入祭唱 "Omnia quae fecisti nobis" (グレゴリオ聖歌逐語訳シリーズ92)
GRADUALE ROMANUM (1974) / GRADUALE TRIPLEX pp. 342–343; GRADUALE NOVUM I pp. 332–333.
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【教会の典礼における使用機会】
【現行「通常形式」のローマ典礼 (1969年のアドヴェントから順次導入された) において】
1972年版Ordo Cantus Missae (GRADUALE ROMANUM [1974] / TRIPLEXはだいたいこれに従っている) では,四旬節第5週の木曜日と年間第26週 (A年の主日を除く) とに割り当てられている。
2002年版ミサ典書では,年間第26主日 (A年も含む) のみに割り当てられている。
【20世紀後半の大改革以前のローマ典礼 (現在も「特別形式」典礼として有効) において】
1962年版ミサ典書では,受難節第1週 (=四旬節第5週) の木曜日と聖霊降臨後第20主日とに割り当てられている。
AMSにまとめられている8~9世紀の諸聖歌書でもこれは同じだが,聖霊降臨後第20主日については,Rheinau (ライナウ) の聖歌書のみなぜか「第21主日」と記している (聖霊降臨後第17 [18] 主日以降全部が1つずれている。その前は数週ぶん欠落している)。
あと,「聖霊降臨後」の部分については聖歌書によって何とも書いていなかったり「聖霊降臨の八日間後」と書いていたりといったゆれがあり,特に後者については「聖霊降臨後」と「聖霊降臨の八日間後」とでは普通に考えたら1週間ずれるはずなので大問題のようにも思えるが,たぶんこれは,聖霊降臨の八日間が実際には7日間しかない (土曜日で終わる) ので結局同じことになる,ということではないかと思う。
【テキスト,全体訳,元テキストとの比較】
Omnia quae fecisti nobis, Domine, in vero iudicio fecisti, quia peccavimus tibi, et mandatis tuis non obedivimus: sed da gloriam nomini tuo, et fac nobiscum secundum multitudinem misericordiae tuae.
Ps. (GRADUALE ROMANUM) Beati immaculati in via: qui ambulant in lege Domini.
Ps. (Einsiedeln 121 / GRADUALE NOVUM) Magnus Dominus et laudabilis nimis: in civitate Dei nostri, in monte sancto eius.
【アンティフォナ】あなたがわれわれになさったすべてのことは,主よ,正しい裁きに基づいてなさったのでした。というのも,われわれはあなたに罪を犯し,御言いつけに聴き従わなかったのですから。しかし,御名を栄光あるものとしてください,あなたのあわれみが多大であることに相応しくわれわれを扱ってください。
【詩篇唱 (GRADUALE ROMANUM)】幸いである,道において非の打ちどころのない者たち,主の法に則って歩む者たちは。
【詩篇唱 (Einsiedeln 121 / GRADUALE NOVUM)】主は偉大であり,たいへん称讃すべき方である。われらの神の都で,彼の聖なる山で。
ごらんの通り,詩篇唱のテキストがGRADUALE ROMANUMとNOVUMとで異なっている。TRIPLEXはというと,これはROMANUMの楽譜の上下にネウマの写しを加えただけのものなので当然ROMANUMと同じテキストが活字で出ているのだが,手書きでEinsiedeln 121 (10世紀の聖歌書で,"E" と略される。GRADUALE TRIPLEXの四線譜の下側に書き写されているネウマの底本となっていることが多いもの) にある詩篇唱が記されている。NOVUMに (活字で) 載っている詩篇唱は,このEinsiedeln 121のものである。
AMSにまとめられている8~9世紀の諸聖歌書ではどうかというと,四旬節第5週の木曜日のほう (第71a欄) ではこの入祭唱を載せている5聖歌書すべてが "Magnus Dominus",聖霊降臨後第20 (21) 主日のほう (第195欄) では2聖歌書 (RheinauライナウとMont-Blandinモン=ブランダン) が "Beati inmaculati",別の2聖歌書 (CorbieコルビとSenlisサンリス) が "Magnus Dominus" としている (あと1つ,すなわちCompiègneコンピエーニュの聖歌書の当該部分は失われている)。
アンティフォナはダニエル書 (ギリシャ語聖書) 第3章第29–31節・第42–43節をもとにしている。この部分はヘブライ語/アラム語聖書 (の現存する写本) には書かれておらず,聖書協会共同訳聖書や新共同訳聖書 (いずれも「旧約聖書続編付き」版に限る) には「ダニエル書補遺 アザルヤの祈りと3人の若者の賛歌」第6–8節・第19–20節として載っている。
これらの節は今回の入祭唱アンティフォナにそのまま用いられているのではなく,どの節も一部だけが用いられている上,順序が変えられてもいる。詳しく比較することは今はしないが,とりあえずVulgataの当該部分をここに写しておく (入祭唱アンティフォナのもとになっているラテン語聖書テキストはVulgataとは限らない)。
[29] ÷ peccavimus enim et inique egimus
÷ recedentes a te et deliquimus in omnibus
[30] ÷ et praecepta tua non audivimus nec observavimus
÷ nec fecimus sicut praeceperas nobis ut bene nobis esset
[31] ÷ omnia ergo quae induxisti super nos
÷ et universa quae fecisti nobis vero iudicio fecisti
[…]
[42] ne confundas nos
÷ sed fac nobiscum iuxta mansuetudinem tuam
÷ et secundum multitudinem misericordiae tuae
[43] ÷ et erue nos in mirabilibus tuis
÷ et da gloriam nomini tuo Domine
このアンティフォナが全体としてどういう話かということを書いておくと,まず,「われわれ」というのは神の民イスラエルであり,「あなたがわれわれになさったすべてのこと」はバビロン捕囚とそれに伴う諸々の苦難を指す。そういうことが自分たちの身に起こったという現状について,確かに神に背くようなことをしたので当然の報いだと受け止めつつも,寛大な扱い (公正さではなくあわれみに基づく扱い) を,つまり懲らしめを止めるか和らげるかしてもらうことを願っている。単純につらいからでもあろうが,自分たちが神の民である以上,惨めな状況に置かれたままでいては神の評判にも関わるからでもある。それで,自分たちを救ってもらうことを願うにあたって「御名を栄光あるものとしてください」という言い方もしているのである。
"Beati immaculati" のほうの詩篇唱は第118篇 (ヘブライ語聖書では第119篇) であり,ここに掲げられているのはその第1節である。テキストはローマ詩篇書にもVulgata=ガリア詩篇書にもほぼ一致している (「ローマ詩篇書」「Vulgata=ガリア詩篇書」とは何であるかについてはこちら)。唯一の違いは "immaculati" が両詩篇書では "inmaculati" となっていることで,これは音便の問題にすぎない。
"Magnus Dominus" のほうの詩篇唱は第47篇 (ヘブライ語聖書では第48篇) であり,ここに掲げられているのはその第2節 (実質的に最初の節) である。テキストはローマ詩篇書にもVulgata=ガリア詩篇書にも一致している。
【対訳・逐語訳 (アンティフォナ)】
Omnia quae fecisti nobis, Domine, in vero iudicio fecisti,
あなたがわれわれになさったすべてのことは,主よ,あなたは正しい裁きに基づいてなさったのでした,
omnia すべてのものを,すべてのことを (名詞的に用いられている形容詞,中性・複数・対格)
quae (関係代名詞,中性・複数・対格) ……直前の "omnia" を受ける。
fecisti あなたがした (動詞facio, facereの直説法・能動態・完了時制・2人称・単数の形)
nobis 私たちに
Domine 主よ
in vero iudicio 真の裁きをもって;正しい裁きをもって,適切な裁きをもって (vero:真の,本当の,本物の,正しい,理に適った,iudicio:裁き [奪格])
fecisti あなたがした (動詞facio, facereの直説法・能動態・完了時制・2人称・単数の形)
quia peccavimus tibi,
というのも,われわれはあなたに罪を犯したのですから,
quia というのも~なのだ (英:接続詞for);~ということ (英:接続詞that) ……前者の意味については,普段は単に「なぜなら~から (英:because)」と訳しているが,今回はそれだと文脈に合わないのでこうした。
peccavimus 私たちが過ちを/罪を犯した (動詞pecco, peccareの直説法・能動態・完了時制・1人称・複数の形)
tibi あなたに
et mandatis tuis non obedivimus:
私たちはあなたの御言いつけに聴き従わなかったのですから。
et (英:and)
mandatis tuis あなたの命令に,あなたの委託に (mandatis:命令に,委託に,tuis:あなたの)
non obedivimus 私たちが耳を貸さなかった,私たちが服従しなかった (non:[否定詞],obedivimus:私たちが耳を貸した,私たちが服従した [動詞obedio, obedireの直説法・能動態・完了時制・1人称・複数の形]) …… "obedivimus" は "oboedivimus" とも綴る。
光明社版聖書に「御云付を聴かず」とあり,「命令」の意味でありつつ何となく「委託」のニュアンスをも感じさせる優れた訳のように感じたので真似した。
sed da gloriam nomini tuo,
しかし,御名を栄光あるものにしてください,
直訳:しかし,御名に栄光をお与えください,
sed しかし
da 与えてください (動詞do, dareの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
gloriam 栄光を
nomini tuo あなたの名に (nomini:名に,tuo:あなたの)
et fac nobiscum secundum multitudinem misericordiae tuae.
あなたのあわれみが多大であることに相応しくわれわれを扱ってください。
et (英:and)
fac 行なってください (動詞facio, facereの命令法・能動態・現在時制・2人称・単数の形)
nobiscum われわれに関して (nobis:われわれ,cum:[英:with]) ……ひとまず「関して」としたが,本当はこの "cum" は英語 "deal with" の "with" のようなものだと捉えるのがよいと思う。
secundum ~に応じて,~に従って (英:according to)
multitudinem misericordiae tuae あなたのあわれみの多大さ (multitudinem:多量 [対格],misericordiae:あわれみの,tuae:あなたの)
【対訳・逐語訳 (詩篇唱:GRADUALE ROMANUM)】
Beati immaculati in via:
幸いである,道において非の打ちどころのない者たちは。
beati 豊かである,祝福されている,幸いである (形容詞) ……冒頭の語だが,意味から考えて主語ではなく補語。
immaculati 汚れのない者たちが (名詞的に用いられている形容詞)
in via 道において (via:道 [奪格])
動詞がない。英語でいうbe動詞を補って考える。
qui ambulant in lege Domini.
[幸いである,] 主の法に則って歩む者たちは。
別訳:主の法に則って歩む [道において非の打ちどころのない者たちは]。
qui (関係代名詞,男性・複数・主格)
ambulant 歩む,歩く (動詞ambulo, ambulareの直説法・能動態・現在時制・3人称・複数の形)
in lege Domini 主の法に則って,主の法のうちに (lege:法 [奪格],Domini:主の)
これ全体が関係詞節であり,素直に考えれば前の "immaculati" にかかるものだということになるだろう (別訳) が,詩篇というものの構造上 (平行法),修飾しているというより言い換えていると捉えるのがよいのではないかと考えたのが第1の訳である。この場合,先行詞は "immaculati" ではなく,英語の "those who" でいう "those" のような漠然とした先行詞が隠れていると考えることになる。
【対訳・逐語訳 (詩篇唱:Einsiedeln 121 / GRADUALE NOVUM)】
Magnus Dominus et laudabilis nimis:
主は偉大であり,たいへん称讃すべき方である。
magnus 大きい,偉大である ……冒頭の語だが,主語ではなく補語。
Dominus 主が
et (英:and)
laudabilis 誉むべきである,たたえるべきである
nimis 非常に
ここにも動詞がなく,やはり英語でいうbe動詞を補って考える。
in civitate Dei nostri, in monte sancto eius.
われらの神の都で,彼の聖なる山で。
in ~で
civitate 町 (奪格)
Dei nostri 私たちの神の (Dei:神の,nostri:私たちの) ……直前の "civitate" にかかる。
in ~で
monte sancto 聖なる山 (monte:山 [奪格],sancto:聖なる)
eius 彼の …… "monte" にかかる。
「われらの神の都」は直訳すれば「都」でなく単に「町」だが,エルサレムのことを言っているため「都」と訳した。