小学校のプログラミング教育で身に付く力は、〇〇
もちろん持論なのでこれが正しいと思わない人もいるだろうが、表題の答えは国語力だと思っている。
プログラミングは機械への命令なので、要は『言葉』だ。相手が機械なので、曖昧な表現は通用しない。
何に対して、いつ、何を、どれくらい、どうするか、といった命令を正確にしないと思ったように動いてくれない。
最近は日本語でプログラムを書けるような、小中学生向けのビジュアルプログラミング言語がたくさんある。これらは英語を覚える必要がないため、アルゴリズムさえ考えればいいようになっている。
このアルゴリズムは論理的に考える必要があり、国語力を伸ばすことになる。プログラミングは何となく理系のイメージがあるかもしれないが、それも間違いではない。
プログラミングでは数学が必要となるケースは多々あるが、プログラミングを勉強することで身に付くのではなく、プログラミングをするために数学を勉強するから身に付くのだ。
そう、ここがプログラミングを学ぶ大きな意味でもある。
中学、高校と数学を学んでいて、これが何の役に立つのか全くわからなかったと思う。しかし、プログラミングではものっすごい頻繁に数学が活躍してくれる。
つまり、プログラミングを学ぶことで、実用的なものとして数学を捉えることができるのだ。
「数学は役に立たない」という考えは、プログラミングをしている人は誰も持っていないと思う。
高校三年で習う「行列」なんて、こんなの何の意味があるの?と軽視していたのだが、まさかプログラミングでこんなに使うと思っていなかった。
ベクトルや三角関数、素因数分解などなど、日常生活とは関係なさそうなことはプログラミングで大活躍する。
いや、まてよ?数学の先生からそんな話聞いたことないぞ?
当然である。数学教師でプログラミングができる人を見たことがない。つまり、数学の教師は数学を実際に日常生活で使ったことがないのではないか?という疑問まで持ってしまう。
数学の教師は数学が好きなんだと思うが、それが何の役に立つのか、どのような場面で使うことがあるのか、まで生徒に伝えられていないように感じる。
勘違いしてほしくないが、本当に学校の先生はよく頑張っていると思っている。批判をしたいわけではない。先生に対する生徒の人数が多すぎるのだ。やっと40人学級が35人になったが、それでも多すぎると思っている。
私の教室は最大で5人までしか見ていない。もう少し増やせるかもしれないが、一人一人にしっかりと指導するにはこれ以上増やすのは得策でないと判断しているためだ。
学校の先生が、教科の楽しさを教える以前に教室運営をやっていくだけでいっぱいいっぱいになるのはよくわかる。
学校の体制そのものが変わらないと、いつまでも教育環境は良くならないように思う。
いつも表題からだんだんと離れた話題になってしまうので、今日もこの辺にしておく。
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