易怒性および怒り
あまり一般的でない症状には以下のものがあります。
・極度の疲労感
・睡眠障害(過眠または不眠)
・頭痛および全身の痛み
・性行為やほかの活動への興味の喪失
・不安発作またはパニック発作
・食欲減退または過食
・日常生活を送ることが困難になる
・子どもに対する関心の喪失または不合理な心配
・無力感または絶望感
・こういった感情をもっていることへの罪悪感
・子どもを傷つけることに対するおそれ
・自殺念慮
MSDマニュアル 家庭版 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/
振り返ると、発作と子供に関する関心の喪失以外は全てありました。
特に子どもと2人きりになった時に1番下の項目が多かったと記憶してます。
私は、この状態の時に退職の決断をしたのです。
嫌な上司に合わなくて済むと考えたら良かったと思う側面もありますが、復職がこんなにも大変であり収入がないと家庭内のバランスがこんなにも変わる側面を見たら後悔もあります。
大学時代に憧れていたビル街でスーツ姿の女性がベビーカーを押している姿にはもうなれませんが、はるさんのVoicyやはろこみの方々の前向きな姿勢にワーキングマザーは憧れでは終わらせたくないので、次男の幼稚園入園を機会に模索しこうと思います。
まとめ
ここまで読んでいただきありがとうございました。
まとまらずダラダラ書いていたので、読むのが大変だったと思います。
私が言いたかったのは
①重大な決断はうつの中してはダメ
②専業主婦になった私の場合の心境
③はるさん、はろこみの皆さんありがとう
④今回の質問者さん、いつかお会いできる時を楽しみにしてます
です。
補足
①専業主婦がダメとかではないです。
あくまでもワーキングマザーに憧れた専業主婦の個人的心境です。
②はろこみの勧誘ではないです。
はろこみに参加している個人の感想です。気になる方は、はるさんの発信に触れていくと自ずとわかると思います。
私個人からはろこみへの参加方法を伝える事はありません。
③文章に書いてある夫が全てではありません。
文章を見ると嫌な人に見えますが、あくまでも一部です。
夫は1か月育休を取り、長男と次男の新生児時期を共に過ごした戦友です。
仕事以外で時間があれば、洗い物も子供たちのお風呂もたたみ物もご飯作りもアイロンがけも子どもとの遊びもやります。
④写真が小さく見づらいです。
勉強中であるPCで全て編集してみました。写真の圧縮がうまくいかず見づらいと思います。新聞の内容は読売新聞の周産期医療センターの記事です。
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