グレタさんのスピーチから見る、子供の導き方
グレタさんのスピーチが話題になりましたね。
ネットの意見を見ると賛否両論のようです。
スピーチ内容の是非はともかく、『教育』という視点からこの話題について所感を述べたいと思います。
スピーチ自体は大成功
スピーチの目的を考えると、グレタさんは本気で環境について危惧しており、何か変えたいからスピーチを行ったわけです。そして、多くの目の人に触れた。だから日本でも話題になったわけです。
話題になったということはすなわち、スピーチがみなさん届いたということです。これは大成功と言っていいと思います。
教育的視点で言えば、スピーチをする子にあのような発表の指導をすることはまずないと思います。
なぜなら、あのやり方は明らかに敵を作るからです。
スピーチは本来、聞き手の同意を得るために工夫して発表するものです。しかし、グレタさんの演説は攻撃的で、学生のスピーチとしてはお世辞にも模範的とは言えないでしょう。
ですから、同意を得るためのスピーチではなく、インパクトを残すのが主目的だったと思われます。
そういう視点でいえば、大成功です。
16歳のスピーチとして正しいか?
結果、多方から攻撃的な意見が出てしまいました。
教育現場としては、これは一番避けたい事象です。
情報化社会では、いじめなどはもはや現場から始まるのではなく、SNSなどネット上で始まったり加速することは常識です。
ましてやグレタさんのスピーチは世界に配信され、大人子供問わず目にすることになりました。これはすなわち、全世界から攻撃を受ける可能性があるという事です。
そのような状況になるかもしれないスピーチは、教育的にはNGです。
まぁグレタさんは学校さぼってデモ?をするくらいですから、そこら辺気にしないのかもしれませんが。
いずれにしろ日本人でああいうスピーチができる人はまずいないでしょう。
自分の意見を持たない子供はとても多い
あのスピーチを本人だけで書いたのか?といわれると、おそらく違うと思います…大人の手が入っているはず。もし本人だけだとしたら、すごい宗教的なものを感じる。闇を感じる。
でも別に、やらされているような感じも自分は受けませんでした。たぶん好きでやってます。
で、日本の子供って、義務教育を終えて高校に行って、大学or専門学校or就職をする、というルートが確立されていますよね。そのルートに乗っているだけで、どこに連れていかれるかもよくわかってない子供がかなり多いです。これ、学力はあまり関係ないんです。
「いくのが当たり前だから」で、思考停止してる子供がほとんどです。親も同じですね。
なので、ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、自ら考える必要性が薄いんですよね。
考えなくてもレールは敷かれ、誰かが導いてくれます。「誰か」は、人ではないかもしれません。環境とかも含めます。
大人はそのレールから子供が外れる事を(本能的に)嫌がります。なぜなら、自分でコントロールできる範疇を超えて欲しくないからです。超えることはすなわち、自らの手に負えないという事を示します。
ほとんどの大人が、「安定して、給料のいいところに就職して欲しい」と思っているのではないでしょうか。自然な感覚だとは思いますが、果たしてそれは本人のためなのか?本人から考える力を奪っていないか?
「もっと自分で考えてやってごらん!」と、子供に促す割には、そのレールを外れることは容認できない。ただでさえレールから外れようとするのが難しい(そうする必要性がない)のに、頑張って外れようとしたら「それはダメ」と言ってしまう…
これでは自主的に考える力を養うのは不可能に近いのではないでしょうか。
子供自らの意志を持たせるには?
手に負えない事を受け入れる事です。
大人がどっしり構えなきゃだめですよね。本人が挑戦したいことは、常識に囚われずやらせてあげる。
そりゃ無理だよ、と思う前に、「実現させてあげるためにはどうすればいいか?」を必死に考えてあげること。
そのためには、大人自身もレールから外れなければだめな時もあるでしょう。もちろん外れすぎて、誰かを傷つけたり、悲しませたりすることは防がなければいけません。
まぁ最悪就職できなくても、セーフティネットも日本にはあるし、なんとかなりますよ。
むしろ様々なことに挑戦してきた子供なら、どんな状況に陥っても這い上がる工夫や挑戦ができるようになっていると思います。
なんの苦労もなく就職して、突然35歳ぐらいでリストラとかになった人の方がきつい気がしますよ。
大人がパートナーとして最後まで子供を支えてあげてください。それが、親のできる一番のことなのかなと思います。
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