やっぱり言いたいことは秦さん大好き②〜Paint Like a Child〜

流石に書きます。Paint Like a Childの感想。(遅い遅い)もう聴き込みに聴き込んだおかげで私の中に浸透してきているのでいっぱい語れます。(ほんとは1ヶ月前くらいに書きたかった)

サビが「ずっと自由だったよ」「もっと自由になれるよ」「ずっと自由なんだよ」というふうに言葉が変わっていく所。過去が自由だったことを思い出して、今、その自由を取り戻したいと願ったあとで、ふと気付く。昔も今も、何も自由度は変わっていない。自分が、今を自由だと感じていないだけ。だから、もっと自由にやればいい。というメッセージだ。
私自身、成長するにつれてやりたいことに少しブレーキがかかってきている気がして、だけどそれが勿体無いと感じていたから、秦さんがこんなふうに歌ってくれて、ブレーキをかけているのは自分で、誰も私を止めることなんてできない、やりたいことをやりたいようにやればいい、ということを強く思った。幸い、私の自由はまだ減速しているだけで完全には止まっていない、と思う。だからこれから減速をかけそうになる自分に、私はずっと自由だよ言い聞かせるための曲を頂いた。本当に幸せなことだと思う。

だけど、この曲は子供の頃のような自由を求める一方で、大人になることの良さも土台にあるのではないかと感じる。
「くすむ青をいつ受け入れたんだろう」
この歌詞の意味を考えたときに、私はこの曲をより高い次元で好きになった。子供のときは単純な色しか好まない。好まないというより、認識をしていない。青か水色か緑。ちょっと成長して紺色かエメラルドグリーン。くすんだ青は汚い色。色のうちには入っているとは考えない。でも、知らない間にそういう色がオシャレだと思うようになる。原色じゃなくてシックな色のスカートを履く。
「昔はこんな色嫌いじゃなかったっけ?」そう気付いたとき、子供の頃の自由を求めていれば、くすむ青を好む自分は縛られていることの象徴のように思えるかもしれない。だけど、くすんだ青を色の一種として好むようになった自分は、成長していて、世界をより緻密に見ることができるようになっている。そういう、大人の良さもきっとどこかにある。

だから、この歌は前を向かせてくれる。子供の頃は自由だった。だから子供に戻りたい。そうではなくて、成長した大人として、子供のような自由な部分も持ち合わせていられるように足掻きたい。そう歌う曲だ。そのことを秦さん自身が何より願って歌っているからこそ、私はそれに励まされ、子供としての自由も失くさないように抱きしめておこうと意を新たにすることができる。

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