医書編集者のためのブックレビュー:『思春期、内科外来に迷い込む』
これは医書編集者である不肖わたくしが編集という職能の視点から、好き勝手に書く超ニッチなブックレビューです。
今回のお題はコチラ!
『思春期、内科外来に迷い込む』(國松淳和/尾久守侑 著、中外医学社)。2022年1月にされたばかりの最新刊です。
内容についてはウェブサイトから以下に引用します。
『対談本』は難しい!
本書をジャンル分けするのなら、いわゆる「対談本」に位置する企画です。
医学書業界でも最近は対談本が増えてきました。
一昔前までは医学書では対談本はほぼなかった、というより(たぶん)不可侵に近かったジャンルだったように思います。
こうして新しいジャンルが増えるのは、素晴らしいことですよね。
一方で超個人的な編集者目線でいうと、対談本は当たり外れが大きい企画でもあります。
医書編集者あるあるでは『新人編集者、症例もの企画しがち』というのは言わずと知れています。先輩から「症例集とか売れないから」と一蹴されるまでが伝統芸能。誰もが通る道です。
対談本もこの感じに近いところがあって、「人」と「テーマ」さえ組めば企画書自体は簡単に出来てしまいます。また、著者も編集者も「何か楽しそう」とか「作るのラクそう」と思いがちです。
ところが「著者の希望どおりの人をセッティングして」とか「知名度優先で」と浅はかに企画しても、なかなかうまくいかない。
対談本って準備が一番重要なんだと思います。
さて、本書は冒頭の國松先生の言葉にもあるように、作り手側は実は対談本という枠組みだけで本書を捉えていないことがわかります。
國松先生&尾久先生が本書以外の現場で、普段からさまざまに語っていたことのいち集大成がこの本になっているのだと感じました。
なので対談本ではありつつも、むしろ「共著」という雰囲気に近いかもしれません。
本書の序盤はかなり抽象化された話が続きます。内容的にもちょっと難しいなと思うんですが、中盤以降で一気に具体化されていく「広がり」があります。
読後感は「スッキリ~~」ではないところがよいところです。
こうして、展開がマンネリになりがちの対談本において、決して『道端会議』にはなっていないところが、本書の素晴らしい点だと思いました。
誌面デザイン
と、まあ中身の話はこのくらいにして。
早速、編集をみていきましょう!
まずは誌面から。公式サイトの立ち読みページから引用します。
四六判・縦書きです。
フォントや飾りがレトロでおしゃんな雰囲気を漂わせていますね。
「時計」「鍵」そしてタイトルの「迷い込む」さらに「不思議の国」
なるほど、これは童話「不思議の国のアリス」をモチーフにしていますね! 見抜くねえ。
っていうか國松先生がそう言ってますね。
版面外の飾り枠・それからハシラのデザインにもこだわりを感じます。
本書では図表やイラストなどは出てこないため、こういうハシラ・ノンブル・見出しなど限られた部分で細かく世界観を構築しています。
また途中で入る項目の「Le détour」 パートは、デザインも少し変化するんです。これがまさに「迷い込む」感のある秀逸なデザインになっていますので、ぜひみてください。ぜひみてパクろう。
さて、対談本における制作面でのお悩みポイントは、次の2つではないでしょうか。
「注釈をどうするか」 と 「口語体の処理をどうするか」です。
注釈をどうするか
対談本に限らず「注釈」をどのように配置するか、というのは永遠のテーマです。本文内に組み込むのか・欄外に置くのか、巻末にまとめるのか、などさまざまなパターンが考えられます。
どれも一長一短があり、いつも編集者の頭を悩ませつづける注釈問題……。
本書ではどのようにレイアウトしているでしょうか。
こちらも公式の立ち読みページから引用しました。
版面タテ155mmに対して地から約45mmを固定として、そのページに注釈があってもなくても、常にスペースを設けているフォーマットになっています。
何となく本文と注釈の間にケイなんかを引きたくなっちゃうところですが、本書は絶妙なアキだけで双方を区分けしています。
これがいぶし銀なテク、その一。
結果として、本文の1行あたりの文字数が四六判タテ平均40字前後のところ、本書では「33字」と短めで、基本的に読者の目線もやや上にいきがちなデザインになっています。
ただし本書では本文用紙を、四六判の一般書で頻用されるような書籍用紙ではなく、発色がよいマットコート紙を採用しているため、若干目線を引き気味で読むのが合います(早口)。
すると、上ぎみな本文フォーマットもちょうどよいバランスなるんですね。
で、注目の注釈処理は、該当箇所をそのページの注釈スペースに入れ込む形になっています。
これ読者にとっては注釈が一目瞭然探しやすい一方で、ページがずれると注釈も全部ずれていく……という諸刃の剣です。
つまり編集作業がけっこう大変なるんです。努力です。
そしてなんと本書の特色100パーセントはこの注釈でのみ使用されています!
贅沢!!
ふつうもっとこう、せっかくだからいろんなとこに色を使いたくなるじゃないですか。
まさかの「注釈一点突破」。
「ええ……この本って2色だっけ?」とおもわず二度見する。
しびれるぜ。これがいぶし銀テクその二。
(厳密には見出しの飾りなどのごく一部では使用されています。飾り枠はスミに掛け合わせで使っているのがさらにテクい)
そして、さらに注目なのは注釈の中身です。
対談本ってつい口が滑った発言とか誤った表現などを、校正のときに修正したくなってしまうものです。
ところが本書では本文のほうはそのまま直さず「これは勢いでちょっと言いすぎでした」とか「今はこの当時とちょっと考え方を変えました」というように注釈でコメントしています。
これは素晴らしいですね。対談の醍醐味は、まさにそのときの衝動とか化学反応ですから、それをきれいに直してしまっては、本当の「おいしいところ」がなくなってしまいます。
著者・編集者として、つい直したくなるところをグッとこらえて、あえてそのまま開示することによって、臨場感をしっかり伝える仕組みになっています。
また著者がそれぞれ「國・尾」と名前を明かして注釈しており、自分の発言以外にもコメントしているところが、面白いです。
本書の注釈でもっとも心惹かれたのは、p187の尾久先生の「ちょっと思ったのですが(6)、ジェネラルというよりは(以下略)」という発言に國松先生がつけた注釈(6)です。
これ、その「重要な発言」が出る寸前に注釈しているところがミソです!
読者に一呼吸置かせて次を読ませるんですね。
いや、ずるーーー!! やられましたわ。
こんなの音読するでしょ。
さて、この後尾久先生が何を言うのかは、ぜひ実際に本書で"刮耳"してください。
「注釈芸」と揶揄されるようなコメンタリーだけに傾倒してしまうと、本末転倒ですが、本書は本文と注釈のバランスがほどよく感じました。
口語体の処理をどうするか
対談本で欠かせない作業がテープ起こし、そしてケバ取り・整文です。
どこまで「ケバ」を残すか、どのくらい「整文」するかはまさに編集者のセンスが試されるところです。
本書では違和感なく文章になっていて、とても読みやすいです。
「い抜き」言葉のフォロー(※)も丁寧にされています。
基本事項ですが、大切なことですね。
でも、すべて一律きれいに整文すりゃいいってわけではありません。
注目の箇所はp80の國松先生の発言です。
この「すみません」とあえて日本語的に正しく表記しないことによる「あーすいません」の謝ってなさ加減を見事に体現しています。
(失礼。でも、たぶんまじで國松先生は謝っているつもりはないと思う)
一口に対談の文字起こしといっても、こうした細かい編集テクニックが随所に織り込まれています。すこぶる勉強になりますね。
ということで、医学対談本も本書のような良作が今後どんどん出てくると思います! ブルーオーシャン(言いたいだけ)がいまここにあるぜ。
「対談本なんてダメだよ~~」という保守派中堅以上の医書編集者のみなさんも、「自分が錦織圭である」という幻想や「中途半端な編集者しぐさ」を捨てて、虚心に研究してみるとあらたな発見があるかもしれません。
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