なぬっ?ブルックナーですと!?
しょうもない前書き
確か今年の七月くらいだろうか。私はnoteにてブルックナーの交響曲について、記事を一つ掲載した。ブルックナーのキーワードで試しに検索したところ、おお、意外とあるやん!大体自分のものも含めて、三つ、四つと弾き出された。
それはいい。問題は記事の中身だ。曰く難しい、やたら長い、たぶんブルックナーって女にモテなかったんだろう、と、なんかこれ、人格否定やんと読んでいて落ち込むようなものがあった。
いや、わかっている、わかってますよ。ブルックナーの交響曲が難しいというのは、クラシックの初心者だった十九、二十歳の頃に感じてはいた。
やたら長いと言われるのも頷ける。習作も含めて十一作ある彼の交響曲は、同時代を生きたブラームス曰くウワバミのように長大と評された。たぶん、悪口かもしれないが。
女にモテなかったというのもこれは言い訳のしようがない。四十代、五十代の時に、十代の娘にプロポーズしたのも、ん?である?現在なら犯罪スレスレだ。
しかし、あえて彼のために弁護するなら。
基本クラシック音楽は、聴かない人にはどれでもとっつきにくいと感じられる。だけど聴き込むほどに魅力に取り憑かれるのも、このジャンルの強みである。ブルックナーなど正にその典型だ。
長大、長大と叩くが、弟子筋のマーラーもやたら長い作品ばかり作曲した。おまけに師匠よりも長いのに、彼の交響曲はかつてブームになった。私はマーラーよりも、芸術的には優れていると信じているが。
女運がなかったと嘲笑されるが、生涯独身だったのはブルックナーだけではない。終生のライバルだったブラームスしかり、夭折の天才シューベルトしかり、ベートーヴェンだって結婚できなかったではないか。優れた交響曲作曲家は独身と相場が決まってるのだ、たぶん。
そう考えると、ブルックナーって生前は言うに及ばず没後百二十年以上経った今日でも、その作品はおろかその人間性すらまだ正しい評価を受けていないということだろうか。
いや、そんなことはない、と、声を大にして言いたい。思えば交響曲第八番を初めて理解できた瞬間、彼の偉大さが腹落ちした。おかげで明けても暮れても第八ばかり聴くようになり、酔って家路を目指す時はよく脳内再生をしたものである。
とはいえ、クラシック愛好者はあの頃も少数派だった。その中から更に愛好者からも難解だと言われてきたブルックナーの交響曲、初心者だと輪をかけて敬遠されるんだろうな。
てなわけで、これはある日突然ブルックナーに開眼し今日においては狂人とまで化すほど彼の交響曲ばかり聴いている男の、極めて私的な何読まされてんだと呆れること請け合いなエッセイである。誰が読むんだよ、マジで。
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