新感覚ストア・クリエイタートークセッション「ぶっこめ!!ネクストカルチャー」レポート part.1
アトリエe.f.t.の手掛ける体験型アートイベント「新感覚ストア2021」が、3月13日〜21日の8日間にわたって開催されました。アート展示だけでなく、ライブやワークショップなど様々な催し物が展開され、大盛況となった本イベント。その中で、「アトリエe.f.t.」代表であり、教育者、デザイナー、芸術家など、様々な顔を持つ、吉田田タカシと、奈良県東吉野村にあるコワーキング施設「オフィスキャンプ」の代表を務めるデザイナーの坂本大祐氏とのクリエイタートークセッション「ぶっこめ!!ネクストカルチャー」が行われました。時代を敏感に察知しながら創作を続けてきた両者は、これからのカルチャーについてどのように考えているのか。大いに盛り上がったこのトークセッションを、全3回に分けてレポートします。
吉田田:坂本さんはデザイン界のトップランナーですけど、すごく気さくでめちゃくちゃ優しい。出会って数年経つけど、この人は信頼できる人やなと思ってて。こんな人なかなかいない。普段、坂本さんと改めて話をする機会があまりなかったので、聞きたいことがいっぱいあって。
まず、坂本さんが活動している東吉野は、清流が流れる自然豊な人口の少ないところにあって、デザイナーなんていなさそうな村なのに、デザイン業をやったりコワーキングスペースを運営されていますよね。それがすごいなと。今となってはコワーキングスペースはみんなの知るところになったし、デザイナーが地方に住むというパターンも増えてきたと思うんですけど、坂本さんはとても早かったですよね?東吉野に移住されたのは何年でしたっけ?
坂本:2006年ですね。
吉田田:普通ならデザイン業やコワーキングスペースって、情報が集まる大阪や東京でやるものだと思ってたところが、「いち抜けた!」って感じで地方に移住されたわけですが、都心部ではなく地方から発信していこうと思ったのはどういう考えからだったんですか?
坂本:それねー、めっちゃかっこいいこと言えたらいいんですけど全然そんな事なくて。もともとフリーランスになったのが30歳前後くらいだったんですね。それまでは2社くらいインハウスでデザイン周りのことをやってたんですけど、会社を辞めてフリーランスとして働きだして、しばらくしてから体を壊したんですよ。
フリーランスって稼いだお金の中で給料を捻出していくので、「仕事=食いぶち」なわけです。なので食べれなくなる不安感がすごくあるんですね。給料って一応会社辞めない限り必ず毎月入ってくるじゃないですか。でもそうじゃないので、とにかく仕事がない状態になることが不安だから、仕事も取って取って取りまくってました。でもそうなるとやってやってやりまくらないとダメで。それをグルグル回していくうちに、そのステージから降りれなくなってしまって・・・。お金が入ってきてもストレスですぐ使いまくるし、でもそれがおかしいと思ってなかったんです。周りもそんなやつ結構いてましたし。
そんなある日、朝起きたら目が開かなかったんですよ。おかしいなと思って、とりあえず顔洗いに行ったら目がパンパンに腫れ上がってて、それが2日たっても引かなかったんです。
病院に行ったらすぐ入院してくれって言われました。腎臓を壊してたみたいなんですね。すごい不規則な生活をしてたからなのか理由はわからないですけど、結局1ヶ月くらい入院していました。退院してからもそんなペースで仕事はできないからゆっくりやってくれと主治医に言われて、そのタイミングでたまたまうちの両親が大阪から東吉野村に移ったんですよ。
(坂本氏がメインで活動されている奈良県東吉野村 ※イベント当日の坂本氏の資料より引用)
吉田田:お父さんが芸術家なんですよね?
坂本:そうそう、実はうちの父親が画家でして、東吉野にずいぶん前にアトリエを建ててたんですね。そこに両親二人が既に大阪から移住してたんですよ。なので「退院したら東吉野に戻ってこい」と言われて、結局両親のところに戻る事になりました。正直地方でやる気は全くなくて、都市でバリバリ稼いで都会的な生活がしたかったんです。それこそ当時オープンカー乗ってたんで。
吉田田:オープンカー乗ってたんですか!?
坂本:もうイケイケですよ(笑)。どんな仕事してても一緒だと思うんですけど、やることは一緒でも仕事を重ねるうちに受注金額がどんどん上がっていくんですよね。付き合う人たちを変えると受注金額って上がるんですよ。その金額に見合った生活をしようとして、どんどんそういう身なりになっていきました。
吉田田:僕もそんなことをよぎった時があってね、高級車乗ってるとワークショップの単価とか上がるんですよ。それで1回高級車乗ろうかなって考えたんですけど、「いやいや軽でいい、軽でいい!」って(笑)。
坂本:もともとは俺もそんな感じなんですよ。でも病気で強制的にそのステージから降ろされて、人口1700人くらいの東吉野村に移住したわけですけど、当時は都落ちのような気持ちで最悪でした。半年〜1年くらいそんな感じでしたね
吉田田:僕、その頃フリーペーパーとかでオフィスキャンプが始まったこと知ってるんですよ。
坂本:そうなんですね!2006年に移住して、オフィスキャンプをやり出したのは2015年なんです。
吉田田:その間はどうしてたんですか?
坂本:それこそなめくじみたいな生活してましたよ(笑)。
引きこもってDVDめっちゃ観るみたいな。
吉田田:じゃあ自然の中に身を置いて、「自然っていいな」みたいなのはなかったんですか?
坂本:正直なかったです。振り返ってみたら働き出してから約10年くらい働くことしかやってなかったなと思って。別に見たいもの見るとか、聞きたいもの聞くとか、そんなの一切なかった。
ずっと仕事仕事でやってたから、デザインというよくわからない仕事でちょっとでも名前売れたろうという向上心はすごいあリました。そのためにずっと邁進してたんですけど、結果的にその夢は破れて、山奥に引っ込んだら周りから見られることもなくなったし、格好も気にしなくなりました。
東吉野に来てから何年間かで価値観が変化していって、どうやら僕は「暮らし」をしてなかったことに気づいたんですよ。要は仕事しかしてなかったんです。誰かとご飯食べるといっても大体クライアントとだったり、自分で何か作って食べるなんてほぼしてないし。
吉田田:本当は暮らすために仕事してるはずなんですけど、仕事するために仕事してるみたいになるんですよね。
坂本:それがおかしいと思ってなかったんです。
(オフィスキャンプの室内 ※オフィスキャンプ公式HPより引用)
吉田田:オフィスキャンプを開こうと思ったのはどういう経緯なんですか?
坂本:もともと大阪や京都の仕事をやらせてもらってたんですけど、病気になってたのはみんなわかってたので、当時の仲良かったクライアントさんから「最近どうしてんのー?」ってちょこちょこご連絡いただくようになって。そうやって定期的に連絡をくれたり、会いに来てくれる人がいる中で面白がってくれるクライアントさんもいてて、その人たちとぼちぼち仕事を始めたんです。その辺りから「この環境でも仕事できるな」というのがわかってきて。当時は実家暮らしなんでお金もそこまでいらないですし、仕事の量がそんなにたくさんなくても自分が必要なものを買えるぐらいにはお金もあったので、十分それでやれるなと思ってました。そんな時に奈良県庁の職員さんと出会うんですよ。そのことがまず大きなきっかけですね。その人がすごい特殊な方で、もともと笑福亭鶴瓶さんの付き人やってたっていう。
吉田田:それは特殊ですね(笑)。
坂本:その人は俺が住んでる奥大和って言われている、奈良県の南の方のエリアを全体的に振興するようなお仕事をされてたんですね。やっぱり南の方のエリアって広さの割に人が少ないから、奈良県から見ると負債に見えるんですよ。人口の1割ぐらいの人のためにインフラを整えるのも大変なので、ちょっとでもGDPをあげてほしいわけです。なのでそのエリアのGDPをあげることをしてた方です。ある時に雑誌の取材で来てくださった縁で繋がって、その人が「東吉野にこんな人がいてたなんて知らなかった!一緒に仕事しよう!」と言ってくれて、そこから奈良県の仕事を初めてやることになリました。それで奈良県からオファーを受けて、移住者が考える、移住や定住する上で必要なハードやソフトの企画ってないものかというお題をいただきまして、その時にシェアオフィスとかコワーキングのスペースはどうかなって言ってみたんです。
吉田田:じゃあやっぱり、「東吉野にコワーキングスペースがあったらいいな」というイメージは持ってたんですね。
坂本:たまたまですけどね。
吉田田:当時は流行ってなかったですよね。
坂本:全然!当時、大阪で一緒に働いてたフリーランスのデザイナーの子が、うちの村に住みたいって言ってくれてて。その子が0歳児がいる人で、家で働くのもいいんですけど、やっぱり0歳児がいてる家ってなかなか手強いじゃないですか、仕事をする上で。「外で働けるとこがあればいいんですけどね」って話になってて。俺も起きてパジャマのまま仕事してたりもしてたから、外に事務所みたいなものがあったら切り替えられていいなとは思ってたんですけど、それを自分のお金で作るほど欲しいとも思ってませんでした。でも曲がりなりにもこのような話もあったから、「オフィス作ってみましょうか」って話になったんです。それをどうにかこうにか上手いこと理由をつけて、県に提案してみたらそれおもしろいねってなったんです。
吉田田:そんなスタートだったとは(笑)僕達も何度かオフィスキャンプを使わせてもらいました。今年の頭にもアトリエe.f.t.のスタッフ10人くらいで行って、丸一日かけて、「e.f.t.これからどうしていくねん」という話をしました。坂本さんにも入ってもらって、僕らの理想の働き方や、将来のビジョンなどについて話したんですけど、そういう大事な話をする時って、いわゆる会議室じゃ無理やなって思うんです。というのも、もっと夢の話をしたり、アトリエe.f.t.がどんなふうになっていきたいのかということを素直に正直に話したかったんです。自然の中で話すと会議室で喋れないことが喋れるし、ビジネスじみた話をしなくてもいい。本音で喋ろうという空気がすでにあって、オフィスキャンプってすごい場所やなって思いました。
この間も、オフィスキャンプですごい素敵な話ができて。「僕らの目指していくところは、これまでのビジネスモデルにあてはまらないことをしようとしてるんやな」ってところに辿り着いたんです。とは言え、僕らの知ってる社会で数10年、もっと言ったら100年とか振り返ってみた時に、終戦直後は焼け野原で着るものもなくて、どうにか豊かな日本にしていこうとみんなで立ち上がり、アメリカに次ぐ第二位と言われるところまで経済成長を果たして、ある程度ビジネスが成功してきたわけじゃないですか。「やっとここまできたぞ」って改めて見渡してみたら、「あれ、みんなが望んだ幸せな世界はこれやったんかな?」みたいな。皆さんそんなこと感じてないですか?僕はすごく感じていて、この10年くらい、「うーん、うーん」ってずっと考えてました。僕は学生と関わる仕事やから10代や20代くらいの人たちと喋る機会が多いんですけど、大学生の話を聞いてると「社会に出たい」って思ってる人がほんとに少ないんです。全員じゃないですけどね。僕調べによると、8割の大学生は社会に出たくない。でも大人になったら社会に出ないといけないのに、出たくないと思ってるのは全部自分が悪いと学生たちは思ってる。「本当は社会に出てバリバリ働くのが正しい姿やのに、それができない自分が悪いんだ」と。僕は、「いやいや半分かそれ以上は社会が悪いよ」って思ってて。「大学生が出たくない社会を作ってる、僕ら大人ってどうなんやろ。ダサいなー」って思ってます。
第1回終わり
【登壇者】
坂本大祐・・・クリエイティブディレクター
人口1700人の奈良県東吉野村に2006年に移住。2015年 国、県、村との合同事業、シェアとコワーキングの施設「オフィスキャンプ東吉野」を企画。その後、建築デザインを行い、運営も受託。開業後、同施設で出会った利用者仲間と山村のデザインファーム「合同会社オフィスキャンプ」を設立。奈良県はもとより、日本全国のデザインや企画をひき受けている。また2018年、同じようなローカルエリアのコワーキング運営者と共に「一般社団法人ローカルコワークアソシエーション」を設立。全国のローカルでコワーキング施設の開業をサポートしている。
吉田田タカシ・・・教育者、芸術家、デザイナー、ミュージシャン、猟師
・「つくるを通していきるを学ぶ」アートスクール 【アトリエe.f.t. 】主宰。(4歳から大人まで約200名の生徒にワークショップを中心とした創造的な学習環境を提供。)
・放課後等デイサービス【bamboo】を手掛ける、「株式会社たのしいにいのちがけ」代表取締役。(発達障害と呼ばれる、こども達の型破りな才能を見出し伸ばすスクール。)
・スカバンド【DOBERMAN】ボーカル担当。(国内外問わず、様々なライブツアーやフジロックなどのフェスに出演。2020年にリリースした、木梨憲武との共作「ホネまでヨロシク」にて作詞を担当。)
・デザイン(紙ものやWEBデザインから住宅、店舗などの空間デザインまで。)
趣味は登山、薪割り、保存食、発酵、ジビエなど。
座右の銘は、「たのしいにいのちがけ」。
テキスト:新 タクヤ(ピクセルグラム/ブランディングデザイナー)
撮影:岩本真由子(フォトグラファー)
100人100通りの人生に取説は無い! 自分だけの地図を描くチカラを身につける。 「つくるを通して生きるを学ぶ」アトリエe.f.t.です。 応援ありがとうございます!!