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平均的な女の子だった私がライターになって人生が変わった話。

こんにちは、かんなです。
関西の大学に通う4年生で、ライターをしています。

そんな私はわけあって、5月から就活を始めました。
(一般的には3月からするもの)
そして今はもう就活はしていません。

個人ではライターとしての活動に、企画営業運営と様々な業界でいわゆる「裏方」をこなしています。

そして、いつの間にか「凄い人」のように扱っていただいてありがたいのですが照れ臭い毎日を送っています。

そんな中よく「なんでそうなったのか?」と聞かれます。
ですが、私は普通の女の子です。
特に何かが出来たわけではありません。

なので、ここでは私の話を書いてみたいと思います。

小さなコミュニティの中の私

私は1997年冬に、いつも冷静でどこか無関心の父と無邪気で好奇心旺盛な母のもとに生まれました。2年後には弟が生まれ、それから私はずっとお姉ちゃんの役割であることが多くなりました。

よく聞く「お姉ちゃんだから我慢しなさい」とか「やっぱりお姉ちゃんは凄いね」とか。
いや、ほんとに耳タコ。笑

家族みんな控えめというか、どこか謙虚な家庭で育った私は一歩引く裏で支えるという立場でいたいといつも思ってました。
父と母の両方を上手く受け継いだようで、好奇心豊富でいろんなことに興味は持つけどそれ以外の事は一切無関心。そんな風に育ちました。

思春期の頃はみんなと同じでいないといけない。と思って興味がなくてもきゃーって騒いだりしましたが、ふと疲れたって思う時がありました。

小さなコミュニティしか知らない私にとってそこに合わせられない人ってもう居場所がないような気がしてたんです。

だから、「無理すること」「同じでいること」「自分の意見を言わないこと」これが私の普通でした。

普通の子でいることが大事でした。

人に合わせる毎日は自分の飲みこんだ思いとか意見でモヤモヤする。ということがいつもでした。

そんな時は、あの子と私は合わないんだとか思って済ませていたんですけど少しずつ気づくことがありました。
そのモヤモヤは人間関係以外にもあるということです。

初めて感じたのは高校受験の時。

私は将来特に何をやりたいでもなかったので、親の言う通りとりあえず家の近くの進学校に行くものだと思っていました。
それが当たり前、というか選択肢がそれしかなかったんです。

その時に初めて「あれ、選べないんだ。」と違和感を覚えました。

結局そのまま、私たちの地域では当たり前の高校進学をし、その後それなりの大学に行く。

一般的なルートが高校にいった瞬間に決まった。そんな気がしました。

今も続ける私のポリシー

進学校だったのですが、大学受験に向けて3年かけて勉強する。
その当たり前、なんか違くない?って思っちゃったんです。

その頃私はやりたいことがあったら働こうくらいの気持ちで、落ちぶれました。

そんなんじゃ大学いけないよ!ってめっちゃ言われました。

ただ、やっぱりいい大学に行くことが自分で選ぶための一歩めだと思って
とりあえずここをでよう!都会に行こう!そう思って勉強し始めました。

好きを仕事にしたい

本を読むことはずっと好きで、人の気持ちや考え方をそこから学んでた、そんな気がします。

自分で何か書いてみたいって思っていたのは、ケータイ小説がきっかけで誰でも物語を書くことが出来るということにめちゃちゃ魅力を感じていました。

あと、いつも悩んだり考え事をしたりするときは文字で整理したりもしていました。
これは今もで、ツイッターやインスタで急に長文をつぶやくことがあります笑

ただその頃の私はまだ、人と違うことはしないほうがいいと本能的にわかっていたので何かをすることはなかったんですが書いていたら小説家目指していたかもしれないですね。

ただ、勉強をしている内にやっぱり本に関わる仕事がしたいと思うようになったのと大学ぐらい好きな勉強をしたい。というので歴史を学べる大学かつ関西(京都が近いから)に行こうと決めました。
なんとなく、都会に行ったら好きな仕事が出来るんじゃないかとも思っていました。

ここから、自分の思うように選ぶこと・世の当たり前に従わないことを自分の中のポリシーとするようになりました。

大学に入って感じた違和感

大学を決めた時はそんな役に立たないことを学んで何になる。と言われることも多々ありました。
だからこそ、自分のやりたいことをやり切ってやる。と意地になったとこもあるかもしれないです。

大学=自由って思ってたんです。

大学に入学してからは、とりあえずサークルを探してバイトを探すという一般的なことをしていましたが

全然ためにならない!
ただみんなで遊んでるだけやん!
くだらん。

そう思ってサークルはやめました。
シフトを出すアルバイトにも何の意味があるのかわからなくなって、思ってたのと違う。つまんない。

そう思いました。

運命が変わったTeamKJとの出会い

何もかも飽きてやめたくなってしまった私は、
シフトの無いバイトってないのかな。
書く仕事ってバイトで出来ないのかな。
そう思いました。

そんな時に出会ったのがTeamKJでした。

KJはマーケティングを女子大生のころから学べて、将来活躍できる女性になれる。オウンドメディアの運営もやってて、びびっときました。

これが、ライターという仕事との出会いでした。

KJにはいってからは、大学生の自由な時間を本当に自分のやりたいことや興味のあることにつぎ込むようになりました。

ライターという仕事は
怪しいことをやっていると思われがちで、周囲からは理解してもらえないこともありました。

でも、自分を曲げないでずっとやってきた結果今ここまできました。
仕事の依頼がきはじめたときは本当に嬉しかったことを覚えています。

私のやりたいこと

今は周りと違うことをやっている自分が誇りです。

そして、私はもっと学生たちがたくさんの選択肢を持ってほしいと思っています。

ライターという仕事に出会えて、いいことばかりではありませんが本当に充実しています。
相変わらず興味のないことにはやる気が起きないし、わくわくすることしかしたくありません。

どうしたら自分のやりたいことが出来るのか。
その方法としては起業という言葉も頭をよぎることがありました。

しかし、めんどくさがり屋の私は自分だけでやるんじゃなくて自分のやりたいことをわかってくれる人たちを働いたらいい。

なんて思って就活をしていました。

この時もらっていた内定を辞退した理由は、そのビジョンのずれと自分をもっと育てられる環境に行きたいという理由からです。(インターンからの内定だったので)

そして、世の中の当たり前ができるひとが優秀なんじゃない、それをもっと地元のような地方の人に伝えたいとも思っています。

夢はもっとみんなが夢を見ることができること。

普通の女の子だった私は、周りを気にしない、ライターという仕事を貫くことで今多くの企業からお仕事の依頼を受けることが出来ています。

私みたいに出会いさえあれば、誰でも活躍できる場所を見つけることが出来ると思うんです。
みんなが好きを仕事にできる世の中にしたい。

そう思って今日も自分がわくわくするほうへ突き進んでいます。

かんな

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