兵庫県知事選挙でわかる諦めと絶望

最初に
このタイトルを読んで記事も読んでくださる方なら思うところは同じだと思います。ありがとうございます。

以降本文
ありえないね。
どう考えてもありえない結果が生まれたことに悲しみと呆れでいっぱいです。what an idiot!この数年色んなことがありました。それでもまだこの国は何とかなると思っていた。大衆が選挙を左右することも対抗馬に問題ありと噂されたことも知ってはいましたが、まさかという思い。これからの日本はどうなるのか真剣に心配してしまいます。有識者(知識人)がTVに出なくなりネットに潜むようになったが、絶対数も少なくなったと完璧に分かった。
そんなに判断に苦しむ選挙だったのだろうか。どうしても対抗馬が受け付けないという票があったとしてもここまでの結果になりにくい。2位と3位が協力しなかったのもよくわからない。そういう意味では当選者に大きな風が吹いたとてもやりやすい選挙でした。運が悪いです。

先の衆院選で宗教の弱体化は収穫の一つと述べました。議席を減らしたのはいいことだが、全然弱体化してなかった。参政党が議席取ってる地点で察するべきだったのかもしれない。維新の議席が減ってたので今回は大丈夫だと過信していたのが今回の絶望につながったのはある。壺は恐ろしい。

単刀直入に言うとあの方を自分の県の知事にしたいのかと問いたい。人から好かれてリーダーシップがあって政策を実現した褒められた人なのかというのを聞きたい。
多くの市長から嫌われ県職員や県議会議員とも対立してる人にリーダーの器は乏しいと考えるのが自然ではないかな?少なくとも彼らは我々よりあの人のことを間近で見てるから。擁護の声も上がらず、副知事も逃げ出したのに立候補するメンタルは見習いたい。
政策は利権云々や天下りがーというけど本当かな?それは信頼できるソースが事実として書いていたのか?単なるメディアの逆張り?所詮ネットで流れる情報を鵜呑みにするのとテレビの情報を鵜呑みで聞くのは同レベルのことです。

はっきり言います。顔を見るだけでも人の上に立たせてはいけない人だと考えなくてもわかる。目の奥を3秒でいいから観察することを勧める。嵌められたなんて嘘に決まってる。百条委員会の流れや選挙活動をみて、よく投票しようと思う。しかも維新でしょ。公益通報を無視するほど立派で、職員の死にも何も思わないほど冷静なら元総務官僚として大層なお仕事がなされるというお思いが強かったのですかな。私は人の死を適当に扱うような輩は大嫌いです。
対抗馬が弱いのも原因かもしれない。それは否定しない。確かにもっといい候補がいた可能性は非常に高い。そこに落ち度はあったかもしれない。それでも今回の選挙は何を目的としたものか、何でこの選挙があるかと考えるのが優先事項。いい対抗馬の擁立ができないというのは別に政治家だけの問題ではない。無関心を保ってきた国民も問題はあるだろう。
優しい人はムサシや期日前投票の不正があって、こんな結果になったのではということがあります。しかし、それにしても大勢が正しい判断ができれば不正があっても勝てるような選挙だと思うのですが。SNSに流されるレベルの選挙熱ということですかね。

兵庫の前の知事がどうこうというのもあります。兵庫近郊に住んでいないのでよくわからない。野々村竜太郎大先生も兵庫議会議員で、西村陣風林さんは兵庫の選挙区でしたね。今回も兵庫の問題で選挙戦の戦略にも問題があり兵庫の政治自体が悪いと考えられます。そんなことをいうと神奈川はどうなのでしょうか。他の県でも同様な問題はあるが、兵庫はあからさまに露呈しただけの違いだと思います。これからの知事選で似たような流れにならないことを祈ります。

政治教育をしなかったことが問題なのでしょうか。情操教育をしないこと、メディア・リテラシーがないことが問題でしょうか。ここまでの状態ならどうして教育をすることで成せることが増えるのでしょう。どうしたら教育を通して成長できるのだろうか分からなくなってしまいました。
まずは、市議会選挙や市長選が重要だと思うのです。自分の生活に直に関係して議会も監視しやすい市議会から政治参加を始めていければいい。政治参加という言葉がなぜか日本では忌み嫌われるようですが、政治に対して無知であることの方がよほど怖いです。何されるかわからないので。政治参加といっても活動家になるのではなく正しい情報を取得することや暇つぶしに議会を20分見ることなど手軽なものと考えればいい。
道徳科は本当にやる意味があるのでしょうか。皆で意見を出し合うだけなら50分も時間を使うことがないと思うのです。哲学を教えたり歴史を市民の目線から考えたりスポーツレクの企画運営をさせたりするなど他の有意義なことに時間を割くことがいい。形骸化されているものほど無駄なものはない。
メディア・リテラシーですが、情報の科目を今さら取り入れていてセンター試験にも情報の試験がまだないような国です。それでも最低限の情報の取捨選択やサイトの使い方は教えられます。それは教科書に準拠した学びでなく自分の経験や一般良識に準拠した学びです。教える側が歪んだ情報しか受け取っていないという指摘が入ると反論は難しい。それなら情報専門教員を外部講師として数時間指導していただくのが一番よい

騙す人間も悪いが、騙される人間も悪い。
ある人の言葉です。一昨日まではいいすぎな言葉だと思ってましたが、案外当たってる言葉。騙される側が学習すれば次は騙されなくなるという意味ではこの言葉は正しい。

総裁選だけでも決選投票で過ちを引かなかっだけ良かったのでしょう。相対的に自民党議員が良い人で賢い人に見えているこの数日間。