〔電波史☆彡〕 1891年 電気試験所の設置(設置位置は?)
電気試験所の設置 1891年(明治24年)
1876年(明治 9年) 逓信本省(京橋区木挽町)は、現在の中央区銀座八丁目 銀座郵便局敷地に工部省電信局が設置され、逓信省発足直後から本省として使用されたとの記録があります。
電気試験所は、逓信本省の北東に、逓信事業史第6巻(P623)には「明治9年東京、東汐留に、電気試験所が開設せらるることに」とだけあり、正確な位置は、わかっていない。また、「逓信本省は、この建築物(電気試験所)の西南に本館が在り、調度課及び倉庫は南方入掘の向ふ側に在り 製機場は西々北に在り 製機場の鍛冶屋は空地を隔てゝ北方に在り 何れも皆 渡廊下を以て連結せり。また大臣官舎は東方に接して在り、試験所附属の小屋はその中間にありたり。材料試驗室は入掘を渡りて向岸にある倉庫を用い居たり。」との記述と配置図(第1図表)があり、建物の大きさは、30m×10m程度の建物である。(「電気試験所五十年史」 P707。第5図表も併せて参照)
以前より、電氣試験場の設置場所について、公式な文書や図面等が残っていないといわれ、少し探ってみました。
【参考文献等】
日本無線史 第一巻 第一編 無線技術史(上) 1950年(昭和25年) 電波監理委員會 P002
逓信事業史 第六巻 1944年(昭和19年) 逓信省編 逓信協会 P623
電気試験所五十年史 1944年(昭和19年) 電気試験所
御府内沿革圖書 江戸城下変遷絵図集(幕府普請奉行編) 1986年(昭和61年) 原書房
江戸切絵図の世界 尾張屋板切絵図/近江屋板切絵図 1998年(平成10年) 新人物往来社
江戸東京重ね絵図 2001年 株式会社エーピーピーカンパニー (コンピュター用ソフト)
実測改正最新東京全図 1907年(明治40年) 嵯峨野彦太郎 国際日本文化研究センター
江戸期における、この敷地について、江戸城下変遷絵図集等によれば、奥平大膳大夫(豊前中津藩15万石)の上屋敷で、道路を挟み溝口信濃守(越後柴田藩5万石)の中屋敷と、宮原弾正大弼(高家1140石)居屋敷であることがわかる。そこで、江戸切絵図の世界にある「京橋南築地鉄砲洲絵図 文久元年/1861年」(尾張屋板切絵図 P20)並びに「京橋南芝口橋築地鉄砲洲辺絵図」(近江屋板切絵図 P88)も、「江戸城下変遷絵図集」とほぼ同じ形式で作成されており、比べると後者には、奥平大膳大夫上屋敷側と道路の間に堀の記載がある。
當時之形(文久二戌年/1862年)(「江戸城下変遷絵図集」第七巻(九)木挽町之内 P149)には、方位が記載されており、北をページの上部に回転させた画像(第2-A図表)にして、近江屋板切絵図(第2-B図表)も同様にしてすると、堀が北西↔南東の方向となり、電気試験所から見て本省が西南である記述から、電気試験所概略図(第1図表)と比べると、
① 電気試験所概略図の方位記号通り、南向きの建物で、堀の位置表示が間違っているのか、
② 電気試験所建物が堀に沿って建っていたもので、概略図の方位表示が間違っているのか、
疑問は解けませんが、建っていた位置は、たぶん江戸城下変遷絵図集の「溝口」と記載されているあたりと考えられる。
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