Netflixドラマ『マニアック』批評 トラウマ、めまい、データ経済で読みとく
映画、ドラマ、ゲームに触れて、目の前に映っているのはフィクションであるはずなのに、自分の心の中をのぞいているような錯覚におちいる。妙な「リアリティ」を感じてしまう。そんな経験はないだろうか?
私たちは画面に映るものを見ている、という客観的事実は揺るがない。
画面を見るという行為は、画面に映るイメージを見ているだけではなく、そのイメージを自分の脳内で組み換え、解釈や思い込みも交えた自分にとっての「事実」を見ている。 そんな客観的事実と主観的事実の曖昧さテーマとし、画面の向こうの登場人物たちも、それにとらわれていく様子を視聴者に突きつけるのが本作だ。
つまり、「私たちも登場人物たちも、客観的事実と主観的事実が曖昧な状況で世界を見ている」というメタ構造になっている。それ故に、私たちの住む世界で普段経験するようなリアリティとは異なった、めまいのするような「リアリティ」を感じるのだ。
『マニアック』は2014年ノルウェー製作の同名ドラマをNetflixがリメイクしたリミテッドシリーズ。製作総指揮、全10話監督、脚本を務めるのは、キャリー・ジョージ・フクナガ。映画では、『闇の列車、光の旅』、『ジェーン・エア』、『ビースト・オブ・ノーネイション』などを監督。また、「007シリーズ」 次回作の監督に抜擢されている。ドラマでは、『TRUE DETECTIVE』の製作総指揮、監督を担当。
また、製作総指揮、脚本を担当したもう1人の中心人物は、ドラマ『LEFTOVERS/残された世界』にてプロデュースと脚本を務めたパトリック・サマーヴィル。
オーウェン・ミルグリム(ジョナ・ヒル)は大富豪ミルグリム家の五人兄弟の五男。精神を病んだことを機に、家族から疎外されている。彼は仕事を首になり、何もかもを失くしていた。失意の中で帰宅途中、突然、奇妙な男から、ある女性の家族の写真を見せられ、「お前は彼女といっしょに世界を救うことになる」と告げられる。また、他の奇妙な男から、「長い間仕事に就かないでいるとダメになる。ネバーダイン・バイオテックで治験を受けたらどうだ。世界を救う存在になるはずだ」との啓示も得る。それから、ネバーダイン・バイオテックにて、向精神薬開発の治験を受けることに。そこで、以前見せられた写真の女性アニー・ランズバーグ(エマ・ストーン)と出会う。オーウェンとアニーは、治験プログラムを通じ、精神世界を共有していく。
あらかじめ強調しておきたいのは、正確な解釈は存在しないということだ。一応、Vultureで全体を整理した素晴らしい解説もなされてはいる。しかし、その記事でも開けた解釈を推奨し、またフクナガもそう言及している。その前提に立ち、私は本作を読み解くキーポイントにトラウマを据えている。なぜトラウマなのか? オーウェン・ミルグリム(ジョナ・ヒル)、アニー・ランズバーグ(エマ・ストーン)、ジェームズ・マントルレイ博士(ジャスティン・セロー)ら3人がある過去の件から心に深い傷を抱え、以降、心・脳・身体に多大な影響を受けていると次第に判明していくからだ。
本記事では未見の人のためにも、ネタバレはある程度避けつつ理解の手助けとなるような見方や私の解釈は提示していきたい。
何らかの精神疾患を抱えた登場人物たちが、ネバーダイン製薬バイオテックに新しい治療薬のための治験に参加。具体的内容は、A、B、C三種類の錠剤を順に飲んでいき、それぞれの段階で脳波をAIが調べ、段階に応じて被験者の心の世界を彼らに見せる。Aはトラウマとなった出来事を見せる。Bは普段の生活では気づかないような潜在的記憶をもとにした情景を映し出す。最終段階のCは、心の中でトラウマを克服するための物語を投影する。しかし、治験の段階を経ていく中で様々なトラブルが発生。被験者の心の中を形成するAIも機能に支障をきたしていく。さらに、錠剤やAIの開発に関わったジェームズも、母親とのコミュニケーション不全により、母親代わりとして開発したAIをコントロールできなくなる。そういった一連の流れが、エピソードの進行とは同一の時系列で提示されなかったり、登場人物たちのいる世界が現実なのか心の中なのか、はっきりとは提示されなかったりする。そのため、1話1話複数回見ることもおすすめしたい。迷子になりづらくはなるし、作中に散りばめられた様々な描写がつながっていく状況に気づけるだろう。
主人公オーウェンの家では、「ミルグリム家の男は常にトップだ」、ということを家訓にしている。そのため、精神疾患で会社を辞めたオーウェンは、家族の一員として受け入れられていない。一家を描いた絵画の中にもオーウェンの姿はなく、小さい額縁に一人だけの自画像がある。同時に、オーウェンの兄ジェド(ビリー・マグヌッセン)はある容疑で裁判にかけられており、有罪か無罪かはオーウェンの証言にかかっている。そのときだけ父親や兄から都合よく「家族のために無罪と証明してくれ」と頼まれていた。そんな中、彼をミルグリム家の一員として認めたいと思っている人もいる。ジェドの恋人アデレード(ジェミマ・カーク)だ。彼女は、「オーウェンもミルグリム家の一員と認められるまで婚約しない」と誓っていた。
また、オーウェンは彼女を慕い、アデレードに告白めいたこともする。しかし、その後、オーウェンがジェドからミルグリム家の一員として認められる前に、ミルグリム家にてジェドがアデレードと婚約したことをオーウェンの目の前で発表される。その直後、彼は自宅屋上から飛び降り自殺を図った。
アニーはA錠を繰り返し服用している(本作で描かれる治験の前にどのようにして手に入れたのかは言及されていない)。なぜなら、妹のエリー(ジュリア・ガーナー)とドライブの途中、トラックと衝突したことでエリーを亡くした日を何度も夢見たいから。夢の中でなら会えるという妄念にとらわれている。
ジェームズの場合、描写の断片から察するに、母親の不倫により父親が失踪。それが原因で母親はジェームズの布団に入り、「首をつりたい」と告げた。セラピストである彼女がなぜそのようなことをこぼすのか、ジェームズはそれ以来「心について知りたい」という思いから神経化学者を志した。「人類は無意味で不要な精神の痛みから解放されるべきだ」という思いを胸に、A、B、C錠とAIを用いた治療法を開発するようになる。
そんな彼らは、臨床試験を経るにつれて、トラウマと向き合い、「どうすれば現状より少しでも前に進めるのか、もがき苦しむ。しかし、その先にはすがすがしいラストが待っている。
精神科医でトラウマの研究者ベッセル・ヴァン・デア・コークは、自著「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(柴田裕之訳、紀伊國屋書店)の中で、"トラウマは単に過去のある時点で起こった出来事ではなく、その体験によって心と脳と体に残された痕跡でもあることを私たちは学んだ。その痕跡は、人体が現在をどうやって生き抜いていくかを、引き続き左右し続ける"と述べている。これはまさしく、オーウェン、アニー、ジェームズら3人のそれぞれの悲劇的体験とトラウマが、その後の思考や行動パターンを決定づけていることにも当てはまる。さらに言えば、私たちのインターネット社会とも重なるのではないか? ブラウザから検索していく中で履歴が残る。それは記録され、ターゲティングされた広告やネットショッピングでのお気に入り商品が画面を覆いつくす。自分の本来の意志や好みによって描かれる主観的事実の世界が、アルゴリズムと融合した「意志」や「好み」に書き変えられる。第1話で言及される欲望管理局(市民の思考や行動パターンをまず記録。そこから各人の欲望が何なのかを計算し、個々人が潜在的に見たいとされるものを見せる政府機関。陰謀論上の存在とされている)という存在やそこと紐づくともとれる形で、作品内には登場人物の欲求を基にしたようなおせっかいなメッセージであふれかえる。トラウマというパーソナルでセンシティブなテーマを扱っているが、インターネットに個人情報を託した私たち全員に突きつける風刺でもあるのだ。画面を通じて「登場人物/自分は何を目にしているのか曖昧な状況」を見ると同時に、「プライバシーから立ち上がる個人の欲求を可視化した社会」も目にする。本記事の冒頭で説明したメタ構造とも重なる。
ただ、あくまでもこれは無数にある中の解釈の1つにすぎない。完走した人たちの中で話し合うのがベストだろう。
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