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東京に住む龍 第七話 女神原宿に遊びに行く⑤

 三人の着物談義は続いた。胡蝶さんに、

「やっぱりお振袖が一番。この近くに着物のお店はないの」

「原宿の交差点近くに、少女趣味のアンティーク着物店があって、高校の頃から大好きだったんだけれど、去年の夏閉店したの。大好きな店だったので残念。この先の青山には呉服屋さんが幾つかあります。けれど大人向けのお店が多くて、入ったことがないのです」

 それから小手毬の振袖を扱ったのが、龍神社近くの商店街にある武蔵野呉服店という店だったことを話すと、そこに行きたいと母娘は目をきらきらして話を聞いて来た。

 いい加減皿の上のパンケーキは、チョコレートソースと生クリームにまみれたで萎んでいたのだった。

 武蔵野呉服店は、龍神社の御用命だけで成り立っているのではと、小手毬が疑問に思う着物屋だった。店はいつ覗いても店は閑散としていて、仕入や顧客訪問やら息子の運動会だとかで店を閉じていた。

 念のため店に電話をかけておいた。

 数年前三十代の今の主人に変わった。人間離れした寡黙な男だったが人間である。この店で辰麿の普段着である神主の白い着物やら長襦袢、神主の正装の束帯と直衣から、お坊っちゃんスタイルの外出用のお洒落羽織を作ったりしていた。婚礼の時の小手毬の女房装束もこの店で作らせた。貰い物やらリサイクルショップで、見た目だけで買ってきた着物の悉皆も、眷属が人間の姿で相談に行っているようだった。

 表参道の交差点近くの洋菓子店と和菓子店で龍御殿に戻ってお出しする菓子を買った。胡蝶さんは「家族のおやつにするのよ」と言って沢山買っていた。

 表参道から地下鉄に乗り最寄り駅に行き、武蔵野呉服店へ行く。相変わらずいつ建てられたか見当がつかない程古い店舗だった。木枠のガラスの引き戸から中を覗くと店内は暗く、置いてある商品も少ない。贔屓筋以外の入店を拒むようだ。ガラス戸を開け声を掛けると、人間なのに眷属より妖怪っぽい、若い腰の低い男が出迎えてくれた。振袖が見たいと言っておいたので、案内された店の奥の座敷には数十枚の振袖が用意されていて、目が眩むような色彩の洪水だった。

 原宿では、なんか違うという浮かない表情だった鬼百合さんが、畳に上に畳まれた振袖を開いて柄を見たり、羽織ったりしている。楽しそうに品定をしているのを見て、連れてきて良かったなと小手毬は思った。古典柄が多いのはこの店の真骨頂だな、オレンジ地に青い鳥が中に入った鳥籠の振袖を見ながら、こんな柄の名古屋帯が欲しいな、染め帯だったらお稽古に行く時にいいなとぼんやり考えていた。

 主人が鬼百合さんに、試しに羽織ったらと勧めたのは、赤と白の大胆な染め分けに、モダンな薔薇の染めに金の刺繍の施しされた振袖だった。百七十センチ越えのモデルのような彼女には、羨ましくなるほど似合った。近所のバスケットボール選手のお嬢さんの成人式用にどうかと仕入れて来た物だった。モダン過ぎたのがお気に召されなかったのか、保留になってしまった。

 多くの振袖を見せられても、何度も再検討される振袖が、小手毬もよく覚えている、婚礼の折に買わせなかった、黄色地に火焔太鼓の振袖だった。この振袖の太鼓は雅楽専攻に通う者から見れば、見栄をよくするために嘘があった。祖母や辰麿は着させたがった止めさせた振袖だ。あの世の住人達は、雅楽が好きで盛大に演奏されている。天国に二つある大学の一つは音大で、雅楽の学部が大きかった、素人でも嗜む者も多かった。鬼百合も篳篥をよく演奏し五節の舞も舞うそうな。それでこの黄色い振袖を買うことにした。どうやら火焔太鼓の柄をネタにしてみるみたいだ。振袖の八掛が共の染色でついていることを確認した胡蝶さんは、主人に、

「うちの方で仕立てますので、胴裏をいただけますか。それと同じ色の糸もありますか」

「正絹の手縫い糸ですか、それならご用意があります」

 主人はお丁場の側の棚を探して、振袖の地色と同色の昔ながらの紙の糸巻きに巻かれた糸を持って来た。胡蝶さんは手に取って改めると、一巻買うことにしたのだった。

 鳳凰鮨でスマホで頼んでおいた持ち帰り用の寿司を引き取り、三人は龍神社へ戻っていった。社務所にいた辰麿はパソコンを見ながら、うーうーと唸っていた。母娘は神社の境内を興味深く見て歩き、お社を覗く。

 社務所の隣の草叢から幽世へ抜け龍御殿の玄関に戻った。打掛をお引きずりにした山吹が、出迎えてくれた。御簾の下の大きな座敷の縁側寄りに茶卓と座布団を出して席を作り、今日は伊万里焼きの金彩の磁器のティーセットでテーブセティングをした。鳳凰鮨の握りやら、会席料理の様に飾りつけた和食とエスニック料理を、清水焼やマイセンの小鉢に盛ったものを茶卓に用意してくれた。小手毬さんのお振袖が見たいというので、お着替えの間の緑の着物を着た三人の眷属が、振袖と合わせる袋帯を座敷に持ってきて、畳の上に並べたり衣桁に掛けたり几帳台に掛けた。数えて見ると振袖が二十枚近くあった。座敷がぱっと明るくなる。

 二人は興味津々に見て回った。小手毬はあの世の振袖事情を聞いてみた。不老不死の世界では、振袖は第一子が十八歳の成人を迎えるまでは着れそうだ。母娘の振袖コーデも普通にあるそうだ。長い人生なので離婚もある、そうなれば未婚扱いになり、また自由に振袖を着ることができる。元から結婚適齢などなく、一万歳の女性が十八歳の男子と結婚ということがある所だ。振袖が着れる女性が半数以上は居るそう。振袖が好きすぎて、カジュアルに太物の木綿や紬の格子柄や縞も振袖に仕立てるそうだ。時には男性の振袖、小振袖くらいの丈のものが流行することもあるそうだ。

 男性の振袖は現世でも江戸時代のはじめにあったとは聞いていた、男の子の五つのお祝い着の袖は長いので、現世の男性にも振袖への欲求があるはずだ。それを禁止する人間は何なのだろうかと、小手毬は少し思った。面白いと思ったのは、絹と盛夏用の麻以外に木綿を振袖にすることだった、現世では振袖は未婚女性の正装なので、これはない。八百屋お七を真似て、本物の黄八丈は高価なので、木綿の格子の黄色地で大振袖を作り、赤の鹿子の手柄をつけた日本髪を結い、歌舞伎を見に行きたい。絶対に付いてくる辰麿は、品が良さげな羽織付の着物を着てくる、商家の若旦那みたいな着物コーディネートしかしないので。山高帽でも被せて明治時代に寄せるかと、想像して心の中で笑った。

 婚礼で着た大正アンティークと現代物の大振袖は、二人に感嘆された。染織に付いてはお着替えの間の眷属が質問を受けてくれた。改めて見ると、青い龍である辰麿の青の色、高校生の時祖母が買い、結納で着た吉祥紋の刺繍の赤い振袖。黒の総絞りに桃色、緑、紫、藤色、そしてピンクと色彩のバラエティーもあった。小手毬の好みで選んだのか。古典柄の物しかない。先程、武蔵野呉服店で見たモダンテイストのものはなかった。そう云えば地獄で見た着物は幕末の着物かと思うほど、歌舞伎衣装のような、古典柄しか目にしなかった。

「あら、これは天国の絹ではないかしら」

 胡蝶さんが肌触りを確認して示したのは、辰麿が婚礼のときに作った振袖の一枚だった。明るいクリーム色の地に、大きな牡丹と四季の花が散りばめられた柄で、糸目が薄く輪郭を感じさせない友禅だ。小手毬は思い当たった、正月明けに目白の先生の初稽古に行った時、この振袖を着ていった時、二人組の男性に声を掛けられた。一人は近くの呉服屋の主人でもう一人は京都室町の呉服問屋の社員だと名乗った紳士だった。この振袖に付いてあーでもないこーでもないと、路上でやり出したのであった。

「天国では天蚕。地獄では麻を天地開闢以来生産してきたのです。ここ三百年くらいはアメリカ天国から木綿を大量に輸入しています。地獄の工業地帯では化学繊維も生産されているの。

 これは天国のお蚕さんの糸で、天国で織られ染められた布だわ」

「ふぇー、どういう積りなんだ馬鹿龍―」

「青龍様のことだから何かお考えがあるのかも知れませんわ」

 寿司の皿を打掛を着た山吹さんが下げ、青山で買った和洋菓子を、伊万里の食器でアフタヌーンティーセットに仕立てたテーブルセッティングし直した。その間三人の眷属は振袖を片した。人払いをし鬼百合さんは先程と同じく結界を張った。

「鬼百合さんは病気で療養していたそうですが。全快したのですか、ずーと辰麿が私に会わせたいと言っていたのだけれど」

「へえー青龍さんが私と小手毬さんと。じゃーお待たせしちゃたわね。半年以上阿鼻地獄の温泉に行っていたの。あそこは外国人が立ち入れない観光地でとっても静かなのよ、父の古くからの友人の奥様が経営している、旅館に逗留していたわ、ここの幽世と同じで竹林の中にある料理旅館なのよ」

 この話はこれ切りとなった。

「小手毬さんは青龍さんのことはどう思っているの」

 胡蝶さんに聞かれて、小手毬は頭の中を整理しながら話した。言葉を封じられている。それを乗り越えて、自分の気持ちを伝えるのに言葉を選んだ。

「辰麿は身勝手な龍よね、自分は最上位の神だから従って当然と迫ってくるから、面倒。嫌いという訳ではないけど、恋愛対象じゃないかな。

 でも私、人生前向きなんだ。雅楽なんて奴の思惑に嵌って入学したのだけれど、割と器用に楽器演奏が出来るので、篳篥・龍笛・笙の他に楽琵琶と琴、琴は楽琴と和琴の両方をマスターしようと思っています。そのうち打ち物の稽古もする積り。私は天才肌の演奏家ではないの。私の周りや雅楽師には超絶凄い人がいます。一つの楽器で超のつく一流演奏家になることは出来ないけれど。一流の演奏家で何でも演奏出来る雅楽師になるつもり。毎日数時間練習していて、奴のことは放りっぱなしにしてるわ。

 まずは卒業コンサートに出ること、卒業後は雅楽団に入り、グループ活動ソロ活動をはじめること。女の同級生とグループを組むことも決めているの。

 来月ね、辰麿に和琴を買って貰うのが決まっていて、届くのがわくわくっ。中古だけど蒔絵が可愛いの、今楽器店で修理中なんだ」

 話しながら辰麿より雅楽だよねと思った。

「和琴といえば、父が昔、軟派するなら小型が良いよと、友人の天人に提案したとかしたとかしないとか」

「漢詩の朗詠の伴奏に、お友達と小型化して持ち運びに便利にしたと、お父さん言っていたわ。大してお話に差がないわ」

 胡蝶さんはくすくすと笑い出した。

「その話、古墳時代ですよね」

「いえ縄文時代のことよ、高天原が地上にあって、野守が高天原政庁の役人と黄泉の国の獄卒のバイトを掛け持ちしていた頃のこと」

「埴輪が膝に上に載せた小型の琴が起源ということに、現世ではなっています」

 三人で大笑いした。

 日が傾きはじめたころ、胡蝶さん母娘は龍御殿から帰って行った。振袖は早速仕立てて、天国でお友達との集まりに着て行くそうだ。

 

 

「龍君、これ辰麿。

 クリーム色のお振袖何だけど、天国で作られたのじゃないかって、胡蝶さん言っていたよ」

 来客が帰り、社務所から戻った辰麿に小手毬は言った。

「あれは龍君がやったの」

 一言「ふぁー」と言った。

「小手毬は何でも知ろうとする。だから君は僕の恋人で、お嫁さんで、龍珠なんだ。簡単なことだ」

「大体分かった。何か裏があるのね」

「その言い方は棘があるな。裏なんてないさ」  

前話 第七話 女神原宿に遊びに行く④
https://note.com/edomurasaki/n/n22438601f2a5

つづき 第八話 白龍①
https://note.com/edomurasaki/n/nee03bd6f3272

東京に住む龍 マガジン
https://note.com/edomurasaki/m/m093f79cabba5

あとがき

お振袖ってわくわくします。幾つになっても着れる日本冥界はいいなー。

 


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