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ビートメイカーを名乗るまでの話

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
田舎暮らしのくそビートメイカーです。
現在、自分はいわゆるUターン組(実家がある県内に移住)

10代の頃は田んぼと山の中が大っ嫌いな、都会に憧れる”カッペ”の権化でした。
そもそも当時はHIPHOPとかDJ、ラッパーに憧れる子供はほぼいない状態だったのもあり話ができる友達がい゛な゛い゛。
同級生みなさんは暴走族に憧れてたので話しが合うはずもなく..
高校卒業してすぐDJ修行や!って言い放ちTokyoへ..

はじまりはDJ
19か20?頃はDJバトルにも出ました。

なんやかんやあって千葉(歓楽街の側)に住みながら某小売店の店長をしていまして、ほぼ寝ないで酒を飲み週末はDJやらパーティー三昧、毎週渋谷に通ってた時期もありました。
当時はDJメインで活動していましたが、このまま続けても自分は大した奴にはなれないだろうなと..(集客が低かったのが最大の要因)
MPCも触っていましたがビートをラッパーに聞かせてもたいしたリアクションは得られない&先輩DJからは"センスが無い”と言われる始末。

一番最初に買ったのは、MPC1000

少しの手応え

それでもコツコツ空いた時間にビートを作っていくと、バンドをやっていた友達が遊びにきて「俺もMPC使ってるんだけどDASのビートちょっと聞かせてよ」と言いわれ、まぁどうせ良いリアクションなんか無いだろと思い聞かせると..
「え?サンプリングだけでここまで作れるの?やばいね!」っと
あら?意外と高評価..この言葉がきっかけで少し自信がつくんですね。

明るい未来が見えません!

それでも先輩DJ、先輩ラッパーにビートを聞かせても「う〜ん」みたいな反応で、"いやアドバイスくれよ!"
とにかく分析するしかねぇっと、当時のYOUTUBEはMPCといえば、
フィンガードラム一色だったので、目指してるのはこ゛れ゛し゛ゃ゛な゛い゛よ゛
2ch(現5ch?)の書き込みはほぼ便所の落書きとしょうもないビートが乱立していたので参考にならず..mixiのコミニティーも明らかに機材を使った事がない人がアドバイスしていたので”僕には、あ、明るい未来が見えません!”って叫びました。

テメーで考えろ

そこで何をやったかというと、HIPHOPプロデューサーが使っていたネタを見つけて、再現まではいかないんですけど自分のビートに落とし込みまくりました。
そうすると自分が足りない”チョップするのはここの部分””ネタをキレイに繋げるトリミング”とかが感覚でわかるようになっていくんですよね。
(あくまで自分の場合)
そしてラップがある前提でビートを組み立てると、展開が疎かになってラッパーに聞かせた時「こんなん俺でも作れるわ」って思われてたと考えたんです。
そもそもバンドマンの友達が自分のビートを褒めてくれたのは、pete rockばりに様々な上ネタを組み合わせとサウンドトラックばりの展開を作った謎のインストだったので、これをうまく引き算すればきっと様になると..

MPC買って6年目

最初のMPC1000を買ってから約6年くらいですかね、その頃には機材も
MPC2000xl,MPC2500,MPC5000(知り合いが譲ってくれた)が手元にありました。

自分が使って一番好きだったのはMPC2500
出音が00年代シリーズだと1番よかった気がします。

DJよりもビート作ってる方が楽しくなってまして、60分のMIXCD制作するより、ビートを組み立てる方が自分には合ってると(センスないくせに)
ちなみにこの頃はまだビートメイカーって自分では名乗れなかったです。
なぜって?
売れないラッパーやらシンガーのバックDJを務めてたのですが、自分のビートが採用されたことはありません。普通だったら心折れるだろ..

田舎にUターン

付き合ってる彼女にもフラレ、週6仕事しながらの音楽生活もいまいち..
そんな日々を過ごしてメンタル崩壊して田舎に帰ったと思いますよね?
全然そんな事ないです
酒の飲み過ぎと不摂生の生活で体調はよくなかったですが、
そもそも自分自身センスが無いってわかりきってのDJやらビートメイクの挑戦だったのでそんな簡単に折れないんですよ。
大きい音で制作したかっただけです。
今まで住んだ場所で騒音トラブルが度々あったので考えないとな思いまして、
防音のマンションを探したり、友達のシェアハウスに誘われましたが、30歳手前だったので嫌だなっと(シェアハウスの方が気を使ってメンタル削れそう)
そこで思ったのが”田舎には空き物件、空き家の家賃が安いはずだ”と思い、母親に連絡。返答は思ったより高かった..なんやねん!とあんなとこで..とブツブツ言っていると家の裏庭にスペースあるからプレハブ小屋でも改造したらいいんじゃないと..なるほど天才だな、地元に帰るかと..なったわけです。

Uターンからのビートメイカー

仕事を辞めるときパートさんが泣いた話は割愛して…
そこから制作できる環境が一気に変わるわけです、今までヘッドフォンをつけながら隣の住民を気にしながら音を出すというのが無くなり
ちゃんとモニタースピーカーで音を確認しながら作業できますし、何より集中できるんですよ。

田舎に移り住んで、しばらくした後..
都内のDJイベントに声をかけられまして、昔からお世話になってる先輩DJが主催だったのでもちろんふたつ返事で快諾。
作ったビートテープ配ったろと思い(折れない心、ブレイブハート)
そのイベント後日打ち上げがあったんですね、飲んでた時に二人の先輩が
DAS、ビートよかったよ。あんなの俺作れないよ」「ビート良いのあったよ、がんばって欲しい」て言われうれしい気持ちよりも、そりゃそうだろ何年かかったと思ってんだよって安堵感の方が強かったです。
でもやっとこれで堂々とビートメイカーと名乗れる出来事。
スタートライン立てたの遅すぎだろ!

やっぱメンタル大事っす。長文お付き合いありがとうございました。





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