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勇気を見せた被害者、それを否定する学校の言葉
小学校のクラスでいじめが明るみになった時、担任の先生が加害者と被害者を呼び出し、加害者に謝罪をさせたそうです。その時点では問題が解決したように見えました。しかし、クラスのみんなが加害者K君を避けるようになりました。そこでなんと、被害者だったH君は、「これでは第二のいじめが始まってしまう」と感じ、勇気を出して周りの子たちに「みんなで遊ぼう」と声をかけたそうです。
H君のその一言で、クラスの子どもたちはK君とも遊ぶようになりました。被害を受けたH君自身が正義感を持って行動した結果、クラスの空気が変わり、K君も孤立せずに済んだのです。
しかし、後日保護者面談で、先生は被害者H君の保護者に驚くべき言葉を口にしました。
「そもそもK君のことが怖かったら一緒に遊びませんよね?」
これまでいじめがあったこと自体を否定するような発言をしたのです。さらに、管理職の先生方も「子どもが正義感や責任感で遊ぶ必要ありますか?」と言い放ちました。この言葉によって、H君が勇気を出して見せた正義感を否定するだけでなく、いじめが起きた事実そのものを曖昧になってしまいました。
H君の行動は、誰かに強制されたものではありません。彼自身が「第二のいじめをなくしたい」「K君を孤立させたくない」と思い、自分から動いたものでした。教育現場の先生が、その想いを否定するような発言をすることが信じられません。
学校がすべきことは、正義感を持って行動した子どもたちの勇気を認めることです。それをせず、問題をなかったことにしようとする言葉は、子どもたちをさらに傷つける結果になるのではないでしょうか。
H君の行動を評価し、その勇気を称える言葉をかけること。それが教育の場である学校の本来の姿だと思います。