それしかやることがない、という理由。
もし、わたしが、
母がいまも生きていて、父も幸せな家族に育って、長生きして好々爺になるような苦労のない人間だったら
わたしは毎日のんびり花を相手にして暮らしていただろう。
もし、地球の気候が
ずっと安定していて、
飛行機に乗っても車にのっても、好きなものを好きなだけ食べて、買って、世界中のものがぽちっとするだけですぐに届いて、と私たちがやっていても何の影響もされず、地球上のすべての人が幸せであったら
わたしは毎日のんびり花を眺めていたかもしれない。
でも、私の母は、若くしてガンで死に、父もガンで死んだ。
そして、地球は、人類が使った資源の大きさとそれによって排出されたガスやゴミで、私たち人類と、それ以外の生命をひどく脅かし、
あと10年もすれば、安心して暮らせるところがなくなってしまうか、それを争奪するような悲惨なことも起こりうるわけで。
昨日、この方の記事を読んだ。
グレタ・トゥーンベリさん。世界的に有名にもなり、おかしいとか、大人に操られているとか、ある組織の、、とかいろいろ言われている。
いやいや、そんなことでここまでできるか本当に考えて欲しい。
国のトップの人たちが、たった15歳の少女を非難する。
それだけでもその暴力性に私は毎回泣く。
彼女だってけしてしたくはないだろう。もっと違う生き方をしたいもあるだろう。
しかし、やめられないのだ。
わたしも彼女の足元にも及ばないが、やめられない。
そしてやめたら後悔する。
ただ、それだけだ。
そして、
私たちには希望がまだある。
これはプロジェクト・ドローダウンの創始者ポールホーケンさんがはじめた新しいプロジェクトRegenerationである。
ビル・ゲイツの書いた気候変動の本も読んだが、テクノロジーで解決すれば良いという部分が大きく、わかりやすくてよかったのだけれども、全部に合意はできなかった。
それはなぜか。
私たちは、地球の一部であり、自然の一部であり
二酸化炭素、炭素は、生命エネルギー循環のためのひとつの物質である。
そこには生命の織りなす豊かで複雑なタペストリーがあり、それらはすべてつながりあっていて、切り離されては生きられない。
そもそも、私たちは私たちだけの力で生きているのではないからだ。
豊かで美しい世界を、このまま保ち、その中に私たちの子孫がいつまでも生きていくことを心から願っているし、
わたしがやることは
もうそれしかない、
と思っている。