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悶々

4月は苦手だった。
5月の具合は悪く無かった。
6月は冴えている。
こんな事を考えながら電車に乗っていた。

今日は暑い。
手のひらが熱くてわたしに触れたくない。腕が組めない。腕と足を組んで丸まって座ることが好きなのに。

些細なことで悶々とする生活は加速する。

10歳の頃、勉強も運動も人並み以上にできる、ゆめちゃんが出来上がった。人並み以上にこなすことでしか存在価値を見出せなかった。ゆめちゃんは、医者にはなれなくて、頑張って走ってみてもせいぜい銀メダルだった。人並み以上なだけで、金メダルが取れるわけではなかった。だからせめて期待を裏切らないように失望させないようにと、自分の気持ちを発さないように努めた。
失望させないように人前では泣かなかった。大人が流石だねという度に理想通りのゆめちゃんでいることを極めた。理想通りのゆめちゃんでいたのに、「別に、金メダルをとって欲しいわけではないし、勉強ができる人になって欲しいわけではない。」と言われた時はひどく落ち込んだ。何をどうすれば大人の希望に添えるのか分からなかった。ゆめちゃんには親の育て方がいいからと言葉を投げる大人が、ゆめちゃんの兄弟には努力家だねと言葉を投げることが許せなかった。大人に嫌われると面倒な事になるのは知っていたから、大人に好かれる為に希望に添うこと、考えてる事を言葉にしないことは私が生活するうえで当たり前のことだった。

特別不幸な環境ではないのに生活を苦しんでいる事が申し訳ない。考えている事を言葉に発さない分、文字に起こすのは昔から得意だった。

あの頃から何も変わっていない自分に失望する。悶々としない私と過ごす日常なんてあるのだろうか。生きててよかった、はどこに落ちているだろう。どこに行けば手に入る?どうしたら知れる?いつまで耐えたら良いのか、私に死なないで欲しいではなく生きて欲しいと願う人がいるのか、ほとんどを知っている人がいるのなら教えて欲しい。

もう少し丈夫になりたくて、生活を繰り返す。

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