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からくれない日録 2025年1月

2025年1月31日(金)
ああ、もう2月になってしまったけれど、日記は次の日の朝日が昇るまでにかけばいいのだ。

今夜は京都で歌人の集まりの理事会。今年の活動についてあれこれ意見を出し合う。理事会のあとは飲み会。ビールと焼酎を少し飲む。なぜか居酒屋のお酒は酔わない。きっと水で薄めてあるんだとおもう。しらんけど。

飲み会で「普通のひとでいたい」って、おもわず言ってしまったけれど、もれなくわたしも普通ではないなとおもいながらJR京都線に揺られている。
ほんと、なんで人間なんか好きになるのだろうね。
馬になりたい。
あれ、やっぱりほんのり酔ってるか。
家までたどりつけるかな。



2025年1月30日(木)
いつものことだが1月をぼんやり過ごしすぎる。そのせいでいま、慌てている。昨夜は金縛りにあった。金縛りってなんだろう。いまだに分からない。昨日は背中に何かが張り付いている感覚で動けなくて怖かった。

久しぶりに佐竹彌生を読んでいる。
20代のときにであってから、もう何度読んだか。読むたびに、魅力が自分のなかで更新されていく。

濁りそむ桜の空を鳥わたりわれにはかえすあそびもあらず
いくひらの雪を得るとう あおき掌に花序のごとくに移る火のあり
                佐竹彌生『雁の書』

桜が咲きみちている空。春の霞なのか。それとも心を映しているのか。鳥はのびのびと渡っていくのにわたしには見せてあげる「あそび」さえない。という読みでいいだろうか。「かえす」に迷う…
次のうたは掌の上の連想だろう。雪をうけている掌は「あおき」存在で、そこにはやがて花序のように火が広がることだろう、と読んだ。

佐竹彌生『雁の書』 昭和46年 短歌新聞社発行

古本なので、状態はかなり悪いのだがサイン入りの『雁の書』。白い表紙で赤の遊び紙が前後に入っている。
昭和46年刊行の歌集。50年以上経っても褪せていない。むしろ輝きを増している。

いよいよ2月がやってくる。
明日は花を買ってこよう。
2月はわたしにとってちょっと辛い思い出の月だから。


2025年1月29日(水)
風が強い日だった。母の施設はインフルエンザ蔓延のため面会禁止なので、向かいの母の家に行く。ちょこっと掃除。まったく片付かない。
母の本箱には私の部屋から持ち出した歌集が少しある。稲葉京子、斉藤史、島田修三、春日井建、岡部桂一郎あたりはほとんど。
文庫や全集があるからいいけれど…やはり歌集単位で読むほうがいい。

  八十余年たどきなく来てなほつづく日々つらぬけよ 一声の笛
               齋藤 史 『秋天瑠璃』

「一声の笛」は、みずからの身体そのものともとれるし、遠くから聞こえる未知の声、あるいはずっと聞こえ続けている天空の声の源かもしれない。
結句にこれほど広く深い世界が含有できるのも、四句目までの生の声があるからだろう。

毎日、夜までばたばたと過ごし、最近はやっとゆっくりできる頃には目がしょぼしょぼ、体力も残っていない。どうなるんだろうと不安におもっていたら、これは80歳過ぎてもまだ続くらしい。還暦まぢかと騒いでいる私はまだまだ未熟ものということですね、齋藤史さん。

渋沢孝輔の帯より
 〈残生〉の幽暗と孤愁の中でも慌てず恐れず、来世を頼むでもなく今のその境を涯まで歌うはげしい覚悟が、日常の平静燈明な姿勢と化している。国の歴史の翳りを負い、当代への憂いも深いゆえに、真実在に向けていのちを曝しきって咲くつよく艶なる花と言うべきか。

装幀の瑠璃色がいまも褪せない



2025年1月28日(火)
午前中は歯医者。そのまま銀行にいくはずが、失念して帰ってきてしまい、自分でもびっくりする。
だいたい、一つのことをすると、もう一つを忘れる。鞄も一つ持つと、もう一つを忘れる。人間ってそんなもんやよね?
気を取り直して午後イチで銀行へ。小切手やら手形やら、いまだによくわからない。(仕事がよくわかっていない)

隣の一軒家が大人12人泊まれる民泊になってから2ヶ月。さいきんは中国の春節の時期にあたるせいで、十数人の中国人が数日ごとに入れ替わりやってくる。
いつお掃除しているんだろうと勝手に心配している。このおせっかいも、いいかげんにやめたい。
今日も夕方になって、大人4〜5人と子供10人近い人が到着。
玄関先でばったり出会ったのだが、どんな顔をすればいいのか分からず。
こんどニッコリ笑って挨拶してみようかなあ。

苺がおいしい季節となりました!



2025年1月27日(月)
今朝、またしても抜歯。これで長年の偏頭痛がなくなるならと耐える。
なくならないなら、暴れるからね。さすがに午後はぐったりしてしまった。

とある締め切りが1週間のびたと連絡があり、すこし息を吹き返す。夕方、窓をあけたら雨が降っていた。


自分の顔を鏡でしか見たことがないけれど、よほどよくある顔なのか、
声をよくかけられる。
それに、驚くことに、ほんとうにありえないことに、
今年に入って2回、「長谷川さんですか」と声をかけられた。
2回目は今朝、歯科医院を出た商店街で。

さすがに長谷川さんが気になり始めている。

もう1回はお正月のニューイヤーコンサート開演前に隣席のひとに。
あの時は、とっさに「違います」と言ったけれど、コンサートのあいだずっと気まずかった。でも、とても上品な方で、帰り際に「ごめんなさいね」と謝ってくれたからいいや。

とにかく、どこかの長谷川さん、おやすみなさい、。

2025年1月26日(日)
大正ヨリドコマルシェに参加。短歌のワークショップを開く。染野太朗さんと一緒に昨年の7月から始めている。
こうしなきゃ、こうあらねば、という縛りのない活動。
だから、都合がつかなければお休みしてもいい。
気軽に始めたので、気軽に楽しめて、来てくれる方々ものんびりしている。
お店も、服や古本や占いや観葉植物やアクセサリーやクラフトコーラなどなど。

夜はNHK大河「べらぼう」を見る。今夜は花の井が出てこなくて寂しい。

永井陽子の忌日。うさぎ忌だと音が美しくないので、勝手に「ラビット忌」と名付けている。

  鳴るごとく撓ふがごとく今日の藍さびしきかぎり生きゆかむとす  
               永井陽子『樟の木のうた』


2025年1月25日(土)
今日は中之島歌会。12月は私の体調不良で休会してしまったので2ヶ月ぶりとなる。久しぶりに淀屋橋に行くと、交差点のビルの外側がすっかり出来上がっていてびっくりする。大阪万博までに内部も出来上がるのかな。

淀屋橋の交差点

歌会はお休みのひとも多く、14人。歌会としてはちょうどいい人数なのかもしれない。1首をじっくり読めた。
初参加の方が2名いたけれど、臆せず発言してくれてうれしかった。

わたしはドリンクバーのうたを出した。ドリンクバーはコワーキングスペースで利用する。飲みたいものがなかなか決まらないのがドリンクバーだ。
ドリンクバー。もうすっかり歌枕(?)じゃないかな。

歌会のあとの喉を潤す会も、楽しかった。
歌会は飲み会も込みで楽しい。


2025年1月24日(金)
どうなんだろう。おなじ業界で傷つけた人と傷ついた人が同居し続けるのは周囲も大変だ。人違いで傷つくひとも出てくる。見ていると、やっぱり自分と重ねてしまったりしてしんどいな。

おやつの時間をさいて、明後日にあるヨリドコマルシェの短歌ブースのため「うたみくじ」を作る。頭をからっぽにするのには、無心になれるこんな作業がいい。

夕方は永井陽子の連載のために歌集を読む。明後日26日は命日だ。
最晩年のうたを読むと、強さと弱さが同居している永井陽子の心がよくみえる。永井陽子は卯年生まれ。うさぎは、見た目はかわいいけれど、けっこう気が強く、でも驚いたりして死んでしまうこともあるほどナイーブ。まさに永井陽子そのものだ。
にんげんは、憎んでも苦しんでも悲しくても、書いて忘れるのがいちばんいいと彼女のうたがおしえてくれる。うん。

  別れても別れてもこころの奥に覚えおくほどひまにはあらず
  完璧に人に負けたる日がをはり〈ぜつばう〉と書く書きて忘るる
  街角のたぬきなど連れいそいそと物見遊山に行かうではないか
  こころにもポケットがあるそのことを教えてくれたる白衣 夏の日
             永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』


2025年1月23日(木)
昨年末に知らないひとから銀行に振り込みがあった。
そこそこの金額だ。お年玉とは言えない感じ。誰?何?
自分が何かの報酬を忘れているのかもと暫く様子をみていたが何の音沙汰もない。無視できることではないので、今日、銀行に返金できないか聞きにいった。
通帳を忘れて(あほ!でもネットバンキングする今ではもう通帳という概念がなくなっていたの…)取りに戻り、再訪という無駄足をしつつ、何とか手続きをして振込元に問い合わせをしてもらえることになった。返事には2週間ほどかかるという。

帰ったら大掃除。ダスキンモップの交換日はいつも大掃除なのだ。
使ったモップは午後6時にドアノブにかけておくと、ママ友の高橋さんが新しいのと交換しておいてくれる。

ここのところ偏頭痛がひどい。月曜日に歯を抜いたせいか。
世の中が何だかさわがしいけれど、何事にも一喜一憂せずいたいとおもう。


2025年1月22日(水)
また折れた。
といっても今回は歯ではなくお風呂のブラシが。
数年、ほぼ毎日使っているからもう限界だったのね。今までありがとう。
しかし今年は折れる年やわ…気をつけよう。

今日はヘアカットへ。スタイリストはうちの兎男子と同い年だ。それにしてもうまい、というか、タッチがやわらかくて毎回感動する。そして一ヶ月たっても崩れない。カットだけじゃない、いちどシャンプーもしてもらったことがあるのだが、なんというか、表現するのが難しいんだけど、うまい。これは才能としか言いようがない。
それに加えて無口なのもいい。わたしは話をするのが苦手なので、わざわざ話しかけない。そうすると一言も口をきかずにカットが終わったこともある。それでも無愛想ではないし、むしろ感じがいい。

夕食は昨日のつみれスープの残り、そしてお粥。スープは二日目がおいしい。カレーとおんなじだ。


2025年1月21日(火)
歯を抜いた。

正確に言えば折れていた歯の根元を抜いた。ふだんから就寝中の噛み締めがひどく、奥歯がぐらぐらしてきたなと思った矢先、年始にボキッと折れた。あまりの恐怖と忙しさでなかなか歯科に行けず、今朝やっと受診した。レントゲンを撮ったあと麻酔、抜歯。そのあと仕事していたので夜にはちょっと頭痛がする。

夕食は鶏のつみれスープを作って食べた。スープを飲みながら、歯がなくなってしまったわたしの「噛み締め」はどこにいくんだろうと考えた。結論は出ない。明日からの体に聞いてみよう。

あと、今日は永井陽子さんのことで、いろんなひととメールや電話をした一日だった。命日まであと少し。
写真は部屋にいけているリューリップ。なぜか赤だけ伸びてくる。

  雑記帳さながら街は今日も明け今日も暮れチューリップひとつを咲かす
           永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』




2025年1月20日(月)
午後、隣町に見つけた古民家カフェ再訪。下の写真はシュークリームだけだけどこのあとドーナツも食べた。さいきんの私のドーナツ狂いもかなりのものだ。珈琲は深煎り。アラビアの食器でいただくとおいしさ倍増です。

一緒に行った友だちの〈ゆ〉さんはキュレーター並みに美術館に詳しい。どこかいい美術館はないかと聞くと大山崎山荘美術館をすすめられる。大山崎はサントリーの蒸留所に行ってしたたか酔った覚えはあるけれど美術館は行ったことがない。スマフォでみると1月から「松本竣介 街と人」が開催されている。おお、松本竣介。大好きな画家。3月に一緒に行く吟行会の候補にしてくださいと〈ゆ〉さんにお願いした。中公新書の『求道の画家 松本竣介』も再読しよう。

夕焼けをみながら帰宅。夜に「西瓜」の笹川諒さんから連絡があり、15号に大きなミスがあることを知る。ごめんなさい…。
いつになったら完璧な同人誌が出せるんだろう。日々の修行はつづく。

とれぽ珈琲にて


2025年1月19日(日)
京都では文学フリマが開催されていて、参加している短歌同人誌「西瓜」もブースを出していた。ただ、午前中に家の用事があったのと、最新号15号の発送作業で参加せず。ほかの同人たちが「西瓜」や歌集を売ってくれているのをSNSで見てありがたくおもう。

夕刻、雑誌社から3月号の初校が届きチェック。自分のうまくない文章、なんとかならんものかといつもおもう。
あとは20首連作のために作った60首ほどを、またどうにもならんなあと嘆きつつ眺める。これは明日に持ち越し。

今年は大河ドラマを見ている。自分が江戸だからではないけれど、どうも江戸から明治にかけてのドラマは好きみたい。以前に近松門左衛門をモデルにした「ちかえもん」も楽しく見ていた。
「べらぼう」第3回は本を手作りしているシーンがよかった。去年わたしも手縫い本を作ったのだった。楽しかったな。あと、「忘八(ぼうはち)」という言葉をひさびさに聞いた。遊郭通いをする者という意味もあるみたいだけれど、わたしは人間の道を外れた者というつもりで使っている。
忘八。だれもが、聞いて自分のことだとおもう言葉なんじゃないかな。



2025年1月19日(日) 日記のはじめに
さきほど日記を書こうと思いたった。それでさっそくこうして始めている。
何かを思いつくのはだいたい歯磨きをしているとき。
これもそろそろ寝ようかと洗面所に立ったときひらめいたのだった。
  *別のblogで書いていた日記の名前をこちらでも使うことにする。
  *月ごとに1ページにまとめる。
  *最新の日付は上にくるように書き足していく。
これが正しい書き方か分からないけれど、始めてみます。

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