継親をどう呼ぶか
こんにちは。猫川原えだまめです。
この連載では私の人生を振り返っています。
前回の記事では、3歳にして両親が離婚しました。親権を取った母はどこかに行ってしまい、私は母方の祖母の家に身を寄せました。
下記リンクから読むことができます。
さて、それから母が戻ってきたのは私が4歳の時でした。
母が私を迎えに来た時、私はその後の人生を知ってか知らずか、全力で嫌がりました。いつも私を甘やかしてくれる祖母の元から、私の腕を無理やり強い力で引っ張っていく母は、鬼のように見えました。
母に連れてかれた私は継父になる男と対面しました。派手なメガネをかけて髪は茶色い、軽率さと厳つさを併せ持った男性でした。後の記憶ですが、職業は建築系の作業員で、地域でも素行不良の目立つ某工業高校卒、母より年下でした。その継父に連れられ一緒にディズニーランドに行きました。母と私と継父とで手を繋いで歩いて、優しくしてくれる継父に私はすっかり懐柔されて懐いてしまいました。
そして母は、私に聞きました。私の人生初期で印象に残っている2つの質問のうち2つ目の質問です。
「あの人はえだまめの新しいお父さんになる人だよ。 あの人を『お父さん』と呼ぶか、『パパ』と呼ぶか今ここで決めなさい」
私は言いました。
「『パパ』って呼ぶ」
私は今度も少しも迷いませんでした。昔から私は直感に従う方でした。言い慣れた『パパ』に対して、『お父さん』という言葉はどこか自分が使うに相応しくない言葉のように思えたのです。それで『パパ』を選びました。
かくして私は、継父のことを『パパ』、自分の血の繋がったもう会えない父のことを『本当のパパ』と呼ぶようになりました。
この質問は一種の儀式だったと思います。継父を新しい父と認めるための儀式です。この儀式について私は今も昔も特別には不満を抱いてません。
であればなぜ、印象に残っているのかというと、ドラマなどでは継親を名前にさん付けで呼び、時が来て子供が継親を受け入れることができた時、初めて「お父さん」「お母さん」と呼ぶ。そんな感動シーンが数多とあったからです。
皆さんはどのような形が一番良いと思いますか?
親の意向で呼び方を決めてしまうか、一部、または全てにおいて子供の自主性を尊重するか。
私は全てにおいて子供の自主性を尊重するのが一番良いと思います。
しかし、私が実際に聞かれたように、どう呼ぶか子供に決めさせるという形ではありません。放任することが大事だと思います。
私が3歳の時より口が達者になった今、母に件の質問をされたらこう答えます。
「そんなのどうでもいい」
親が離婚するのも再婚するのも親の都合です。
継親を名前+さん付けも含めた伝統的な呼び方で呼んで欲しいなんて、大人のエゴでしかないと私は思います。子供からしたら、心底どうでもいい。
私はあの時「お父さんと呼べ」と言われたらそうしましたし、「パパとよべ」と言われてもやっぱりそうしました。他でも同じです。
実際は2択で選べと言われたのでそうしましたが、これが選択肢のない問い掛けだったとしても、そこに自主性なんてありません。
真に自主性を尊重したいのであれば、少し放っておいてくれれば、仲良くなって呼びたくなった時に、好きな呼び方で呼んでいたと思います。
子供の自主性を尊重しているポーズはしているものの、
本当のところ大人の都合に子供を巻き込んでいるだけなのは嫌だと、この件を思い出して感じました。
皆さんは継親の呼び方はどのように決めたのでしょうか。
他の家庭の話も聞かせていただけたら嬉しいです。
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