(連載小説)たこ焼き屋カピバラ、妖怪と戯れる<4章第7話>
こんにちは。ご覧くださりありがとうございます( ̄∇ ̄*)
少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いします!
たこ焼き屋カピバラ、妖怪と戯れる
4章 期間限定の恩恵
第7話 親の期待と子どもの器
朝ごはんを食べ終え、座敷童子は「さかなし」を出て行った。これで座敷童子の恩恵は失われる。竹ちゃんの言葉の通り、いつもの「さかなし」が戻って来る。
昨日の営業後に仕込んでおいた水出しのお出汁は、座敷童子モードだっただめに量が多い。渚沙はそれを通常の量に分け、今日使わない分は冷凍庫に入れた。
「渚沙、今日からお昼もいつものお弁当で大丈夫だカピな」
「そやね。でもおにぎりで充分やで。美味しいもん」
「駄目カピ。栄養が偏るカピ」
「オカンか」
渚沙はくすりと笑った。
・
「何やの、またえらいお客が落ち着いたや無いの」
おやつの時間帯に訪れた弘子おばちゃんが呆れた様に言う。
「みんな飽きたんか?」
「そうかも知れへんねぇ」
渚沙は何気無く言ってごまかす。そりゃあ昨日まではひっきりなしにお客さまがいたのに、突然これでは閑古鳥が鳴いているように見えるだろう。渚沙にしてみれば、元に戻っただけなのだが。
座敷童子期間には毎日来ていた和馬くんも、今日は来なかった。多分明日からも来ないだろう。完全に座敷童子パワーだったわけある。
それが切れたなら、和馬くんも別のものが食べたいだろう。コンビニに行けばいろいろなご飯が選べる。あびこ周辺にはローソンとセブンイレブンがあるし、商店街に行けば他の店だってあるのだから。
飲食店を経営する渚沙からすれば、和馬くんが美味しいものをお腹いっぱい食べてくれていたらなと思ってしまう。美味しいものは人を幸せにするから。
そうして英気を養い、また学校に行ける様に元気になれば良いなと思う。
渚沙は、学校に行きたく無ければ行かなければ良いのでは、と思ったりもする。いろいろなものに向き不向きがあるのだから、学校だってそうだ。渚沙は幸い学校にはそれなりに楽しく通えたが、そうで無い子だってたくさんいると思う。
学校を楽しいと思えることは、ひとつの僥倖なのだと思っている。学校は基本勉強をするところ、集団生活を学ぶところ、人間同士の触れ合い方を養うところだと思う。人によってはそれにそぐわない場合だってある。それがストレスになり、巧く解消できなかったら積もりに積もって爆発して、精神のバランスや体調を崩してしまう懸念だってある。
イフを言い出せばきりが無い。そう思うと深く考えずに行動できることは、ラッキーなのだなと本当に思う。
和馬くんの場合は、あくまで想像でしか無いのだが、母親からのプレッシャーなのだろう。しかし、親が子どもにある程度の期待を掛けてしまうのは、致し方無いのではと渚沙は思う。
極端なことを言うと、「ただ元気でいてくれれば良い」も期待のひとつではある。とは言え、怪我や病気をしないで育つ子どもなんで皆無に近いのだが。
その期待が大きくなればなるほど、それを子どもが感じ取れば取るほど、子どもへの負担は大きくなってしまうのでは無いかと渚沙は思うのだ。
要はバランスなのだな、と感じる。親の期待を受け止める度量が子どもにあるか。酷だろうか。
「なぁ、弘子おばちゃん」
「ん?」
弘子おばちゃんは今日も、店内でポン酢マヨネーズを塗ったたこ焼きを、スーパードライの缶ビールで楽しんでいた。
「おばちゃんてさぁ、息子さんに何か期待とかしてた?」
「期待て?」
「こうさぁ、育てながらこんな風になって欲しいとか、こんなんになって欲しいとか」
「あー」
弘子おばちゃんはごくりと缶ビールを飲みながら、考える様に天を仰ぐ。
「うちはひとり育てるだけで精一杯やったからなぁ。とにかく大きな問題があらへん様にってそんなんばっかり思っとったかもなぁ。でも保育園とか幼稚園に預けとったら病気せん子はおらんからな。そうやって免疫付けてくもんやし。怪我もな、砂場で遊んどるだけで擦り傷とかできるもんやし」
「そうなんや」
「そんなもんや。せやからとにかく大きな怪我はせんでくれ、大きな病気にはならんでくれ、そんなこと思っとったな。幸いあれへんで大人になってくれたから、ほんまにほっとしてるわ」
「やっぱり親としては、健康とかがいちばんやろか」
「そりゃあそうやろ。でもな、親も贅沢になるもんでな、子どもが元気で自分やお金に余裕があったら、もっと、もっと、って思ってまうんやわ。ええ例が習い事やな。子どもがやりたい言うて通わすんと、親がやらすんは全然ちゃうやろ」
「そんなもん?」
「そんなもんや。例えばフィギュアスケートとかピアノとかな、親がやらせたとして、子どもが嫌やて言うた時に、親がそれを聞いてくれるか、無理に続けさせるかは、全然ちゃうやろ。今の時代、無理にさすんは虐待っちゅうんか? そんなんになるやろ。そりゃあ子どもの好きばっかりにはさせられへんけど、子どもにかて思うことはあるんやから、ちゃんと聞いたらなあかんわな。それができひんかったら、ただの親の独り善がりや。子どものことを思ってっちゅうんは分かるんやけどな」
これができたから、では次はこれをさせてあげよう、これをして欲しい。それも確かに親の愛なのだろう。今、スポーツでも芸術でも、世界規模で活躍している人がたくさんいる。そんな風になって欲しい、もしくは自分ができなかったから、せめて子どもには、と。
事情や思惑はいろいろだろうが、それは子どものためだと言う偽りの無いものである。だがそこに子どもの意思が介入するかしないかは、確かに大きい違いなのだろう。
和馬くんの場合はどうだったのだろう。渚沙は今更ながらに気になってしまうのだった。