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018 「2+3=」をまちがえた私

「間違える」「失敗する」ことを異様に怖れ、「正解」にこだわってしまう自分について書きます。

私は、「間違える」「失敗する」ことが、とても怖い。
たぶん、人よりも強く「怖い」と感じているのではないか、と思っている。
間違えや失敗が怖くて尻込みしてしまうため、行動が遅い。
さらに、失敗や間違えをおかしてしまうと、地の果てまで落ち込んで、ウジウジしている。
(逆に、「丁寧で正確な仕事をする」と褒めていただいたことが多かったので、一長一短かな?とは思うけど…。)

大きな間違えで落ちこむことは仕方ないけれども、小さな小さな些細なことでも落ち込んでいるようで、
たとえば会議や人との会話のなかで、自分が検討違いの発言をしてしまったな、と感じると、しばらくモヤモヤ感をひきずってしまう。
だから、つねに自分の行動や発言について、間違っていないか?と無意識的に自分のなかで確認作業をしている。
とても疲れる。

この私の「間違えること」に対する異様な恐怖心って、何が原因なんだろう?と、過去を振り返ってみた。

それは40年以上前、まだ私が小学校に入ったばかりの出来事だった。
1年生のときの算数のテストで、計算問題:2+3= の答えを、間違えてしまった。(テストの点数も良くなかったと思うけど、何点だったかは覚えていない)
家に帰って、母親にテストの答案を見せたとき、答案を見た母に真っ先に言われた。
「あんた何やってるの?2+3=なんて幼稚園の子でもわかるのに」
そして母は、具体的に近所の幼稚園児のお友達の名前をあげて、
「あの子だって2+3=の答えを知っているのに、あんたは何でこんな問題がわからないの?」
と言い放った。
その後しばらくの間、何かあるごとに、母は私にこの言葉を言い続けたのだ。
今でも鮮明に覚えているということは、当時の私にとって母から言われたこの言葉は相当ショックだったのだろう。
保育園育ちの私にとって、たし算なんて初めて習うことだし、間違えてしまうのは仕方ないじゃん!
と、今なら思うけど…。
めっちゃ傷ついたんだろうな、当時の私。
もう間違えるのは嫌だって思ったんだろうな。
もしも過去に行けるのならば、過去の自分に「あのクソババアの言うことは気にするな!」って、言い聞かせたい!

もちろん私が「間違える」「失敗する」ことを異様に怖れてしまう理由は、この経験だけではないだろうけど、小さい頃の心の傷って想像以上に根深いなと感じた。
間違えてモヤモヤするときがあったら、この「2+3事件」のことを思い出して、「間違えてしまうのは仕方ないじゃん!」って呟いてみようかな。


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