初「しゃぶしゃぶ」の日も寒かった
今日の沖縄は寒い。夕方におしゃべりした東京出身の方が肩をすくめ身体を震わせて「寒い寒い」と言いながら帰っていったのでこの寒さはマジだ。あまりに寒いので福岡にいたころの古い話を思い出した。
あの日もこれ以上に寒い日だった。
「おう、お前しゃぶしゃぶ食ったことあるか」と店長に聞かれた。
「ありません」
「じゃ今夜仕事終わったら食いにいこう」
「え、あ、はい」
と誘われるがままに店長車に乗せられて1時間ほど走らせたところにあるしゃぶしゃぶ専門店に着いた。
そのころ田舎から大学に出てきて生活費が足りずアルバイトをしていた。時給が高く授業の時間調整がうまくできる肉屋で働いていた。なぜか店長に気に入ってもらっていて副店長のような立場になっていた。4月からアルバイトをして年末には大きなスーパーの中に2つあった肉屋の小さい方をまかせられていた。
アルバイトの1年目は体験のすべてが新鮮だった。もちろん「しゃぶしゃぶ」を食べるのもはじめてだった。
最初に肉を湯に通すことやポン酢に薬味を入れることを教えてもらった。生まれてはじめて「ごまだれの味のタレ」につけたお肉が美味しすぎて寒さを忘れるくらいだった。貧乏で自炊をしていたのでその日は思い切り食べた。今思えば肉屋のお肉を使っていただいているお店だったのだろう。お店の店員も南の果てからきた田舎者のアルバイトとても親切にしてくれた。
お酒でほろ酔いになった店長から「カラオケいこうか」と誘われた。というより、断れる雰囲気ではなかった。
こちらも店長の行きつけのカラオケスナックだった。店長と何曲か歌を歌ったりしているとき、ふと目の前にある100円玉がたくさん入った小皿が気になった。小皿の中の100円玉は少し減ったと思うと次に見たときはまたいっぱいになっていた。
お酒も入り歌も盛り上がってきた。わたしも数少ないレパートリーからロックを選んでカラオケで歌い、店長は演歌をガンガン歌った。
2人ともすごくいい気分になって外に出るとお酒を飲んでいなかった店長の奥さんが車で迎えにきた。もちろんカラオケスナックもはじめての体験だった。大人はこんな楽しいことをしているだなと思った。
帰りの車の中で、「あ、そうだ」と気づいてポケットに入っている100円玉を出しながら店長に向かって
「店長、酔っ払って小銭忘れてるなーと思って持ってきましたよ。ほら」と店長にたくさんの100円玉を渡した。
「えー」といった店長は奥さんと2人で顔を見合わせて笑い出した。
「ばか、お前。あれはなー カラオケ代の100円玉なんだよ!」
あまりにも田舎者で知らなかったのだ。100円玉で支払いをしてカラオケを歌うシステムになっていることを。お店が前もってカラオケ用の100円玉としてお客の前に用意していたのだ。今だと想像がつかないと思うがカラオケが出た当初はカラオケを歌うとき機械にお金を入れてカラオケを歌うシステムだった。
はじめて「しゃぶしゃぶ」を食べた日に100円玉泥棒になった。車の後部座席にいたわたしは、恥ずかしさとスナックへの申し訳なさでブルッと震えるふりをして「寒ー」といった。
おわり