エディアース~作成現場のウラ話~
#エピソード1 :エディアース/Edy_earth誕生の由来。
皆さん、ここまでたどり着いてくれて、
本当にありがとうございます。
心から感謝です。
ここでは、
インスタグラムの自己紹介の中では
語りきれなかったことや、
制作の裏話など、いろいろ折り混ぜながら、
エディアースの世界をたっぷりと
ご紹介していきたいと思います。
楽しんでいただけたら、
めっちゃ嬉しいです!
記念すべき第1回目は
表題の通り、
エディアースの名前の
由来についてのお話です。
はじめてこの名前を見たときは
外人かと思われた方も
多いのではないでしょうか?
でもれっきとした
日本人のアラ還おじさんです。(えへへ。)
必死の毎日
さて、話はさかのぼること2018年、
家族は私と家内と3人の息子の5人暮らし。
私は家計を支えるために
2つの仕事を
掛け持ちしていました。
朝7時に家を出て、
帰り着くのは夜10時ごろ。
午前中にアルバイトをして、午後は本業と、
一般の方からすれば、
一見変わった仕事の仕方をしていたと思います。
午前中の仕事は
アルバイトとはいえ、仕事は山積み。
時間までに終わらせないと、
本業に間に合わない状態で、
毎日必死に進めました。
しかし、急いで焦っているときに限って
イレギュラーが発生し、
その対応に追われるといった毎日でした。
多忙の末
そんな中で
日々忙殺(ぼうさつ)され、
変調をきたした私の心臓は
不整脈発作という悲鳴をあげ、
ついには心房細動手術を
うけることになりました。
入院して
手術を受けるまでの数日、
暇つぶしに
美大時代(そうなんです、私、美大を出てたんです。)
を思い出しながら、
スケッチブックに鉛筆で
みかんの絵をかいてみたところ、
看護師さんや、
ソーシャルワーカーさんたちの目に留まり、
大絶賛を浴びることに。
自分でも忘れていた宝物
それがきっかけとなり、
退院後も、
乾いていた創作意欲を
掻き立てられた私は、
むさぼるように
次々と鉛筆画を描きまくり、
自分の絵に対する情熱を
取り戻していきました。
しかし
そんな私も
やがて数人の人に
見てもらうだけでは飽き足らず、
この絵を
もっとたくさんの人に見てもらうには
どうすればいいかと考え始めました。
あれこれとおもいあぐねた結果、
とりあえずSNSでも
始めてみようと思い立ち、
そこでインスタグラムを
スタートさせました。
その後、
ハリウッド俳優とか、
有名な役者の似顔絵を
鉛筆画で描いて投稿してみたら、
思いのほか反応が良く、
投稿するごとにフォロワー数が伸び、
あれよあれよという間に
1000フォロワーを超え、
個人のアカウントにしては、
かなりバズっていたんじゃないかと思います。
現実
しかし、
現実はそこまで甘いものでは
ありませんでした。
仕事復帰した私は再び
忙殺の日常へ舞い戻ることに。
仕事に子育てにと
私は
またもや、多忙に追われる日々の中で
絵の道から遠ざかることに
なっていきました。
それでも、
子供のころから
絵を描くことが好きだった
私の心の奥底で、
いったん再燃
した絵の情熱は消えず、
もっと絵が描きたい。
絵を描く時間が
もっともっと欲しいと
思うようになり、
この状況から
どうにか抜け出せる方法はないか、
何かこの道で生きていく方法はないかと
妄想ばかり膨らんでいきました。
自分の中で膨らむシンデレラストーリー。
けれど、
こんな50過ぎのおじさんに、
どこかの誰かが手を差し伸べてくれるなんて、
夢のようなことがあるはずもなく、
悶々とする中で、
何か自分で行動を起こすことを
考え始めていました。
もし、自分が事業を立ち上げたなら、
どんな名前がいいだろう、
考えるだけならタダだし。…と。
あれこれ3日ほど悩み、
考えて、考えて、考えて…
絵で癒す
忙しい毎日を送る人たちに
絵を見てもらい、
心を癒してほしい。
という思いを名前にするのは
どうだろうと考え抜き、
『絵で癒す』を
もじって『Edy_earth』(エディアース)と
横文字にしたら思いのほかカッコ良くて、
我ながらいい名前だとすぐに気に入り、
それ以来この名前を使っているというわけです。
いかがでしたか?
私とエディアースの挑戦は
まだまだ道半ばですが、
皆さんのところへ
この思いがお届けできたなら
最高です。
今回の話についてや、
こういったことを聞きたいなど、
皆さんのご意見やご感想をお寄せください。
最後までご覧いただき
ありがとうございます。
ではまた、次のエピソードでお会いしましょう。
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