(短編小説)バーの特別焼きうどん<前編>
こんにちは。ご覧くださりありがとうございます( ̄∇ ̄*)
こちらも過去に書いた、短編のご飯小説のリライトです。
前後編になります。
さくっとご覧いただけますので、お楽しみいただけましたら嬉しいです。
バーのモデルは、いい奈さんがかつて行きつけにしていた地元のバーです。
今は離れてしまって、なかなか行くのが難しくなりましたが。
(マスターさんお元気かしら)
ジャック・ダニエルのキープボトルに、くまチャームを付けていたのはいい奈さんの実話です。
そのチャームは買ったものではなく、他のご常連にいただいたものなのですが。
その節はありがとうございました。
当時若かったいい奈さんは、ありがたいことに歳上のご常連の方々にかわいがっていただきました。
今でもええ思い出です。
バーの特別焼きうどん <前編>
「バー マルハル」は、昭和の風情が残るウィスキーバーだ。紗江李の行きつけで、ジャック・ダニエルのボトルキープまでしている。もちろんショットでも同じものがいただける。
カウンタだけの奥に細長い店で、使い込まれた木製のカウンタはすっかりと飴色に染まり、壁を飾る木材も同様だった。だがそれが緩やかに落とされた照明と相まって、シックな風情を醸し出していた。
古いと言ってしまえばそうなのだが、掃除は綺麗にされていて、会話を邪魔しない音量でゆったりとしたジャズが流れるこの空間は、紗江李にとってとても落ち着くのだった。
マスターさんによると、25歳の紗江李が産まれる前からあるバーだということで、この年季も頷ける。
「紗江李さん、いらっしゃい」
初老の品の良いマスターさんに微笑みで迎えられ、紗江李は「こんばんは」と応えながらカウンタに着く。
店内の混み合いは程よく、お客どうしが1席ずつ空けながら掛けている。ほとんどがおひとりさまで、1組だけカップルがいた。
このバーは住宅が多い街の駅前にあって、お客のほとんどが地元にお住まいのご常連だった。なのでほぼ皆さん顔見知りだ。この店でお付き合いが発展して結婚されたご夫婦もいるほどである。
紗江李の両隣のお客も顔見知りである。「こんばんは」と声を掛け合いながら、紗江李はぺこりと頭を下げた。
紗江李にはこの「マルハル」でのルーチンがある。紗江李は出されたおしぼりで手を拭きながら、マスターさんに注文をした。
「マスターさん、まずはお冷をお願いします」
「はい。お待ちください」
ほどなくして、紗江李の前に木製コースターと、なみなみと氷水が入れられたタンブラーが置かれる。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
紗江李はさっそくグラスを手にすると、中身を一気に流し込んだ。きんと冷えた水が染み渡り、喉を潤しながら身体を冷やして行く。
「ふぅ」
グラスをコースターに置き、紗江李は息を吐く。
今はうららかな春で、外気もだいぶん暖かいものに変わって来た。だが紗江李は真冬でもまずはお冷だ。目的は水分補給である。
水分が足りていない状態でアルコールを入れるのは身体によろしく無い。早くに回ってしまい、ゆっくり楽しめなくなってしまうのだ。
意識高い系の麗しいお嬢さんなどは、こういう時はきっとお白湯を飲む。だが熱いお白湯をふぅふぅ冷ましながら飲むなんでまだるっこしい。手っ取り早く一気飲みできるお冷を、紗江李は好んだ。
一息着いたらお次は。
「マスターさん、ハイボールと焼きうどんをお願いします。お醤油で」
「はい。お待ちくださいね」
マスターさんが背後を振り返り、壁一面に設えられた棚から紗江李のジャック・ダニエルを取り出す。続けて少し腰を屈め、カウンタの下から氷が詰められたタンブラーと炭酸水の瓶を出した。
タンブラーにジャック・ダニエルを注ぎ、炭酸水を静かに注ぎ入れる。マドラーでステアして、氷だけになったグラスと取り替えてくれた。
ジャック・ダニエルはアメリカを代表するテネシーウィスキーである。木桶に詰めた楓の木炭で、1滴1滴チャコール・メローイングする製法が、創業以来取られているテネシーの特徴である。
バニラやキャラメルなどの香りがほのかに立ち、まろやかな味わいである。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
次にマスターさんはカウンタをぐるりと見渡して、小さく頷くと奥の厨房に消えて行った。
このバーはマスターさんがひとりで切り盛りしている。ご常連が飲まれているタンブラーの中身が少なくなれば、常に店内に気を配るマスターさんがお代わりを聞いてくれる。欲しいと返事をしたらマスターさんが作ってくれるのだ。
マスターさんが見回したのは、今おられるお客のタンブラーだ。少なくなっているものは無いか。あれば厨房にこもる前にお代わりを作って行く。今は大丈夫だったのだろう。
とは言えマスターさんが手ずから作ることに固執しているわけでは無い。マスターさんがカウンタにいない間に無くなれば、お客が勝手にお代わりを作って飲んでいる。
このバーではウィスキーを水割りでゆっくり嗜むご常連が多く、それぞれのお客の前にはロックアイスが入ったアイスペールと、ミネラルウォーターの瓶が置かれている。
中にはお湯割りを好まれるお客もおられ、その場合は保温できるポットが置かれる。ロックがお好みならアイスペースのみだ。
紗江李はこの「マルハル」に来るのは、毎週金曜日と決めている。
紗江李の会社は週末に業務が集中することが多い。
月曜日から木曜日はほぼ残業も発生しないので、帰宅して簡単なものを作ったり、お惣菜に頼ったりするが、金曜日は激務になって残業をする羽目になり、体力と気力がごっそりと奪われるのだ。
紗江李が今日「マルハル」のドアを開けたのも、21時を回っていた。
だから紗江李はこの「マルハル」で唯一の食事メニューである焼きうどんをいただき、そのあとはゆっくりとお酒を楽しむのだ。