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(短編小説)親愛なるあなたへ〜「小料理屋しづ」の日々〜<第4話・完>

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親愛なるあなたへ〜「小料理屋しづ」の日々〜 <第4話・完>


 数日が過ぎ、「しづ」が定休の月曜日。10月の中頃になりさらに気温も下がりつつある。じわじわと秋に向かっている気配だ。

 志津しずは駅近くのお店でランチを摂ろうと家を出る。家は「しづ」から歩いて5分ほどのワンルームマンションである。施設育ちゆえか、あまり荷物を持つ習慣が無く、手狭なワンルームでも充分暮らして行けるのである。

 途中、しげさんの家の前を通る。だが家の通りに入った志津の目に違和感のある光景が飛び込んで来て、思わず「え?」と足を止めた。

 そう広くは無い道にパトカーが止まり、警察官が行き来していたのである。何だろうとまた足を動かすと、その行動はなんと繁さんの家を中心に展開されていた。

「繁さん!?」

 志津は声を荒げて門扉もんぴに駆け寄る。すると警官に止められた。

「今は立ち入り禁止です。あなたは?」

 問われ、志津はなんと答えようかととっさに頭を巡らした。

「……繁さんに、ここにお住いの方にご贔屓ひいきにしていただいている、小料理屋の店主です。あの、繁さんに何かあったんですか?」

 切羽詰まった志津の言葉に、警察官は言いづらそうに口を開いた。

 肉親を亡くした時には、こんな気持ちになるのだろうか。心に穴が空いた様な、という表現が正しいのか。自分が自分で無い様な、頭がふわふわとして現実感が薄い。

 涙は枯れてしまったか、真っ赤にれた目はかさかさに乾いている。志津は火葬場のロビーで白いソファに身体を預け、ぼんやりとうつろな目を天井に向けた。右横には同じく呆けた様子の小倉おぐらさんが掛けていた。

 今、繁さんは荼毘だびに付されている。死因は心筋梗塞しんきんこうそくだった。発見したのはその日約束があったクライアントだったそうだ。

 その時左横に誰かが座った。ゆるりと首を動かしてみると、喪服に身を包んだ高柳たかやなぎさんだった。

 目を赤くした高柳さんは静かに口を開く。

「志津さん、あの、僕、志津さんの側におりますから」

 そしてずずっと小さく鼻をすする。

「志津さん、繁さんのこと父親みたいに思ってはったでしょ」

「……はい。なんで気付きはったんですか?」

 誰にも言ったことなど無いのに。

「そりゃあ僕はずっと志津さんを見てましたもん。僕はまだまだ頼りなぁて、繁さんの代わりやなんて無理ですけど、それでも側にいますから」

 高柳さんは強張った頬をほんのりと赤く染めていた。強い眼差しは一心に床に注がれている。

「僕だけや無いです。小倉さんも他の常連さんも、いますから。僕を、あの、おこがましいですけど、家族みたいなもんやて思ってくれはったら嬉しいです。志津さんが本気で嫌やて思わはれへん限り、一生側にいますから」

 高柳さんは言うと、ぎゅっと目を閉じた。膝の上で組まれた両手が小さく震えている。高柳さんが勇気を出してくれたことが判る。

 志津にとって高柳さんは「しづ」のご常連のひとりで、まだその域は超えない。だが高柳さんが本当に心を配っていてくれることが志津の心にすぅっと沁み入る。それはとても暖かなものだった。

「……ありがとうございます」

 志津がぽつりと言うと、高柳さんはほっとした様に頬を緩めた。

「あの、狩野かのうさん」

 正面から声を掛けられ顔を上げると、立っていたのは繁さんの弟さんだった。繁さんとは違い、でっぷりとしたお腹が目立つ。頬もいつもはふっくらしているだろうに、けてしまっている様に見えた。志津はゆるりと立ち上がると、深く頭を下げた。

「この度は、本当に御愁傷ごしゅうしょうさまです」

 小倉さんと高柳さんも立ち上がり、丁寧に腰を折った。

「いえ。ばたばたしていてろくにお話もできへんで、申し訳ありません」

 喪主もしゅである弟さんは、それこそ息を吐く暇も無いほどに慌ただしかったのだ。志津のことなど構う間もあるはず無い。

「……あの、狩野さん。兄からあなたのお話を良う聞いとりました」

 弟さんの憔悴しょうすいしながらも穏やかな表情に、志津は目を丸くした。

「娘がおったらこんな感じなんやろうか、なんて言いましてね」

 まさか、まさか繁さんが志津のことをそんな風に思ってくれていたなんて。志津の目にとうに底をついたと思っていた涙がじわりと浮き上がる。

 志津の心が歓喜で震える。悲しみに暮れているというのに、ふつふつと沸き上がって来るのだ。

「ありがとうございます。そんな風に思ってくださっていたなんて、ほんまに光栄です」

 志津はバッグから紫色のハンカチを取り出して目元を拭った。

「そうおっしゃっていただけたら、兄も喜びます」

 弟さんは小さく会釈をして去って行った。見送った志津はまたソファに腰を降ろし、はらはらと流れる新しい涙を迎えた。

「ほんまに嬉しいです……」

「はい。僕なんてもちろん代わりにはなりませんけど、せめて側にいさせてください。いつまでも、いさせてください」

「うちもおるからな」

「……ありがとうございます」

 それからお骨上げまでの時間、小倉さんと高柳さんは志津に寄り添ってくれた。志津にとって、それはとても心強いものだった。

 「しづ」は3日間お休みをいただき、再開の日がやって来る。まだ悲しみはえていないし、ふとした時にじわりと目元がうるむ。だがいつまでも泣き言を言ってはいられない。

 志津は高柳さんご注文のたこ焼きを焼く。ああ、繁さんもいつも注文してくれてはったな。そんなことを思いながら、くるくると返して行く。

 高柳さんは珍しく、大阪小松菜の煮浸しなど、お野菜も多めに注文されていた。繁さんを意識しておられるのかも知れない。

 小倉さんもいつもの様に訪れている。これからの口開けはもっぱら小倉さんになるだろう。今日もお魚料理を中心にご注文されていた。

 繁さんがいなくなっても、日常は続いて行く。ただやはりその存在の大きさは志津にとって絶対だったので、カウンタに繁さんがいない現実は志津に影を落とす。

 だが大丈夫だ。高柳さんが側にいると言ってくれた。小倉さんも変わらず来てくれる。他のご常連も志津を支えてくださる。

 だから志津は今日も「しづ」を開ける。自分のために、お客さまのために、そして「しづ」を大切にしてくれた繁さんのために。

 繁さんの形見とも言えるこの「しづ」を守るためにも、志津は前を向くのだった。


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山いい奈
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