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お前の寿命を削ってやろう。

物々しいタイトルで申し訳ないのですが、これは私がオンラインゲームで負けそうになった時に吐く独り言です。さながら魔王ですね。対戦で負けそうになった際、あまりにも悔しいとそういって、意味もなく時間稼ぎをしたりします。ゲームプレイヤーとして褒められたものではないことは言わずもがな、ですが。

生きとし生けるものはすべからく、死にます。
つまるところ、「制限時間」までのタイマーが全員にはあります。事故などで突然それが0になってしまうこともありますが。

そうすると、私たちが何気なくゲームをやっている時間も実は、寿命を少しだけ削っているということになります。当たり前のことですが。
しかし、私のごとき若輩の人間ですら、数秒というわずかな時間に思いが注がれるという経験があります。

甘酸っぱいところでいえば、好きな人との時間。
一秒でもいいから長くこの人といたいなんて、思った経験が誰しもあるんではないでしょうか。
ちょっと重たいかもっていうところでいえば、死や病気に直面するとき。
一秒でもいいから長く生きたいとか、一秒でもいいから楽になってほしいとか。どうでもいいですけど、こういうときってみんな「三十分」とか「一時間」じゃなくて1分1秒っていうすごく短い単位でお願い事するんですよね。誰に対して控えめなんだ。え?僕だけ?

いずれにせよ、私がめっちゃ長い事時間稼ぎをすることで、誰かの「寿命」は確実に削られているわけです。で、私はそれを愉しんでいる。性格最悪ですね。
でも、もっと引いてみると、ゲームに限らず娯楽を提供する側の人達っていうのはいわば「人々の寿命」を吸って生きているわけです。それだけ多くの人の時間を奪ってるわけですから。SNSなんてその典型です。

でも、さっきの例えに戻りますけど、もし寿命を削って好きな人と長く一緒にいることができるなら、ためらいなくそうする人はいるはずです。つまり人生って(?)、どれだけ納得のいく寿命の削り方をするかっていうものなんじゃないかなとか最近思ったんですよね。

どういうことかというと、ウマ娘の育成は寿命を削る価値があるってことです。
タマちゃん大事に育成します。

このnoteは、殆どの人に読まれませんから、寿命を削るなんてそんな暗黒な意図はありませんね。読みたくて来る人が読む。私の文章で2分くらい寿命削れたと思いますけど、面白かったでしょ?

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