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9月の祈りと骨折日記

タイトルを書いてみて、「祈る」と「折れる」は似てるなと思った。
まさに、祈りについて書きたいが気持ちも骨も折れた9月であった。

ライフワークのひとつに「編集者・東條雅人さんのことを伝え続けていくこと」というのがある。
9月9日は東條氏の誕生日で、9月28日は命日である。
なので、彼の功績や人柄について語り合うイベントを企画したり、
イベントができなくともSNSなどで何らかの発信をしてきていたのだが
没後14年となる今年、その9月3日にわたしは左腕を骨折してしまった。

橈骨頸部骨折という、よくわからないけれども肘のあたりをいためて
がっつりギプスで指先まで固定されてしまった。
ただ単に平地でコケただけのはずが、両肩に掛けていた大荷物が災いしてか、受け身をとることができず左側に倒れた結果の負傷だ。

腕を曲げた状態のギプスを三角巾で吊ると、首は痛いし肩が凝る。
「左腕で、不幸中の幸いだったね」
という言葉をいくつかもらった。
たしかに、利き手だったらもっと絶望していたであろうが
両手じゃないとできないことが多すぎる、
ということを嫌というほど思い知った。

たとえば
メガネがかけられない(自宅では近視用のメガネを使用)
髪を結べない
食器も洗えない
茶碗を持てないのでイヌ食いになってしまう
トイレが不便、もちろん風呂にも普通にはいれない、
ペットボトルが開けられないので脚にはさんで回したら中身が飛び出てビショビショになった、などなど
普段めったに怒らないわたしでも「わー!」とか「ギャー!!」とか
言葉にできない苛立ちを一人で発しまくった1カ月であった。

パソコンはおろかスマホにもあまり触る気になれず、
結果、「祈りの月」であるはずの9月は
自分との闘いでほぼ終わってしまい
本当に心で祈るだけになってしまった。

ああ、行きたかったライブも断念したのだった。
TOSHIさん(bass)のB.D.イベント行きたかったな。
そういえば7月のEins:Vierのライブも、当日に発熱して行けなくなったんだった。
振り返ると、今年も、病院に行かなかった月がない。

そんな2023年に学んだことは
自分が健康でいないと、祈ったり、悼んだりもまともにできないということ。
現在、ギプスが外れて10日目くらい。
寝ている間もうなされた約300グラムの重さからは解放されたが
いざ動かせるようになっても痛みはあるし、肘の完全な曲げ伸ばしができるようになるまであと2カ月くらいかかるだろうという医師の見通し。

こういう投稿もやめておこうかと弱気になったが、
命日のあたりに友人が花の画像を送ってくれていたのでupしてみようかと久々にパソコンを開いた。
「東條さんに。」と、鮮やかな曼珠沙華。
岡山の、一家のお墓がある山道にたくさん咲いていたのを思い出した。

わたしが生まれ育った岩手ではそれほど群生しているのを見なかったので、曼珠沙華は、20代以降の思い出。
花を揺らしていたあの秋の風を、今年もやっと感じられるようになってきた。
暑いからやる気が出ない、痛いからできない、というのはもう言わないでおこう。
このnoteに溜まった「下書き」も、いくつあることか。。
今年は、自分の音楽人生を一変させるような体験を春にしたので
それについては絶対に書き上げたい。

そして9月だけではなく「祈り」は続く。
東條さんいつもありがとうね。


(文=伊藤美保 / 写真提供やっちゃん)

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