現代基礎教養としての『逃げるは恥だが役に立つ』
2021年、新年1月2日。
2016年に連続ドラマとして放送されていた『逃げるは恥だが役に立つ』の新作が『ガンバレ人類!新春スペシャル!!』として放送された。ドラマの時から熱心に見ていたので、登場人物たちと再会できる歓びをコンビニで買ったお雑煮と一緒に噛み締めた。
あれから4年。
平匡とみくりは子宝に恵まれ、風見さんとゆりちゃんは破局し、梅原くんと沼田さんは彼らなりの関係を維持している。こちらの人生にも色々あったように、あちらの人生にも色々ある。
連続ドラマ全11話のなかでは、平匡とみくりが夫婦になるまでが描かれた。自尊感情が低くまともに人と関われない平匡と論理的に納得する形でしか仕事や恋愛に取り組めないみくり。大人初心者のこの2人が、ひょんなことから"契約結婚"という形でなんとか関係を築いていこうとする。互いに「好き」の一言だけでは、一緒にいる絶対的な理由にはならない。何度もすれ違い、ぶつかり合い、結びつきなど本当に必要なのかと葛藤しながらも、その度に話し合い、考えをアップデートして、ドラマは"結婚"という一応のゴールを迎えて華々しく終わった。
しかし、現実の結婚はゴールじゃない。
みくりと平匡にも人生の世知辛さが容易に襲いかかる。みくりにとっては子供を産むということそのものが、人生最大にして最恐の初体験になる。つわりに苦しみ、職場では肩身が狭く、部屋の掃除ができないことを夫になじられる。みくりの痛みも苦労も、男は本当には理解できない。だから平気で子育てにおいて"サポート"なんていう言葉が出てきたりする。
一方、平匡にも知らないあいだに痛みが蓄積している。それは社会にも身内にも求められる伝統的な"男らしさ"によるものだ。仕事で疲れたなんて言えない。妻の方が大変なのだから自分が倍頑張って家事もこなそう。男らしい生き方なんて自分とは程遠いと自負していた平匡でさえ、"らしさ"という型にはまり込んでいた。
それぞれの重荷を解くために、やはり2人は話し合い、意見をすり合わせ、双方の正論を成り立たせるために必死にバランスを取ろうとする。それでもダメなら少し立ち止まって、抱き合って体温を確かめ合う。他人の手を借りることも視野に入れてみる。素晴らしく現実的な歩みの進め方だ。
しかし、後半はまったく別の物語がはじまる。というより、まるで映画のような現実がただ横たわるのみだった。
あっという間に日常に侵食したコロナの脅威。マスクもハンドソープも品薄状態。新生児を抱えるみくりは気が気ではない。働きに出ている平匡は母子の健康を優先し、寂しさをこらえ離れて暮らす決意をする。どうしようもない現実に打ちひしがれたのは、数ヶ月前の我々の姿だった。
気持ちに余裕がなくなると、言葉は刺々しくなる。それは、夫婦も世間も同じ。平匡はパニックに陥ったネットニュースや書き込みを見て、心底げっそりする。その姿は、紅白歌合戦で星野源さんが歌った「うちで踊ろう 大晦日バージョン」の歌詞とも重なる。
「それが人でも うんざりださよなら 変わろう一緒に」
"他人と共生する"とはどうゆうことだろうか。
自分のことが大好きな人もいれば、そうじゃない人もいる。家族団欒の隣では、孤独を受け入れて暮らす人もいる。男性を好きな男性もいれば、女性を好きな女性もいる。他人のことはわからない。わからないから話し合い、互いに許容できる最適解を探す。その作業は、たしかに面倒だ。みくりと平匡がくじけそうになるのもわかる。それでも誰かに教え込まれた正しさを盲目的になぞるよりずっといい。当たり前の夫婦像なんてない。夫婦は超えていくものだから。
そんな『逃げ恥』に通底する考え方こそが、いつか教科書で教わるような"当たり前"になったらいいなと思う。意見を言う前に、人には優しくありたい。間違いは認め、考えをアップデートできる社会であって欲しい。
2021年を迎えるにふさわしい内容であり、10年後にも見返したい素晴らしいドラマだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?