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Ep.16 誰がための未来(黒鉄の魚影)

誰がための未来

※※ネタバレを含みます。

※劇場版名探偵コナン 黒鉄の魚影の感想みたいなやつです。
※個人的解釈を詰めてるだけなので、苦手な方はお読みにならないようお気をつけください。
※以前に、ソナーズにて限定公開していたものを一部加筆修正しています。

毎年、1年が経った実感が湧かないまま映画館に向かう。
観る前のあの緊張感の中身は、どうなるんだろう?というワクワクよりも、好きになれなかったらどうしようという不安の方がきっと大きい。

OPの入りの低音がひたすら素晴らしかったですね。低音でずっしりとしたテンポを刻む音が大好きな私としては心臓揺らされました。低音の心音のようなサウンドは、聞いている人の心拍を操れる気がするので、映画の導入には最高の演出だったと思います (ドルビーだったからかもですけど) 。メインテーマはハロ嫁の毛色を残しつつ、な作りだったような感じがして、映画の切り替わりをバトンのように繋いでくれるのはいい演出だと感じました。

冒頭はテンポ感が良くて、あっという間に八丈島についてしまった感覚でしたが、哀ちゃんの笑顔に弱い後方親戚のおばさん面タイプのオタクは、哀ちゃんがみんなのもとを離れて一人で行動し、後から来たおばあさん(違和感の塊)に整理券を譲るシーンの声の優しさでうるっとし、それを見守る蘭と園子で涙腺が死にました。
哀ちゃんが全てに怯えることなく、自分らしく、自分の考えや言葉で行動できる、そんな時間が1秒でもあることに何度も涙が出ます。

園子ちゃんは今作通してずっと頼もしい女性で、子供をちゃんとよく見てるすごくいい子だということが全面に出ていて、個人的には園子ちゃんをまた一つ好きになれて良かったです。(私が昔、園子ちゃんが苦手だったというのは再三言ってますね。)

去年の予告から、船の上で、とか潜水艦の中で、みたいなイメージがずっと頭にあって、パシフィックブイの建物のイメージが全くなかったのでディティールの細さに感嘆。水に沈んだ頭脳のような感覚。 PC関係は基本水とは相性悪いはずだけど、逆に持ってきちゃうところが劇場版の名探偵コナンらしい大胆さかなと。
(要塞的なのかな。灯台もと暗しみたいな、木を見て森を見ずみたいな)(なんの話)

警察たちが増えていく過程、これまでは目暮警部、佐藤刑事、そして高木刑事までセットなのが当たり前だったから人が少なくて少し変な感じー!と思ってたんですけどよくよく考えてみれば警察は階級社会ですから、そうか、高木刑事は関われないレベルの話なのか、と後から重みを実感しました。(置いていかれた警察サイドの奮闘も気になるなぁなんて思っちゃいますけど。)
降谷零の上司かっこよかったなぁ、もっと警察が活躍する映画もみたいなぁと思いました。(なぜか黒田管理官のことを降谷零の上司呼びするのが気に入っている私。この2人の連携も今作でチラッと触れられててすんごく嬉しかったんですもん。)

皆さんも言ってらっしゃる通りですけど、ミステリー要素が弱かったので名探偵コナンを謎解きメインで楽しんでらっしゃる方には残念なのかも。私ですら犯人秒でわかったし、殆どの要素に気付いたので、かなりわかりやすかったのでは?(指の数え方はコナンによく出てくる要素だし、グラスとかカップの縁についたリップを拭う動作が大好き)
その割には、声優で犯人バレしないように豪華声優さんを揃えまくったという努力のおかげで声だけでもひぃひぃ出来ました。ゲスト声優さんの存在忘れてたレベル。全員ベテラン声優かと。 耳が幸せの絶頂、そしてその連続。

ナオミさんの存在が光のよう!幼少期の志保ちゃんの行動が誰かの記憶にちゃんと残ってるという描写が哀ちゃん推しにはたまらないのでは?と思いますし、昔から精神的にものすごく独立した子だというのが、単なるオタクのイメージではなく公式だということに悶えました……。嬉しい。志保ちゃんの存在をここまで肯定してくれるキャラがなかなかいなかったので、映画だけのキャラなのが勿体ない気が……と思ってしまったんですけど、きっと他にも志保ちゃんを知っていて助けられて、憧れて、彼女のことを忘れないままの人はきっとまだまだいるんだろうなぁと想像も広がります。志保ちゃんの芯のある性格が、今たくさんの人に支えられ守られている以上に、彼女が人生を通してたくさんの人を助けてきたんだろうなと想像していける、そんな希望を体現したようなキャラクターでした。
志保ちゃんの行動がきっかけではあるけど、それに影響されてナオミさんが前を向いたことも、ナオミさんが自分のアイデンティティを持って大人になってくれたことにもすごく感謝したいです。

語彙力低いジン、あれは少し解釈違いというか口が空いてしまいました。余っ程キレていた?では無い気がします。赤井秀一を上回るレベルのポエミーなセリフ製造機のジン、今回ジン節炸裂してなくてちょっと残念だった気もします。同時に、青山先生の考える言い回しを超えるものは無いんだなぁと痛感しました。
ヘリからカッコよくもなんだか和む登場の仕方をするジンと、キールに魚雷発射装置の説明を丁寧にしてあげるウォッカも含めて、今作の驚異であり癒し担当も兼任してくれた組織でしたね。
組織であれど、そこまで結束が強い訳でもない彼らは基本常に別行動というイメージなので、みんな揃って会議しているシーンは物珍しいものを見るように観てしまいました。

ベルモットが色んな場所転々としてるのは普段から一箇所にとどまらない生活をしていますよっていう主張かと思っていたんですけど、全然違って、自分のアホさに呆れました。そんなトンチンカンはいいとして、ベルモットにボルゾイを添えた人誰ですか?天才がいた。ベルモットがビバリーヒルズなチワワ連れていたら私とんでもなく解釈違いを起こしていたかもしれないところに、ボルゾイ。秀麗さのレベルが爆上げ。

バーボンは然り、秒速の切り替えで降谷零だったの、本当に本当に拍手を送りたいです。青山先生の原画シーンを見ていると、あぁ本当にとにかくどこまでも美しい人だな、とすごくすごく思い知らされるんですよね。(コナンくんに着信無視されてたのは悲しいと思っていましたが。 )でもコナンくんの頼る相手としての順位に、降谷零が1番上にあがってこないのも、なんかすごくいいなぁ。(語彙どっかいった)
過去、協力者として動いたことがあったとしても、お互いの過去を少しずつ共有したとしても、公安警察と探偵が相見えないんですね。
ここでバーボン⇔降谷零の切り替えをみれたことによって、ハロ嫁への愛も間違いなく増し増しました。ゼロシコは安室透と降谷零、ハロ嫁は降谷零という人物とその友人、サブマリンがバーボンと降谷零、みたいな印象がざっくりあります。

あと順番前後するけど、風見、駆けつけてくれてありがと〜!今回も降谷さんのサポート完璧だよな!カッコイイぞ〜!次は原画シーン獲得しよう!応援してるからな!

キールがMVP、これは満場一致そうで安心しています。今や潜入がメインだから、毎年映画だけを見ている人にとってはあまり関心が高くないキャラだし、背景が分かり難かったと思うけど、全人類に原作、アニメ見て彼女の勇敢さに触れてほしいと願っています。手足結ぶ時とか、フードに盗聴器いれられた時とか、その他の立ち回り全部すごいなって感心したけど、なによりジンに額に拳銃つきつけられても全身で押し戻すシーンがかっこよすぎていた。最初に潜水艦に哀ちゃんを連れてきた時も、服は変えたのに探偵バッジだけはベッドに残していったのキールですよね?組織に潜入している、またはしていた、人たちは、そうなるだけの実力や精神力があるからこそ潜入調査しているわけだから当たり前なんだけど、あまりにも強いんですよね。口から嘘はついても、目に嘘が無いというかさ……(なんと表現したらいいんだろうね)

哀ちゃんが誘拐される時、誰よりも一心不乱に飛び出したのが蘭ちゃんで、予告で見たあのシーンが思いのほか早く出てきたことよりも、素足で、パジャマで、ベランダから飛び出して、寝起きにもかかわらず意識しっかり持って明確に敵対していたところに、蘭ちゃんの精神的強さも描かれているなぁとあとからあらためてジワジワっときます。でも新一がいるとすぐに乙女の顔になるのもかわいくて、この子が年頃の女の子だってつい忘れちゃうけど(忘れるな)、忘れそうになるほど強い体術戦を見てから乙女顔されると落差で死にます。

それから、阿笠博士が褒められて『はい』としっかり返事をしながら嬉しそうな表情を浮かべる蘭ちゃんを私はずっと忘れたくないなと思いました。新一と蘭ちゃんは、ずっとすぐ側で阿笠博士の活躍を見てきた。もちろん失敗もたくさん見てきたと思いますが、めげずに試行錯誤を続けたり、新しいことにチャレンジしたり、みんなを楽しませてくれる頼もしい博士が褒められたその嬉しさが、蘭ちゃんの声の温かさに示されていましたね。素晴らしい。
今回は、船の運転手さんがものすごく博士を認める発言をしていたというか、確かにお決まりのダジャレはあるしほのぼのしてるし、だけど発明品も認められて、あの人のためならって言われるほどに逞しい背中を描いてくれて、自分の事のように嬉しかったです。
車で追いかけるシーン、博士がぶつけてでも止めると言いつつも、コナンくんとお互い冷静に相手の行動の予測を混じえつつ必死に追いかけているところに、必死さがピリピリしていた。博士は誰のためにでも動ける大きな優しさを蓄えた人だけど、哀ちゃんに対してはとても大事な、実の娘のような、大切にしている気持ちが伝わってきて辛かったし、博士の哀くん呼びがここまで悲痛に聞こえたのははじめてで、息ができないくらい胸が痛くなりました。何回でも泣いちゃう。

ライとバーボン
仲が悪かった、現状降谷零が我を忘れるほどに赤井秀一を憎んでいる、という関係値だったバーボンとライが、お互いの実力を正当に評価して信頼しているという新事実が垣間見れたシーンでした。
前述の通り、バーボンとして未だ潜入中の降谷零が組織内でどういう立ち回りをするだろうかと公開前は悶々と考えていたけど、指示された仕事を終えたらベルモットと同様に個々人に戻っていき、日本警察の降谷零として状況把握、指揮、判断をしている姿がたまらなく美しかった。コナンくんと通話していたのに突然赤井秀一の声が聞こえて動揺しただろうに、国の一大事に《親友》のことは一旦傍に置いて、《ライという男の実力だけ》に日本を託す感じが良かったです。 過去に2人が同じ時間を過ごしていたこと、組織の人間として同じ仕事をしていたことが事実だってわかるし、その中でお互いの実力を知り信頼し、きっと「バーボン/ライが自分と同じNOCだったら」と思わなくもなかったと思うんです。そんな赤井秀一が特大の武器を用意したことに対して《お得意の皮肉を交えながらも》日本を背負って立つ警察官のひとりとして、赤井秀一へ武器の使用を許可(もしくは黙認)すると決めた降谷零の精神に拍手を送りたい。自分一人が持っている憎しみよりも、日本を守ることに即座に脳を切り替えられる、それが降谷零の強さですよね。

赤井秀一も赤井秀一で、降谷零がこういう時は正当に判断をくだせる人間であると信じて作戦をもちかけただろうという勝気な表情が良かったです。潜水艦の位置さえ分かれば、と言ってしまえるほど自分の腕を信じているセリフも、影の努力家であることがわかって良かったです。あとは表情で語る赤井秀一、言葉数少なくても大きすぎる人間だとよくわかります。

哀ちゃんについて
哀ちゃんが一人で逃げようとベッドから飛び出すシーン、歩美ちゃんにお布団かけなおしてあげるあのシーンだけで、哀ちゃんがどれほどみんなを大切にしているのかが理解出来て、世界の中心で愛を叫びたくなりました。ドアを開けてピンガとウォッカがいたあの瞬間、哀ちゃんは叫びたくても叫べなかった、もし歩美ちゃんが起きてしまったら歩美ちゃんも連れ去られることになっていたから。その判断ができる頭の良さと、何の確認もせずに扉をあけてしまう迂闊さに、動揺がたっぷりつまっていていい描写だなと思いました。

私がこの映画の初見を観終えて、一番最初に発した感想は「この子の恋は終わったんだなぁ」でした。
というか、それを一番最初に言いたいと強く思いました。この子の恋は終わったんだなぁという言葉を選んだのはENDというイメージではなく終わりのはじまりという意味で選びました。 私は原作派なので、もちろん新蘭を応援していますが、今回の人工呼吸シーンについてはシンプルに「良かった」と思いました。
人命救助とかいう大義名分が無ければ、哀ちゃんは好きな人とキスをすることも生涯無かったんだと思うと、私はこれでよかったと思います。哀ちゃんとコナンくんは相棒として、距離感がすごく近いし、正直奪おうと思って、キスなんてしようと思えば、いつでも出来るような位置にいたのに、しなかったのは哀ちゃんの意思だと思いますし、伝えるチャンスだってあったのに伝えなかったのは哀ちゃんの意思です。だからこそたった一度の、哀ちゃんへの最後の希望の光だったと思います。そしてそれを、海底に差し込む太陽の光で表現したのではないかなと思います。
私あなたのこと好きよ、って哀ちゃんならきっと言ってしまえるのに、《自分が想いを伝えないことで大切にできること》を優先しているというのが哀ちゃんの優しさであり強さです。
けれど、哀ちゃんの初恋(推測)が終わってしまったのだと思うと、良いと思うのと同時に、すごくすごく辛い。ただ一人の少女の恋が終わってしまった、大好きな女の子の恋が目の前で終わってしまった喪失感が、辛い。哀ちゃんはこの先、どうなっても、あの日の記憶が、彼の笑顔が瞼に居れば、生きていけるような気がしてしまって、それが終わりにも始まりにも思えるから、辛いです。
極端に言ってしまえば、人工呼吸シーンを、そもそもコ哀と捉えるのが甚だしいとすら思うんですよね。あれは明確な人命救助であったし、哀ちゃんが私はこの人が好きだから助ける!好きじゃないから助けない!という考えを持って人の命を左右する性格では無いことは周知の事実だから。確かにそこに、恋する気持ちはあったかもしれないけど、それを差し置いても「工藤新一は生きるべき」だと思った哀ちゃんの意志を尊重したいのです。

酸素ボンベを代わる代わる使いながら、手を繋いで、海上を目指すシーンは、哀ちゃんの心のどこかにあった願いだったのかなぁ、とデートシーンのように見ていました。人命という免罪符が無ければなしえなかったシーンであったし、むしろ新蘭が絶対だと叩きつけているシーンでもあったように思います。(もうこれ以上コ哀を描くことは無いよ=新蘭が公式ですよ、みたいな図式がうっすら。)

その後、コナンくんからの人工呼吸を蘭ちゃんに見られまいと阻止して、蘭ちゃんに唇を返すという高難易度の技。素直なのに素直になりきれない哀ちゃんらしいと思いましたし、哀ちゃんの誠実さと、コナンくんと同じように蘭ちゃんのことも大切にしたい気持ちが伝わってきて、哀ちゃんの分まで私が泣きました。 姉のように自分を心配し、気にかけてくれる蘭ちゃんを、哀ちゃんなりに大切にしたかったんだよね。

これからも恐怖は癒えないし、怯える夜もあるかもしれない、後悔が足を引っ張り続けるかもしれない、けれど生きることを諦めることはもう辞めにして、いつかに希望を抱いて、誰かを信じる強さを持って、たった一度きりの大切な人との身勝手なキスとデートの記憶を胸に抱いて、そういうの全部、内包して強くなっていく。それが私が思う《灰原哀》です。そしてそれらはどんなことよりも、彼女が普通の女の子だということを証明していると思います。 なので私はこのシーンは絶対に必要だったと言いたい。哀ちゃんが好きな私だからこう思うのかも知れないけど……。

私は一応原作至上主義の人間なので、新蘭が公式カップルっていうのは二人が付き合う前からずっと根底にある常識だったし、哀ちゃんの恋がいつか終わってしまうというのも理解していたから、哀ちゃんがその恋の最後をどう迎えるのかずっとイメージできなくて、怖かったけど、ちゃんと終わらせてくれたことは哀ちゃんの恋心を放置されるよりはずっとマシだし、幸せだった。カップルが多いこの作品では比較的軽視されがちな報われない恋を、ここまで繊細に、大胆に、批判覚悟で描いてくれたことにありがとうと思うし、むしろこれからさらに新蘭を純粋な気持ちで受け取っていけると思います。
これからもコナンくんに対して顔を赤らめたり、きゅんとしたりする哀ちゃんのシーンは出てくると思うけど、というかあってほしいけど、それを酷だと思わず、大切な人たちの傍で感情豊かに生きていられることがそもそも素晴らしいことだとホッとした気持ちでみていられるファンでありたいです。
新蘭の通話シーンも、実りもしない想いを抱えて走っている子の横に、そうやって実って幸福になっていく恋愛もあるんだ、というだけのただただ幸せなシーンであってくれたらいいなって思います。

主題歌について 「『切ない恋の物語』にも『ハラハラな活劇』にも寄り添えるイメージで作った」というコメント通り。
果敢に海を泳ぐ哀ちゃんの姿も、水面にあがるまでのほんの少しの時間を後生大事に胸にしまっていそうな哀ちゃんの姿も、どちらも脳裏に浮かぶ曲。変拍子でポップよりのロックに見せかけて強気なバラードのようなチグハグ感のあるベースラインと、綺麗な高音が、超絶マッチしていると思います。好き。

映画を観て、たくさん考えて、そうしたら哀ちゃんの望みが少しくらい分かるのかな?と思いながらこの文章を書きました。けれど私には、やっぱり哀ちゃんの望む幸せが何なのかはわからないです。
彼の傍で自分の武器を最大限に活かしサポートすること、自分を変えてくれた仲間とともにいること、元の名前と容姿に戻ること、これまでの全てを捨てて新しく生きていくこと、どれを選んでも彼女は彼女だから、私は、彼女が自分らしいと思える生活を送れる未来を信じたいです。
そうしていつか、哀ちゃん自身が選んだ本当の自分の姿で『(自分の選択や過去を)憎んではいない』と胸を張って思えるようになるのならば、私にとってはそれ以上ないハッピーエンドです。私のような一読者は見守ることしか出来ないけれど、彼女の笑顔や尊厳が、どうかこれからも尊いままで守られますように。

映画の総評……というか、副題を付けるなら「灰原哀の未来のための映画」です。

以下、余談 この感想文のタイトル、第一候補は「誰も知らない恋の話」でした。ちゃんちゃん。

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