ルイーズ・ブルジョワ展行ったよ
タイトルの通りです。
現在六本木の森美術館にて開催されている「ルイーズ・ブルジョワ展」に行ってきました。
ルイーズ・ブルジョワという名前だけ聞くと「誰ですか?」という人がいるかもしれませんが、「森ビルにある謎のでっかい蜘蛛の彫刻を作っている人だよ」というと、東京のほとんどの人はあれか〜となるかと思います。
そういう意味では、この森美術館でルイーズ・ブルジョワ展をやることに意味があるし、納得です。
余談ですが、お昼にご飯を食べすぎたせいでこの時吐きそうになりながら歩いていました。何歳になっても自分のお腹の許容量がわからない。
森美術館と併設されている森アーツギャラリーの方ではさくらももこ展がやっていました。
チケット売り場に行くと、私ぐらいの世代の人はさくらももこか展望台のチケットを買う人が多くて、ルイーズ・ブルジョワ展は海外の人とおじさまおばさまが多かった。
スタッフの人にさくらももこ展へ案内されそうになりながら、美術館へ進みます。なんかちょっと優越感。
ポスターからすでに圧倒されます。
ルイーズ・ブルジョワといえばこの蜘蛛の作品ですよね。タイトルは《ママン》。
六本木ヒルズに設置されているように、このママンは世界各地にパブリックアートとして7箇所設置されています。
ちょっと話がそれますが、ママンが設置されている美術館の中で、私のお気に入りはスペインにあるビルバオ・グッゲンハイム美術館です。
ゲームの3DCG?ってぐらい建築がやばすぎるので良ければ検索してみてください。
ママンが小さく見えるぐらい大きな美術館で、有名な所蔵品にはポスト・ミニマリズムの巨匠と名高いリチャード・セラの《The matter of time》という作品があります。
高さ4m、長さ30m以上の超巨大な作品なのですが、これがすっぽり入ってしまうぐらいのどでかい空間がある美術館。すごすぎ〜
余談でした。
ルイーズ・ブルジョワ展はというと、丁寧な展示空間と作品の調和が美しかったなあという印象です。
蜘蛛の作品も2作品展示されていましたが、暗闇に置かれた《かまえる蜘蛛》は異様な雰囲気を醸し出していました。こちらに対して攻撃性を持っているというよりは、自分を守るために攻撃的な姿勢をとらざるを得ないようになっているような感じ。
下の画像の《蜘蛛》という作品は蜘蛛の中心部に円形の檻のようなものが設置され、さらにその中に椅子がぽつんと置かれている作品です。
檻の装飾が”美”すぎる
写真はありませんが、私は銀色のステンレスで製作された《カップル》という立体作品がお気に入りです。
これは3メートルぐらいの大きな作品で、抱き合っている二人の人間の胴体から頭までがそれぞれとぐろ状のものに包まれているような形状になっています。しかも浮いてる。ワイヤーで吊るされてます。どういうこと?
メタリックでスタイリッシュな見た目に反して、人間の本能であったり、感情や単一的でない内面というモチーフの齟齬がどこか心地よく、理屈を抜きにしてずっと見ていたくなる作品。
立体作品以外では、詩の作品も最高でした。
人の死や殺人、現実では起こり得ないことをあっけらかんと日常の一部として描いているような不気味さと、それすらも包み込むような童話チックな作風がマザーグースみを感じる。小学生の頃にマザーグース詩集を図書館で借りまくっていた私大歓喜。
展示内容は一見するとグロテスクだったり、性的な表現だったりが多かったですが、とにかく丁寧な展示だったので文脈としてのそういった表現がとても大切にされているなぁと感じました。
展覧会が素晴らしいので詳細は省きますが、ブルジョワはヤングケアラーとして若い頃から母親の介護をしており、その母親が20歳の頃に亡くなってしまったこと、そして父からのDV被害者であったという背景もあり、「家族」や「母性」、「自分が女として生まれたこと」といったものに囚われていたものと考えられます。
じつは、お腹の部分に卵を抱えた蜘蛛をモチーフとしているママンは、ブルジョワから見た母親の象徴として、80歳を迎えてから作られた作品です。その年になるまで母親に対する感情を作品として昇華することができなかったと考えると、ブルジョワの心情や、それが形成されるまでの彼女を取り巻く環境がどれほどだったかを少しばかり推察できるのではないでしょうか。
ルイーズ・ブルジョワの自身でも捉えきれない複雑な感情を消化するためには、そして、自己の置かれた環境と自らを肯定するためには、あのような表現が必要不可欠であり、決して突飛な発想だけからエログロの美術が生まれるというわけではないということを、質量をもって伝える展示だったと感じます。
自分の中に生まれてしまったどうしようもない衝動をぶつける先としてのアートを体現している展覧会でした。でっかい立体作品みたい人にはおすすめです。