「ライターはSNSのフォロワーを増やさない方がいいのかもしれない」と、ちきりんさんの新刊を編集してから考えている。
タイトルのように考えたきっかけは、先日発売になった『自分の意見で生きていこう』だ。
2011年から担当してきたシリーズの第4弾なので、もう10年以上のお付き合いになるが、ちきりんさんは自分の知る限り最も優れたライター(文章の書き手)の1人だ。自分の考えをゼロから構築・表現して読者に届けるのが抜群にうまい。
ちきりんさんの文章力の秘密については、Voicyでもインタビューをさせてもらったけれど、その時に触れられなかったポイントが1つある。それは『自分の意見で生きていこう』の中でも重要な概念として紹介されている「反応」、より正確には「クリエイターの“反応”との付き合い方」についてだ。
「反応」とは、きちんとした意見になっていない発信や、アタマを使わずにできる反射的なコメントだと思ってもらっていい。明確にポジションをとった「意見」の対義語として「反応」という概念を発明したのは、ちきりんさんのとても大きな功績だ。
(詳しく知りたい人は『自分の意見で生きていこう』か、こちらの記事をぜひ。)
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話が飛ぶようだが、前から不思議に思っていたことが1つあった。ちきりんさんを始めとする2000年代から活躍しているライターは、書き手や発信者としての寿命がずいぶんと長いということだ。
自分が編集しただけでも、ちきりんさん以外に、『起業のファイナンス』の磯崎哲也さん、『考える生き方』のfinalventさん、『外資系金融の終わり』の藤沢数希さん、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』のふろむださんなど。
他にも、かつてあった「アルファブロガー」のリストを見れば、今もネットや紙の世界で活躍する書き手が何人も見つかる。
生存者バイアスもあるだろう。もっと若い世代で優れた書き手も当然いる。だが、このアルファブロガー世代の今に続くパワフルさは否定できないように思う。
そして、そのパワフルさの大きな理由が、SNS(特にTwitter)の普及以前にネットで文章を書いていたことにあるんじゃないか、というのが今日のところの仮説だ。
ちきりんさんの言うように、SNS上でのコミュニケーションの9割は「反応」だ。文章への感想もその例にもれず、たくさんの「反応」が寄せられる。言葉ならまだましで、ボタンを押すだけの「いいね」や「リツイート」「フォロー」ははるかに多くなる。
しかし、こうなったのはSNSが日本で普及した2010年以降のことで、それ以前はネット上の文章や書き手に簡単に「反応」することはできなかった。SNS(ボタン)がないので、ネットの文章への感想は自分でブログを書いたりコメントを記入したりして、言葉にしなければならなかったからだ。
結果、文章の書き手は、今よりもはるかに「意見」のやり取りで文章力や思考力を鍛える機会を得られていたのではないかと思う。
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一方で、いまネットで何かを表現する書き手は、否定であれ称賛であれ、かつての何百倍、何千倍もの「反応」を受け取っている。
で、タイトルの話に近づくのけれど、その「反応」はライター、もっといえばクリエイター全般にとって、本当によいものなんだろうか?
ネガティブな「反応」がたくさん寄せられることが好ましくないのは、すぐにわかる。批判もマーケットの評価として参考にする、という考え方もあるかもしれないが、ふつうの人ならすぐに病んでしまうので、ちょっとおすすめできない。
では、ポジティブな「いいね」や「リツイート」、「フォロー」はどうだろう?
自分がネットにあげたものに、いい「反応」をもらえる。応援や励みにもなるし、好ましいものに思えるかもしれない。
でも問題は、「反応」はいい加減で解像度の粗いものだということだ。SNS上の「いいね」「リツイート」「フォロー」は、本当にそのクリエイティブに寄せられたものなのだろうか? 文章や作品ではなく、発信者の肩書やライフスタイル、はては容姿やフォロワー数などへの「反応」である可能性も高い。ましてや、フォロワーがファン化してしまっていたら?
SNS上では、クリエイティブとプロモーションがどうしても一緒くたに評価されてしまう。多くの人は仕事として文章を読んできたわけではない。だから、もしライターのクリエイティブが今ひとつだったとしても、その人がフォロワーを増やすテクニックを知っていれば(たとえばあえて断言するとか、ノウハウを披露するとか)、ネットから受けるトータルでの評価は必然的に甘くなる。
そして、ライターへの発注者(企業や経営者)も、寄せられるポジティブな「反応」を見て、「これがいい文章なのか」と思ってしまったりする。結果、クリエイティブよりもプロモーションを重視するライターに仕事が舞い込み、世間には今ひとつな文章が流通することになる。
さらに悪いことに、そのライターはクリエイティブの能力を伸ばすことよりも、プロモーションのテクニックや、錯覚資産のベースになるフォロワーづくりにばかりに力を入れてしまう。こうなるともう、ライターではなく違う職業になってるんじゃないだろうか。
もちろんこれはライターに限った話ではなく、編集者やデザイナーなど、さまざまな職業に言えることだ。SNSが普及した1億総“反応”社会では、あらゆるクリエイターがインフルエンサーへの転職の誘惑にさらされているのだ。
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というわけで、「本当にライターとして、クリエイターとして成長したいなら、SNSのフォロワーは邪魔になる可能性もある」というのが、『自分の意見で生きていこう』以降の考えだ。
もちろん今の時代、SNSを全くやらないのも、ネットに実績をあげずにやっていくのも難しい。『自分の意見で生きていこう』の中でも、「ネット人格」の重要性は明確に語られている。
しかし、それに必ず付随する「反応」についても正しく理解し、「意見」と切り分けるよう、細心の注意をはらっていくべきだろう。そして、クリエイティブとプロモーションの能力も明確に分けて努力する。少なくとも自分はそうありたい。
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最後に思い出したので付け加えると、『嫌われる勇気』や『取材・執筆・推敲』の古賀史健さんは、プロのライターの定義を「編集者が付くこと」としていた。
初めてそれを聞いたときはピンとこなかったけれど、編集者の役割を「反応」ではなく「意見」を言うこと理解とすれば、腑に落ちる。「反応」と「意見」との差は、それくらいあるのだ。