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小説・青木ひなこの日常(3)

コンビニのコーヒーはいつからこんなに美味しくなったのだろう。濃さも選べるし。コーヒーを飲んで、ドーナツを食べて、ついでに誰もいないから、あーあと言いながら伸びをして、ひなこは仕事に取りかかった。

満員電車が苦手だったり会社がスーパーフレックスを導入しているのもあり、ひなこは、早めに出社して早めに仕事をする。十年前にフレックス制度が導入されたとき、早めに来る人のことを嫌そうに思う年長者がいたけれど(その理由はよく分からなかった。目障りだとか、仕事も出来ないくせに早出残業なのかとか、人を出し抜こうとしていると思われているのか、ひなこの想像力ではそんなところだったし、仕事をする上では、その人たちの朝の不機嫌が早くなくなりますようにと願っていた)、コロナの後は、会社の雰囲気が変わって、早出する人が増えたのもあり、普通に受け入れられるようになった。

ひなこのような専用端末を扱う事務部署は在宅勤務ができないけれど、美咲のいる部署ではコロナの後、在宅勤務が認められるようになったし、社内でも外でも、ハラスメントとか多様性とかそういう言葉をよく聞くようになったのもこの頃だ。今までだったら仕事優先とか、ミスはミスと個人が責任を感じていたところが、従業員の心理的安全が第一になってきて、いままで末端扱いだった事務部門がゆとりを持って働けるルールがいくつも設定されていった。期限間近で事務部門に依頼しないこととか、ミスはそれを引き起こした仕組みを変えていくなど。良いことだと思ったけれど、その結果はひなこの想像とは違った。

その結果は、いつでもだれかが、ストレスを感じたら、どこかに訴えるようになった。たとえば電話の取り次ぎで出ない人がいた、というのも問題になり、会議が行われ、三週間後に通達の下書きが見せられ、修正が入り、一ヶ月後に通達が発行された。曰くーー

外線電話を取り次ぎされた者は、在席中は応対すること。
外線電話を取り次ぎされた者が、不在の場合はこの限りではない。
外線電話を取り次ぎされた者が、どうしても応対出来ない場合は、取り次ぎをする者へ、必ず具体的な対応を指示しなければならない。
具体的な対応とは、日時を指定し折り返し電話する旨を先方に伝えてもらうことに限る。

ひなこは、そのルールをストレスだと思う。ルール、ルール、ルール。たくさんの公平さのためのルールが制定されたけれど、どれも言わずもがなと思えた。ルールにしておくことで、逸脱した人に対し、ルール違反を指摘しやすいけれど、ルール違反とはいえ、罰則も設けられていないので、ルール違反を指摘したら、また、会議が行われ、対応を検討することになる。

今までだったら、電話出てくださいよー、と言えば済んだ話だった。

ひな子はぶるっと震える。

「おーっす」ひな子の背後には美咲が立っていた。
「あ、びっくりした。おはよう」
「それ」美咲はひな子の机のモニターを指す。
「あ、これ?」
「新ルール」昨夜の日付の通達を眺める。
「電話の次は、挨拶しましょう!? だよ」
「そうみたいだねぇ」反対とも賛成ともとれるあいまいな返事をする。電話の次は、挨拶をするのがルールになった。ひな子はちょっとびっくりしている。
「そういうのが必要なのかも」
「んー。なのでしょうね」確かに挨拶をしても返さない人がいる。ひな子は慣れてしまって気にならないし、返ってこなくても、朝や退社時には声をかけ、すれ違うときには会釈くらいはするよう心掛けていて、何とも思わない。挨拶がないことに、ひどく傷つき、参ってしまう人もいるらしいのだ。
「わたしの理解を超えている。なんだこの職場」
「うーん」
「マジで会社潰れる五秒前」
「ずっと前からそうだった。この会社」美咲に合わせてひな子もこたえる。
「あはは」
「へへへ」

マナー程度のものが、ルールになった。ルール違反はいまのところ、何もないけど、そのうち罰則が設けられるのかもしれない。変化というのはこういう風に、最初は拙く、何か違和感を持って受け入れられながら、進んでいくものかもしれない。

働きやすさというのは、たしかに喜ばしく受けとめられた。スーパーフレックスとか。男女雇用機会均等法、とか、産休・育休制度の導入も、長い戦いの末に勝ち得たものなのだろう。それまでだったら、肩身の狭い思いをしていた人が、明文化された制度があることで、肩身の狭い思いをせず、純粋に働きだけで評価される、というスタートラインにつくことが出来る。より良い社会を作る。

大事なことだろうな、とひな子は思う。

でも、挨拶や電話について、違和感を覚えるのは、単なる攻撃に見えるからだ。挨拶なんて、したい人がするでも良いのだ。気になるなら、しなければ良いし、相手によっては、ちょっと! 無視しないで、と言えば良い。それなのに、湯河原さんが挨拶しないのは許せない、上司、ルールを作ってください、と頼むのは、湯河原さんが嫌いだということだ。湯河原さんが挨拶しません、とってもイヤです、と訴えられた上司・箱根も、それはよくない、でも、直撃すると今度はパワハラと言われてしまう、だからルールを作る。

beat around the bushes

ふっとそういう言葉が思い浮かぶ。そう、それ。いつまで経っても核心に辿りつけない。ひな子は思う。いつまでも周りをうろうろしているように見えるのだ。

こういう努力。

ひな子は、いつでも、傍観者で、熱を持って怒ったり、変えようとする人たちを、眺めている。ただ、世の中を変えるのは、ひな子ではないのかもしれない。放っておけば、世の中は合理的で、良いものに変わっていくと、なんとなく安心していたけれど。最近そうではないと感じることが多い。この行く先に、核心はあるのだろうか。こういうルール作りとかをするのだろうか。ルール作り、とはどれくらい効果があるのだろうか。果たしてそれは良い社会なのだろうか。

いや、でも。核心なんてものは、そもそもないのかもしれない。

ひなこはドーナツのひとかけらを食べ、コーヒーを飲む。

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