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薄弱

まだ1度も学校へ出向いてはいないが学校が始まってから2ヶ月がたった。やつのせいで入学式もサークルの勧誘も受けることは無かった。おかげさまで入ろうか迷っていたサークルにも入れなかった。いやそれは自分の意思がふにゃふにゃに腐った野菜のように頼りなかったからではあるが。

今頃自分は大学に行ってキャンパスライフなるものをおくり人生の夏休みを(たぶん)謳歌しているはずだった。が、案の定猛威を奮ったやつによって授業は全てオンライン、ネット上で行われる陳腐な素人講義のようなのに成り下がってしまった。ここであの教授がどうだこの授業がああだなどと愚痴をこぼすつもりはないがやはり、対面に勝る授業などこの世にはないのだろうと思った。人と人が向き合って思考を共有して感じるあの熱量の溢れる時間は、実感の薄いネットの中では再現できないのだろう。

こんなにも人生を惰性で浪費していると感じることが今までにあっただろうか。かったるいと言いながらも向かった学校で友人と対面し、話している時間がこんなにも自分にとって必要な時間だとは以前には分からなかった。人と繋がりを感じることは心地が良いことばかりではないが、生きている事を実感出来る。たとえそれがただの時間の浪費であっても、人と一緒にいるならば良いと思ってしまえる。

それがなくなったのだ。

この上ないほどに人との繋がりを感じられない。人の温もりや優しさ、冷たさや怒り。それらが皆無なのだ。嫌な感情でさえ与えられなくなるくらいならば受け続けている方が生を感じられるから良いと思う程。心地の良い感情は失ってその大切さに気づく。ありふれた毎日を大切にしようなんて散々言い聞かされたことばを今更になって噛み締めることになった。

ありもしない過去の柵の多くを切り捨てた自分には新たな柵を作ることが必要な訳だが薄弱な人間関係の繋がりの中でそれをすることは難しかった。だからなのか、頑張って他人に会っても会ってもその心地良さが長続きしない。出会い系を使う人間の気持ちが少し分かった気がするし、実際自分が行っているのは大学が同じというステータスで出会い系アプリに検索をかけ候補として上がってきた人間と会うということなのかもしれない。

会ってから話すのではなくて話してから会う。順序を入れ替えるだけで不思議な人間関係を作り出すことが可能となってしまった今、自分はどれだけ友人と呼べる人間を作ることが出来るだろうか。


っていうくそポエム書くぐらいには暇。

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