サイコーのサイテー野郎たち -ニューヨーク単独ライブ2024『そろそろ、』感想
まえがき
もう梅雨はなくなったのか?と思うくらい、今年の初夏はほぼ毎日、太陽の光と澄みわたる青い空が天上をおおっていた。国民みんながお願いごとをする七夕の日であり、ニューヨーク単独ライブ2024『そろそろ、』の東京公演日でもある7月7日のお昼もまた、気持ちのいい快晴だった。
ニューヨークは近年、単独ライブをおこなうたびにアパレルブランドとコラボをする。今年はニューヨークファン待望の『HOLY SHIT』との、念願のコラボグッズ展開がついに実現した。ファンの熱い願いがかなったとあり、SNS等のニューヨークのファンコミュニティでは、自分の知るかぎり例年以上に公演前から盛りあがっているように見えた。
そんな空気感のなか、単独ライブの7日昼公演の会場に向かった。
さすがはニューヨークであり、会場通路の横側にはメディア、番組、著名人からのお祝いのフラワーがずらりと並ぶ。それらを眺めつつ、くぐるように進むと、ニューヨークのオンラインサロン会員専用の受付があった。この受付場所にはいわゆるガラガラ抽選があり、当たりの玉が出るとライブ後にニューヨークのおふたりと雑談しながら写真撮影ができるという、なんとも豪華な特典サービスがある。
しかも、受付に立っている方は、ニューヨークチャンネルの作家を担当されている、お笑い界の“過激な仕掛け人”奥田さんではないか!!
「自分もプロレス大好きです!」「奥田劇場最高です!」「禁煙つづいてますか!?」 ーガラガラをまわす列に並んでいるあいだ、さまざまな言葉が頭に浮かんできたが、結局ひとつも言えなかった。ただ一言「ありがとうございます…」とだけ残し、マネージャーの小賀さん大活躍の、ライブイメージボードがたち並ぶフォトスポットもほぼ素通りして、自分の座席へと静かに歩いていった。
…なぜなら、オンラインサロン特典に当たってしまったからだ。自分も当ててやるぞ!と去年の他の方の当選報告を見ながらめらめらと湧いていた願いごとがとうとうかなってしまったからだ。昼食を食べずに来ていたので少しおなかもすいていたが、そんな興奮と緊張の板挟みでいつのまにか食欲も消えうせていた。
途中、歩を止めて撮影場所を事前に見ておこうとスタッフの方に訊いてみた。スタッフさんは貫禄のある初老の男性に話をつないでくれて、その男性直々に案内していただいた。その男性はライブ制作会社代表の片山さんだった。
そんなこんながあったのち、いざ自分の席にすわると気持ちががらっと変わった。これからニューヨークの濃密なネタの世界にいざなわれていくのかと、期待感がふつふつと胸を満たしていった。
漫才感想
ライブ1本目のネタは漫才の『男』。ニューヨークの過去の大傑作『女』を思わせる、鏡合わせのようなネタ。“女イジり”のトップランナーがいきなり自虐的な男イジり漫才を客席にぶちかましてくる特大変化球の衝撃。タイトルの「そろそろ」ってそういうことか!?と、まんまとふたりの妖術に呑みこまれていく。今年のニューヨークは“敵”も“味方”もない。そんな区別はもはや関係がないのだ。
漫才の2本目は『あっちゃん』。おなじみ中田敦彦氏を題材にしたもの。以前にもあっちゃんのYouTube大学ネタを組み入れた漫才があったが、今回は丸々一本“中田敦彦”。「オリラジがまったく売れていなかった世界線」「中田敦彦がYouTubeすらもやっていない世界線」で、それでもあっちゃんは変わらない日々にほんの小さな幸せを見つけ、家族と仲むつまじく暮らしている様子をえがいたネタ。
いまのあっちゃんをネタにしようと思ったら、それこそ「YouTube」とか「提言」とかがまず思い浮かびそうだが、そうではなく、あっちゃんの“暮らしぶり”をキャッチしてくるニューヨークのアンテナの独創的な秀逸さ。
たしかにあっちゃんはプログレス(=進化)な本業に日々忙しく励んでいるイメージとは別に、プライベートでは異国の地でも家族との時間を大切にして、ゆっくりと“豊か”に過ごしているというのは本人の口からも聞く。ニューヨークは「さまぁ〜ずさんに憧れるよな!」とよくラジオで言っている。おじさんになっても真っ黒に日焼けして、仕事もプライベートも豊かに充実させているスタンスが良いのだとか。
従来のワークライフバランス芸人とは少し違うのかもしれないが、そんな中田敦彦の“東京芸人流”のやり方に、もともと“東京憧れ”芸人であり、いまのプログレスしたニューヨークも、心のどこかではやはり「あっちゃんかっこいい!」と本当に思っていたのではないか。漫才終了後の暗転中にふとそんな想像が頭の中にふくらんできた。
3本目は『テーマソング』。お茶の間で人気のテレビ番組やこの単独ライブのテーマソングを練マザファッカーのD.Oがつくりあげていくという不適切な漫才。ネタ中のツッコミ曰く「男にしか伝わらん!」ネタでもあり(実際は『リンカーン』で一気に知れ渡ったイメージなので、あまり男女差はなさそうだが)、ニューヨークの得意技「有名人漫才」ネタでもある。ちょうど、前2本を統合したような印象だった。
とくに格別のそろそろパンチラインだと感じたのが、いわゆるフィメールラッパーに対する「男でこういうの好きなやつおらんから!女でも好きなやつおらんから!」というツッコミ。
男/女のはざまに存在する壁を徹底してすき好んでお笑いにしてきたニューヨークがとうとう見つけてしまった、そのはざまの壁を破壊できる男女結束のシンボル。『そろそろ、』というタイトルにふさわしい、ニューヨークらしい軸はそのままにひとつステージを上げたネタだった。
コント感想
コント1本目は『メンズアイドル』。といってもアイドル自体ではなく、メンズアイドルのまわりによくいる、マネージャーなのかなんなのかよくわからないお付き(?)の女性をフィーチャーしたネタ。この時点で着眼点がやばい。まず頭に浮かんできたのが、つねにSMAPに付いてきたあの女性だ(もちろん、あのお方が今回のネタのような女性なのかはわからない。というか、絶対ちがうだろう)。
ネタの雰囲気や構成はどことなく、これまた過去の大傑作コント『女上司』を想わせる。しかし、女上司はドラマや映画に出てくるようないかにもなフィクションで、カリカチュアとしての女性像だ。
だが、いまのニューヨークは実際に有名男性アイドルと仕事をしている。そこにこのコントのリアルさと怖さがある。あきらかに“ネタ”の部分と、なんだか妙に“リアル”な部分があった。
最後はニューヨークお得意のおバカ落ちで、コント全体を「こんなのありえないだろ!」の印象だけ残してさらっと洗いながすのだが、だからこそなんとも言えない生々しさが観賞後にじわじわとまとわりついてきた。
2本目は『ヤンキー親子』。ニューヨークの永遠のテーゼと言える、“都会/田舎”の対比と“ヤンキー”の生き様。蛙の子ならぬ「ヤンキーの子はヤンキー」、そしてそのヤンキーが育まれていく土壌
が主題。今までのニューヨークならヤンキーお父さんの独白がオチになっていたかもしれない。しかし今回は『そろそろ、』。暗転を挟んでのヤンキー息子の独白で終わる。
その展開こそがまさにこのコントを“問題作”たらしめる要因となった。他の方の感想を拝読しても『ヤンキー親子』の反響がとくに多いように感じた。
“ヤンキーの家庭”を笑って切り捨てるのは簡単かもしれない。実際、ヤンキー父の語りの部分でも会場は大爆発しており、じゅうぶんコントとして成立していた。
だが、現実問題として“ヤンキーの子ども”はまだまだ世間にはたくさんいるのだ。ただ外部から眺めるだけではなく、そういった子の内心にまで想いをめぐらせてみるのもいい。ずっと親を尊敬して感謝している子もいれば、そんな親が嫌だったと思ってる子もいるかもしれない。
作中の息子は、とくに極端に肯定もしなければ否定もしていない。ただ間違いなく自分の体に流れている親父の血をなんとなく感じながら今日も生きている。
それがどうなるかはわからない。最期までそれなりに感謝しながら生きるのか、後悔してしまうのか。そのどちらであっても良いも悪いもない。あの絶妙な終わり方だったからこそ、自分たち観客の内心にまであのヤンキー親子の人生そのものがどんどん入り込んで大反響になったのだと思う。今までのネタとはあきらかに違う境地だった。
3本目は『神社』。いかにもビートたけしや松本人志に憧れてる系世代の芸人志望と、いまどきのお笑いオタク系の芸人志望が、神社の境内でとにかくおバカをやるネタ。ニューヨークはよく“偏見”や“毒”と言われるが、本人たちがどんなネタよりも楽しそうにやり、ファンも大好きなタイプのコント。
本当にニューヨークがただやりたいことをやるだけのおバカコントで、今回のライブで純粋にいちばん笑ったのはこれだ。感想は「笑える」の一言でもいいくらい。
ただ、この芸人志望の2人を松ちゃん信者系と、いかにも今っぽい学生お笑いとかもかじってそうなオタク系に分類したところに、ニューヨークの立ち位置がどこかある種のお笑い界におけるポストモダン性を帯びているように思える。「ニューヨークからは“芸人”はそう見えて、そう表現するのか」という興味深さがある。
コント4本目にして、このライブ自体のラストネタが『しごできサラリーマン』。仕事自体はバリバリこなせる一流サラリーマンなのに、ひょんなことからギャンブル狂の大借金背負いになってしまった上司と、そんな事実を急に知らされ驚愕する、その部下との会話コント。すこし旬は過ぎたが、中々にタイムリーなネタだと思った。
当然、観客は部下に感情移入しながら、まるで自分たちとはまったく違う人種の上司の異様な言動を笑い飛ばしていく。しかし、上司の巧みな言動により、最後の最後で部下はギャンブル中毒者がつねに求めているという“脳汁”がとうとう大量分泌で発射され、叫び声をあげてしまう。そこでネタは終わり、舞台上のスクリーンにエンドロールが流れだす。
…それまで、“まとも”だった部下と自分を同一視してコントを楽しんでいた客が、急に“どこか”へとぽーんと投げとばされてしまうのだ。混乱、混沌、真っ暗闇で際限があるのかすらわからない、どこか。
「神がこの宇宙を創った」とするのがキリスト教だとするならば、「人の心の中にこそ宇宙がある」とするのが仏教と言えるかもしれない。
そんな、いままで自分たちとはまったく別の、完全に外にいたはずの観察対象そのものの“奴ら”の、その未知で広大な心の宇宙にぐるぐるとなげ出される。
自分たちとは相慣れなさそうな奴らを斬るだけではなく、一歩その内部に踏み込む。この“一歩”こそが、ニューヨークの「そろそろ」なのではないだろうか。
総評 - あとがき
アメリカのプロレスコミュニティには「Holy shit!」という用語がある。ニュアンスとしては「最高にクールなバカ野郎」というような言葉だ(褒め言葉として歓声に使われる)。
ニューヨークのネタには本当にキツい奴、イタい奴、イヤな奴がたくさん出てくるが、不思議とネタが終わった頃には愛おしく見えてくる。しかも今回の『そろそろ、』は、ニューヨーク側が世の中の“獲物”たちに涎だけではなく、深い“愛情”をも溢れさせながら接触しに行っているのがわかる。
さっこん流行りの「多様性の時代なので、みんな認めます!」みたいな無責任で無意義な、冷たくつき放したものではなく、「お前らみたいなサイテーな奴らがおるから、この世はサイコーにおもろいんや!」というニューヨーク流の博愛主義。
そんな愛すべき人間たちの日常をこれでもかと切り取って舞台上に再現した今回のニューヨーク単独にこそ、心から「Holy shit!」と愛をささげたい。
ところで、今年の夏はめちゃくちゃだった。天候がまったく安定せず、空模様が数時間おきに次々と変わっていく。はては台風まで襲来してきた。
ニューヨーク単独ライブの東京凱旋公演は8月15日と16日に行われた。自分が行った15日はすこし小雨がぱらぱらと降る程度だったが、翌日は台風の大荒れで交通機関もストップの危機。最終日なのにどうなってしまうんだとみんな心配になった(結果的には無事開催され、有終の美を飾っていた)。
晴れかと思えばゲリラ豪雨、雨かと思えば急にやんで猛暑、台風到来で交通麻痺におびえる。とらえどころがなく、天に支配され吸い込まれてしまいそうな、そんな夏の日のニューヨーク単独シーズンだった。
おまけ -「オンサロ特典」を当てるコツ
まえがきにも書いたように、ニューヨーク単独ライブではオンラインサロン限定の記念撮影抽選がある。サロン開設以前からニューヨークライブではさまざまな特典抽選をやっていたらしい。
去年の7月に、ニューヨークチャンネルでは過去のライブ特典をまとめて話す動画を出した。「実家に呼ぶ」「いっしょに遊園地に行く」など、いまでは考えられないようなファンサービスをやっていたようだ。
そのなかでひとつ、とんでもなく目を引かれ、当時当選したファンの方が心底うらやましくなった特典があった。
それは「嶋佐さんにプロレス技をかけてもらう」というもの。さっそく自分はその動画を新着として紹介しているニューヨークチャンネル公式Xの投稿に、引用で「プロレス技特典またやってほしい。当時のファンの方うらやましい」というような内容をポストした。
その動画が先か、オンサロの撮影特典の発表が先かは、もはやおぼえていないが、「プロレス技をかけてもらってるところを撮影してもらえばいいじゃん!」ということに気づく。その日からずっと、ただ漠然と「ニューヨークと撮影したい」「ニューヨークとおしゃべりしたい」ではなく、具体的に「嶋佐さんにプロレス技をかけてもらう」イメージトレーニングをするようになった。
また当時、ニューヨークは文化放送で『マジックミラーナイト』という深夜ラジオをやっていた。その放送のなかで屋敷さんは、「街中で“マジミラ聴いてます!”って声かけられたこと一回もない」「この番組聴いてる奴らってどんなやつらなんやろ。遠くから眺めたいわ」という主旨の発言をたびたびされていた。これもまた、漠然とニューヨークとの雑談を望むのではなく、「マジミラ聴いてます!」と具体的に発言内容を想定し、屋敷さんに話しかけるイメトレも同時に行うようになった。
去年の撮影特典は外れた。これはしかたない。
しかし、“具体的に”脳内イメージをよりリアルにおもい描くようになった結果、「プロレス技特典復活してほしい」とポストした去年の7月からちょうど丸一年の、今年7月の公演で見事に抽選に当たったのだ。そして実際に嶋佐さんからプロレス技をかけていただいた。
こういうのはオカルトとかの世界では、「引き寄せの法則」などと言うらしい。もちろんオカルトなので(科学的な)根拠はなにもないし、こういう趣味や遊びの範疇にとどめておくべきものだとも思う。
しかし当たりまえの話だが、“抽選”というシステムはおよそ人為のおよぶところではない(だからこそ抽選なのだ)。
だとしたらもう努力のやり方としては、神頼み、徳を積む、オカルト行法など、人智の外にある方法しかないのではないか。
なにより、これらの努力をしたところでなにも損はしないのだ。まったく意味も効果もなかったとしても、「ニューヨークとの撮影ポーズ」「ニューヨークとの会話」をリアルに想像したところで、財布や冷蔵庫の中身が減るわけではない。
でも、もし本当に効果があったとしたら??なのにやらなかったら??…もしかしたら、損をしていると言えるかもしれない。
スピリチュアル詐欺みたいな論法はさておき、これもまえがきに書いたが、ニューヨークグッズとHOLY SHITアパレルとのコラボは前々からファンの間でも熱望されていて、実際にSNSなどでもコラボ希望の意見を書いている方たちもいらっしゃった。そして今年それが実現することとなった。
もちろん叶うかどうかはともかく、こうやってなにか思っていることや願っていることを実際に明文化、可視化すること自体はとてもいいことだと思う。ふだんの生活にもハリや活力が出て、元気よく過ごせるようになるはず。
まだまだ酷暑がつづくなか、ひとりでも多くの方たちが心身健全に過ごされることを願って、この記事を締めさせていただく。