絶望と痛みの向こうに希望を見ることといったら夫が面白い顔をした話。
これからの人生、なにしよっか
的なことを(もちっとシリアスかもだけど)
していたら
夫があやの場合はなんなの?と聞いた。
得意なこととか、ほんとうに分かち合えることって何?
(とある方の言葉を引用していたけど忘れた)と聞かれたので
絶望と痛みの向こうに希望を見ることかなあ〜〜と
ふつうのテンションでかえしたら
「それすごいあやっぽい」といって爆笑しながら
小学生男子がはしゃぐような顔をして喜んでいた。
びみょ〜。
だって、絶望と痛みの向こうって
そういう顔?
そうなんだ、おもしろい。
それが数日前の夕食時の会話だった。
地球温暖化(もはや沸騰化)による気候変動の話のスライドを
(JACCAさんの資料 が秀逸。だれでも使える)
使って現状をお話すると
みんな、どんどん顔が暗くなる。
お先真っ暗だよ。
ほんとうにまずい。
ということがひしひしと伝わってくる。
そこへ
地球再生型生活記 に書かれている、人間の可能性や
最近の私をささえている
ポール・ホーケンのリジェネレーションの一節を紹介する。
「人がいまここにいるのは理由がある」
そうだ、
人が再生者としてあれる可能性を
私たちは持っている。
とてもじゃないが
いまの地球上で行われていることを見渡すと
そう思えないことばかりだ。
でも、私たちには可能性がある。
その可能性に向けて生きたい。
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