平均年収が高くて稼げるオーストラリアで就職したら人生終わった話

私は日本で生まれ育ち、両親の期待を一身に背負って大学を卒業しました。日本ではそれなりに安定した職に就きましたが、もっと広い世界を見たい、違う文化を経験したいという思いが強くなりました。そこで、私はオーストラリアへの移住を決意しました。

最初は希望に満ち溢れていました。英語の勉強にも力を入れ、オーストラリアでの生活に必要な手続きを全て終え、ついに新しい国での生活が始まりました。ですが、現実は私の期待を大きく裏切りました。

まず、言語の壁が思った以上に高かったです。日本での英語の勉強は役に立ちましたが、日常会話や仕事の場面でのコミュニケーションは別物でした。現地のアクセントやスラングに苦戦し、職場でもなかなか馴染めませんでした。周りの人たちは親切でしたが、私は次第に孤立感を感じるようになりました。

さらに、職場での待遇も厳しかったです。日本ではある程度のキャリアを築いていましたが、オーストラリアでは一からのスタート。低賃金の仕事をこなす日々が続き、生活費のやりくりも困難になりました。家賃や食費、交通費などがかさみ、貯金も底をついていきました。

ある日、私は仕事を解雇されました。新しい仕事を見つけることができず、次第に家賃を払うこともできなくなりました。友人もなく、頼る家族も遠く離れた日本にいる状況で、私はついにホームレスとなってしまいました。

最初は公園や図書館で夜を明かし、ボランティア団体の支援を受ける日々が続きましたが、次第に精神的にも肉体的にも限界が訪れました。寒さや空腹、孤独感が私を蝕んでいきました。

友人もなく、頼る家族も遠く離れた日本にいる状況で、私は次第に自分自身を見失っていきました。再び職を見つけることもできず、希望を失った私は、自暴自棄になり、アルコールに逃げるようになりました。毎日、酒を飲んで現実から目を背けることしかできませんでした。

ある夜、酔い潰れて路上に倒れていた私は、通りすがりの人に蹴飛ばされ、罵声を浴びせられました。誰も助けてくれる人はいませんでした。体も心も傷つき、私は次第に人間らしい感情を失っていきました。

時間が経つにつれて、私の健康状態は悪化しました。栄養不足と劣悪な生活環境から、体調を崩し、病院に行くことすらできないまま衰弱していきました。最後には、路上で息絶えました。私のことを知る人もなく、誰にも看取られることなく、静かに命を終えました。

私の夢や希望は、異国の地で叶うことはありませんでした。広い世界を見たいという思いは、苦痛と孤独に変わりました。もしも再び選び直せるなら、もっと慎重に、もっと現実を見据えた選択をしたかったと、今はただ、悔いるばかりです。

…という怖い話を作ってみました。
オーストラリアを始めとする、平均年収が高い国への海外移住のメリットとデメリットについて、以下の記事で詳しく書きましたので、ぜひご覧ください!


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