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ビートメイカー山に行く

山に行く

田舎に帰ってきた理由の一つとして登山がしたいのもありまして、たいしたレベルじゃありませんが山に登っております。
特に山頂への景色や人の繋がりを求める訳ではなく、無事に帰ってくることに重きを置いているので山に登っている行為自体に満足感を得ています。
低い山であろうが高い山であろうが山は特別なんです。

山に行く=俗尚から少し離れる

元々人が住めないような場所でもありますし、食べ物も水も持って行くことが大前提の場所です。何かを気にしていれば怪我もする、ただただ山に登るだけ。。
ビートメイクして音楽で評価されたい、名を上げて人の目につくようにSNSを駆使している自分が言うことでもないですが、自分と同じようにSNSで「やばいビートが出来ました!」「何ヶ月でフォロワー数増やす方法!」「今年はかます!」
..正直、”うっ”てなるんです。自分もこいつらと一緒なんだなっと、、
ギラついて競争して人を蹴落とすのも性なので、それもしょうがないですよね、
だって人間だもの 。
そういう心情を持ち込めない程に山道は危なかったり、大体5時間も歩き続けると、無駄な考え事などなくなって頂きを目指すだけ。
頭によぎるのは無理なら引き返す、最悪の場合は遭難、死亡もある。
何となく修行とはこういう内面を見ることじゃないかなと思います。

山頂は人それぞれ

人気の山だと頂上で人が多すぎて「気持ち悪りぃ!」って思ってしまう悪い心は、
さておいて。。
自分にとって登山は唯一の趣味です。ビートメイクに対しては正直野心があったり、競争心があるのは事実です。
山に行くことはあくまで”自分と山”という存在に向き合う場所であり、
そこに何かあるのかと言われれば、わかりません。

ひとつ頂きを踏んだからといって、ひとつの場所にたどりついたからといって、
その人の旅はそれで終わるものではない。いやでも、到達したその場所から次の一歩を踏み出せねばならない。人は、永遠にその旅を繰り返してゆく生き物である。
そのことは、覚悟した方いい。
ぼくは覚悟している。
たぶん、真に重要なのは、頂きを踏むというそのことではない。今、どういう頂きを目指して歩いているのか、そのことこそが重要なのだと思う。

神々の山嶺 創作ノート:夢枕獏


下山後

私は下山後が1番開放されて充実感を得ます。無事に下山することが登頂するより何かグッとくるものがあります。
少しの間ですが世俗を離れておりますので、麓の町に辿り着く安心感。
温かいお風呂と温かいご飯を食べて、文明に感謝しつつお酒を嗜むのです。
悟りを開いたような顔であなたもこの星の大事な一部なんですよ〜ぐらいの気持ちで人に接しられるのですが、、
2日もたてば、世俗にまみれて人の悪口を肴にし、ハイボールを飲み干してしまう
そんな今日この頃です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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