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Ep.17 誇っていい、誰も間違ってなんかいない(ハロウィンの花嫁)

誇っていい、誰も間違ってなんかいない。

※※ネタバレを含みます。


※劇場版名探偵コナン ハロウィンの花嫁の感想です。
※個人的解釈を詰めてるだけなので、苦手な方はお読みにならないようお気をつけください。

私達にとって痛烈な過去の話は、彼にとってはとてもくだらなく、あまりにも愛おしい日常の一コマだっただけの話。

最後に屋上で空を見上げていたこの『降谷零』という男は、そこでひとり、何を思っていたんだろう、とずーっとずっと考えていたんです。見守ってくれてありがとう、ヒントになったよ、やっと受け入れられそうだよ、色々思うところはあって、そのどれがあの眉間の力がすっと抜けた柔らかい表情にさせるのだろうかと考えるのは楽しいことでした。個人的な結論だと「終わったよ」って、それだけだったんじゃないかなって考えに辿り着きました。
思い出の写真にグラスを傾けるシーンもそうだけど、この人が過去を慈しむ瞬間を見ちゃって良いんでしょうかね。

私だったらもっと怒りたいんです、プラーミャにも、罪を償わずして一瞬で死んだあいつにも、もっともっと殴り掛かりたいくらいの気持ちになると思うんです。あの爆弾犯、もっと生きるべきだったじゃん、もっと長く生きて、罪を背負ってながくながく生きるべきだろ、それが本当の反省だろ、なんでそんな簡単に、のうのうと死んでんだ、挙句死に際に誰に助けを求めてるんだ、死ぬのが怖いなんて顔を、人を平気で殺せるお前がするなって言いたくなる。絶対に許したくない、そう思う。でも屋上にいた降谷零があまりにもすがすがしい顔をしていたから、あぁこの人はそんな執着から開放されたのだと感じました。
あれだけ親友の死に固執する降谷零が、あいつに対して死の執着を手放せるなら、それが間違いなんてことないはずなんです。
そこから逆説的に考えていくと、降谷さんには自分の強さが《友人たちから学んだ》ものだという自覚があるのでしょう。今の自分が生きて、プラーミャを捕らえられたこと(もちろん探偵くんやその他協力者がいて成り立ってはいますが)、友人たちの知恵や一緒に乗り越えてきた経験値があってこそだと分かっているから、あっけなく死んでいった爆弾犯を恨むのではなく、空を見て微笑むだけの感情の変換が出来たんじゃないかと思います。
(降谷零という人間のその逞しさがあまりにも好きなのですが、もう余りにも語彙力や文章力が足らないので念力で伝わっててほしいです。パワー!)

今回の映画では、降谷零とエレニカさんが重ねて描かれているように思いました。強く、美しく、賢いのに、どこかに囚われている2人。が、今回の映画を通して、大切な人を誰かに理不尽に殺されてしまったけれど、憎しみを行動力や強さに変換して逞しく今日を生きている人に変わった、んじゃないかなぁと。
そこに膨れ上がった悲しみが消えることは無いけど、自分の善性を信じることで負の連鎖や憎しみあいのいくつかは止めることが出来る。そして暗闇が底知れないほど広がっていても、記憶が守ってくれる限り、残された人たちは生きていけると証明してくれた気がします。

今作、公安と捜一と探偵の交差していく描き方がとんっでもなく好きでした。過去と現在の全てが、渋谷のスクランブル交差点のように交差して入り混じっている。
私が暗にこの映画が一番好きって思うのは、多分これです。
お互いの持っている情報が違って、やり方が絶対的に違う。だからぶつかって、そのうちの誰かは嫌われ役をやって、全員がひとつの真実のためにそれぞれの正義を持っている。
そもそも私が名探偵コナンを好きなのは、こういう部分があるからだろうなと改めて気付かされました。
まぁでもあれですね、公安からも捜査一課からも頼りにされる江戸川コナンという男がやっぱり恐ろしい。警察でもFBIでもない、どの組織にも属さない、つまり組織的な正義を持つことがない、探偵という名を背負った男は、行動に制限や迷いが微塵もないから恐ろしい程に無鉄砲で強い。警察やFBIはつまるところ組織の人間なので、出来ないことや曲げられない考えがありますよね。こうしなければ、こうでなければ、というルールやストッパーが探偵には無い。それをありありと見せつけられたような気がして、あーやられた!痛快!ってなるんですよね。
なおかつ、江戸川コナンはその警察やFBIを信頼し、その信頼を見せることで協力を得ることが出来るので本当に本当に『天才』。自分が無鉄砲に突っ込んでいくかわりに、その後はよろしくね!そういうのはそっちのほうが得意でしょ!みたいな、そのあっけらかんさというか、まさにホームズ。あらためて、かっこいいなぁと。

ナーダウニチトージティの人たちは、やり方がぶっきらぼうだっただけで皆等しく優しくて、家族想いの人の集りで、むしろそういう人たちの方が家族が殺された時に相手を憎んで強い行動力を持つっていうの、なかなか真理ですよね。被害者、遺族、恨みが集まればより大きな呪いになる。でも根底が優しい人たちだからこそ、まっすぐに諭されると力なく崩れてしまうところとか、仲間同士、常に結託しているところも、人間くさくってたまらなかった。にんげんっていいな状態。言葉があるからさらに繋がることが出来るという人間らしい絆は素敵です。(そこに言語の壁が無かったことも、名探偵の良いところですね。)
そしてなによりリーダーであるエレニカさんが素晴らしい人だったから、ことが巧くいった部分は大いにありますね。賢く仲間を率いることも従わせることも出来れば、協力を要請することも出来る。自分がこれまで仲間をどう扱ってきたか、それが最後の爆弾を止めるシーンに出ていて、そこに参加していたのが少年探偵団というところもすごく良い。少年探偵団は『絆』の文字そのままみたいな純粋な存在だから、子供たちの絆、大人たちの絆、どちらも存在するし、子供たちの絆が大人になっても継続していたらいいなと、こんな大人たちになってほしいなと思えるシーンでした。

恋をした、ただの男
村中務さん、人を愛し裏切られ、それでも立ち上がった漢。賞賛でしょう、空から降ってきた元婚約者と謎の若い金髪碧眼褐色の男に対して、あそこまで誠実に警察官として最もな対応が出来るなんて。クリスティーヌさんは運命の相手だと信じて疑わなかったことも、彼が誠実だったからであって、そこに裏切りがあったとしても婚約者として、そして警察官としての責任を受け止めるだけの器の大きさ!流石としか言いようがない。なにより、降谷零に対しての言葉。降谷零が何者かという部分についての圧倒的な理解力はもちろんだけど、降谷零を『若い警察官』として扱う絶妙な距離感が他の誰とも無い距離でとても良かった。

高佐について書いてみましょか。
私は常日頃高佐が特別すき!と思っているわけじゃないんですけど、(だ、だって見てるとこっちまで恥ずかしくなっちゃって……)でも警察カップルのリーダー格として末永くお幸せになってほしいとは思います。
佐藤さんは、降谷零とはまた別格の寂しさを持っている人だという風に見ていて、そこが、事件にまっすぐ向かっていってたまに夢中になっちゃう佐藤さんを佐藤刑事たらしめているように思います。ずっと刑事やってて、腐ったりせず死に慣れもせず、ずっと彼の死を心に刻んでいるところ、どうしようもなく好きです。飄々として、掴めなくて、なんでもできちゃいそうな彼がいとも簡単に死んでしまった光景をありありとみて、それで歪んでしまうような人でなくてよかった。
高木刑事も普段のその朗らかさから忘れがちになるけれど、自分を可愛がってくれていた人を亡くしてるんだなと映画を観て改めて思い出しました。死因だけで見ると交通事故になるわけですけど、でもそれってやっぱりあっけないじゃないですか。しかもあんなに屈強で、頼りになる人が、そんなことで死ぬわけ無いじゃんて、信じたくなくなるような。でも佐藤さんと同じように、ちゃんと思い出を胸にしまえる人だから、やっぱり2人とも警察になるべくしてなった人なんだと思います。

あっ、ちょっと私、風見の話していいです⁈
風見、今作とんでもなく頑張りましたよね⁈爆発に巻き込まれて傷だらけで頭に包帯巻いてるのに、追い打ちの如く強烈なビンタされて……。それでもすべてやってのけましたね。爆弾の解体も、捜一との懸け橋役も、最後の爆薬の処理も、コナンくんの誘導も。それでも一切驕らない風見が好きです、嫌われ役が似合うところも、傷だらけでも最後までやりきるところも、大好きです。派手に立ち回る誰かの影でひっそりと生きている人こそ、いろんなことを耐え忍び、乗り越えているんだなと気付かされます。
風見が降谷さんの右腕であること、もんのすごく頷ける映画でした。本当にこの作品が大好き!と思う理由の一つ。

小五郎のおっちゃんや蘭ちゃんが除け者すぎでは?という点については、うーん確かに!と思う部分もあり、仕方ないのでは?!という部分もあります。おっちゃんの立ち位置って難しいですよね。原作もアニメもくまなくチェックしてます!って人は、おっちゃんがどれだけ頼もしくて強く愛に溢れる人なのか充分理解できると思うんですけど、わりと毎年映画だけ観るよ!って人が多いコナン映画においては『え?普段、麻酔銃打たれて寝てる人でしょ?』みたいなイメージもあると思うんですよね。ギャグ要素のイメージを多めに持つ人もいると思うので、今作においてはどちらの人にもバランスよくイメージを崩さない構図だったんじゃないのかなぁとは思います。人の命を軽視せず、誰かが危険な目に合えばもちろん飛び出す。その結果、気がついたら事件終わってた。あれ麻酔効かない、看護師のお姉さん綺麗じゃ〜ん。みたいな強さとギャグのバランスはすごく良かったと思います。
蘭ちゃんはある意味キーパーソンでしたからねぇ、出番少ないと言えど重要な人物の立ち位置に変わりは無いと思います。メモの内容を覚えていたことはもちろんだけど、お父さんが心配な一方でコナンくんの面倒もみなきゃいけないから不安そうな顔はしちゃダメっていう状況で、強がってるけど不安が漏れちゃう等身大の女子高生っていう部分の描かれ方は綺麗だと思いました。よくアクションシーンに集中しがちでそこからネタにされやすい時があるけど、今回は普通の10代の女の子で、愛と思いやりに溢れた女の子という描写が強くて好きでした。

まとめ
みっともなくたっていいよって、言いたくなるんです。エレニカさんにも降谷さんにも、そう言ってくれる人はきっともうここにはいないから、それでも生きていること、膝を地面につけて沈んでしまわなかったことを、誇ったっていいんだと伝えたくなる。
毎日のようにこの世界のどこかで誰かが死んで、それを、悲しい過去にできない人たちがいる。そこから生まれた強さはその人の心にあって、きっと亡くなった人の形をしている。そう思う、映画でした。

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