「リミットをかけていたのは自分自身だった」 アトリエe.f.t.卒業生インタビュー♯3 吉見紫彩
卒業生インタビュー第3回は、2008年度卒業の吉見紫彩(よしみ しさ)さん!
神戸大学・大学院を卒業後、阪急電鉄株式会社 不動産事業本部で梅田のまちづくりに携わり、退職後はフリーランスとしてアートを中心とした周辺分野との関わりや、アート的観点から見たまちづくりビジョンの立案、イベント企画、執筆、講演会の登壇など、様々な活動を行っています。
また、同時期に画家活動を本格的に開始し、2019年10月にはニューヨークで初個展「Peaceful Sleep」を開催しました。
そんなパワフルに活動されている吉見さんに、アトリエe.f.t.で学んだことや、現在の自身の考え方などを語っていただきました!
【想像の範囲内のことしか起こらない高校生活】
ー アトリエe.f.t.入校前の高校時代はどんな学生生活でしたか?
吉見:私は中学と高校の一貫校に通っていたので、高校に進学しても周りのメンバーも環境もあまり代わり映えしませんでした。刺激的なこともほぼなく、自分の想像の範囲内のことしか起こらなくてとてもつまらなかった。
結果、高校1年生の後半からだんだん学校に行かなくなってしまいました。その後、2年生になった時に新しく赴任してきた担任の先生が、私が学校になかなか来ないことを心配して、過去の私の成績を中学時代まで調べあげたらしいんです。
ー それはとても熱心な先生ですね!
吉見:はい、今思うと申し訳なかったなと思ってます(笑)。先生が調べてくれた結果、どうやら吉見は美術が得意そうだから、美術で何かやりがいを見つけてあげることができれば学校に来るかもしれないと。そこで先生が美術部に入るよう勧めてくれ、入ってみたんですが、それでもやっぱり学校が楽しいと思えなくて・・・。
ー その美術部が合わなかったんですね。
吉見:当時は他に部員がいなくて(笑)。そのことを伝えると、せめて学校という場所の楽しさを見出してもらうために、今度は先生の伝で大学の美術部や写真部を探してきてくれて、私を見学に連れて行ってくれたんです。それでも結局どこもしっくりこなかったんですが、このことがきっかけで絵が描ける教室を自分でも探すようになり、見つけたところがアトリエe.f.t.でした。
ー アトリエe.f.t.はどんなところが気に入って入校したのでしょうか?
吉見:最初は無料体験に行ってみて様子を見ようと思っていたんですが、いざ体験してみると今まで見学に行ったところと全く違いました。画塾というと、美大受験のためにひたすらストイックに絵を描かせるところが多い印象ですが、e.f.t.はエリートを育てようとしているわけではなく、生徒の自主性を尊重し、表現の楽しさを教えてくれる場所ということがわかって、とても自分の肌感に合うなと感じました。
【大人になりたくないなと思っていたけど・・・】
ー アトリエe.f.t.は吉見さんにとって、どんな場所、どんな存在でしたか?
吉見:ホーム感があって落ち着ける場所でもあったし、一方でとても刺激的な場所でもありました。普通の塾や学校だと、年齢も近い人しかいないし、学力もある程度同じ人たちしか周りにいなくなると思うんです。
でもe.f.t.は学年も学校も年齢もバラバラの人たちと出会えるし、卒業したOG、OBや、吉田田さん(アトリエe.f.t.代表)の友人の大人達もe.f.t.にたまに来てくれるので、自分にはない考え方の人たちとたくさん話すことができて、それが毎回とても新鮮でした。
あと生徒のみんなの自己開示力が高い!
ー 自己開示力ですか?
吉見:みんな自分の言いたいことや悩みを自ら言ってくれるんです。それを許しあえる雰囲気みたいなものがe.f.t.全体にあって、みんなが話してくれるから、私も家や学校では話さないようないろんな話をすることができました。だからこそ落ち着ける場所でもあったし、自分たちの価値観を交換できる場所でもあったんだと思います。
ー それはとってもいい環境ですね!なぜみんな自己開示力が高かったのだと思いますか?
吉見:もともとe.f.t.がアートを通して自己表現を育む場ということもあると思いますし、あと吉田田さんはじめ、吉田田さんが紹介してくれる大人達の考え方や生徒への接し方も影響していたんじゃないかなと思います。高校生当時の私は大人が嫌いで、大人になることがとても嫌だったんですが、e.f.t.で出会う大人達はそれまで会ってきた大人達と全然違っていて、私の中の大人像が一変しました。
みんな自由に楽しそうに生きていて、大人としてこうしなくちゃいけないという固定概念がなかった。皆、私たちと対等な友人のように接してくれて、e.f.t.全体にもそういった空気ができていたということも、みんなが自己開示しやすかった要因だったのかなと思います。
大人になりたくないと思っていたけど、こういう大人ならいいかもしれない。自分が大人になっても恥ずかしくないと思えるような、信頼できる大人になろうと、そのとき強く思いました。
【やろうと思ったことは何だってできる】
ー 絵を描いたり、作品をつくる授業の中で印象に残ってることはありますか?
吉見:受験前の夏に、技術力や表現力を高めるために、3日間ほどいつもとは違うメニューで集中的に絵を描く夏期講習というものがあるんですが、その講習がとても印象に残っています。
普段の授業は生徒の自主性を尊重し、来る時間も帰る時間も割と自由にさせてくれていたんですが、夏期講習の時はとても厳しくて、「ちょっと遅れそう」と連絡をすると「だめ、すぐ来い」って(笑)。
それはもちろん入試を想定しているから厳しくしているんですが、自主性と自由を優先させることと、締めるところは締めないといけないことの両方が必要なことを学んだし、社会生活でもこの経験が活きています。e.f.t.では画力だけでない学びがたくさんありました。
ー 先生や生徒達と話をしたり、実際の授業を通して、アトリエe.f.t.に入る前と入った後で意識や考え方などの変化はありましたか?
吉見:入る前は「世界ってつまらないな」と思っていましたが、入ってからは「世界っておもしろ!」って思うようになりました(笑)。
マインドセットが変わったというか、ものの考え方とかやり方によってなんでもできるなって思うようになりました。学校が楽しくなかったのも、環境ではなく自分のせいだと気づきました。
ー その変化は大きいですね!具体的にはどのように変わったのでしょうか?
吉見:e.f.t.に入る前は、無意識にやりたくてもできないことはあると思って自分に制限をかけていましたが、そんなことはなくて、”やろうと思ったことは何だってできる”と思うようになりました。
ー そう思ったきっかけは何だったのでしょう?
吉見:吉田田さんが度々自身の経験談を話してくれたことが大きかったと思います。例えば、吉田田さんが学生の頃に開催した展覧会があるんですが、その展示用の作品づくりのためにピンポン玉を大量に集めないといけなかったそうで、普通にお店で購入しようとしたら費用も膨大にかかるし、当時はamazonなどの配送サービスも普及していなかったので、集めるだけで大変です。
そこで吉田田さんがとった行動は、ピンポン玉を製造している工場に直々に話に行くというものでした。結局その工場のおじさんと吉田田さんが仲良くなって、欲しい数のピンポン玉を集めてしまった上に、市場に出回っていない研究開発段階の素材まで使わせてもらえることになったんです。
入校した当初は、私が同じ境遇だったとしても予算が合わない時点で他のプランに変更するだろうし、製造工場に飛び込みに行く発想は全くなくて、仮に飛び込んだとしても普通は受け入れてくれないだろうと思っていました。でも勝手にリミットをかけていたのは予算でも環境でもなく自分自身で、実際は”やるかやらないか”だけ。自分次第で方法も仲間も見つかるんだなと。
当時の私はきっと「やろうと思ったことは何だってできる」なんて大人に言われても「なに精神論を強要しようとしてるんだ」と思っていたと思いますが、吉田田さんは押し付けや説教ではなく、自分の過去の経験や後ろ姿でそれを教えてくれました。
【e.f.t.で学んだことは、人生を生きやすくする力】
ー アトリエe.f.t.での学びは、仕事や私生活で活きていますか?
吉見:はい、とても活きています!例えば、私は前職の阪急電鉄でまちづくりのお仕事をしていたんですが、入社2年目の時に梅田のコンコースイルミネーションをリニューアルするという規模の大きな案件を担当させていただきました。
この案件は私が自らやりたいと手を挙げたんですが、当初の企画が実現不可能と思われるような局面が何度か訪れ、「まだ入社2年目でこの規模の案件を任せるのはどうなのか」「安全面は担保できるのか」など社内でも否定的な意見が聞こえてきました。
けど私は諦めず、上司や関係各所の力をお借りしながら、コンペの企画・選定から予算・スケジュール・施工現場管理など全て行いました。不安材料も相手が納得できるよう数値で説明して解消させ、どうにか実現まで持っていくことができました。
今でも当時のイルミネーションが心に残っていると言ってくださる方もいらっしゃるんです。
2015年 阪急百貨店前コンコースのクリスマスイルミネーション
※阪急電鉄公式Twitterより引用
ー それは嬉しいですね!それにしてもすごい行動力!
吉見:こう見えて、私はとても小心者なんです。私が色んな挑戦ができるのは、仕事仲間、友人、家族のお陰です。昨年ニューヨークで初めて個展と作品のオークション販売をしたのですが、そのときも課題や不安、緊張だらけで吉田田さんや友人に相談にのってもらっていました。
現地でも文化ギャップやミスコミュニケーションと戦うタフなものでしたが、e.f.t.での学びや友人の存在があったからこそ、私でも思い切った挑戦ができ、トラブルも乗り越えられたのだと感じています。e.f.t.の仲間とは今でも仲が良く、一緒に仕事をすることもあります。受験の時期だけでない一生ものの関係ができたのもe.f.t.ならではだと思います。
e.f.t.で学んだことは、”自分達を生きやすくする力”だったのだと、改めて思います。
世の中は自由と不自由で成り立っていると思っているんですが、自由を手にいれるというよりは、いかに不自由を減らしていくか。
自分の自由、不自由を見つける目と、それを解消する力がe.f.t.で身につきました。
ー 最後に吉見さんの将来の展望を聞かせてください。
吉見:人に語れるような夢や目標は特にないのですが、先述のとおり、昔の自分が今の自分を見たときに「こんな大人になるなら私の人生捨てたもんじゃないな」と思える生き方ができればと思っています。子供の頃は、社会人って労働する人というイメージでしたが、社会を作れるから社会人なんだと今は思っています。
高校生の時は自分が社会を作れるとは思ってもいませんでしたが、e.f.t.に入って、どうやら自分も社会を作る一員になれるかもしれないと思うようになり、社会を作る芸術はなにか、自分のベストな関わり方はなにかを考えた結果、感性科学の研究ができる大学やまちづくりのできる会社に進みました。独立後は、半年後に何をしているのかも予測困難な自分がいて、今はそれを楽しんでいます。きっと17歳当時の私も今の私をおもしろがってくれるはず。
インタビュー・テキスト:新 拓也(ピクセルグラム/ブランディングデザイナー)
撮影:岩本真由子(フォトグラファー)