春です。春ですね。
こんにちは。いよいよ春ですね。
3月上旬からずっと、杉に苦しめられていましたが(花粉症)、やっとこ人並みの分泌量になりましたよ、鼻水。一時は蛇口かな?と思うほどの量を放出しており、なんとまあ、ティッシュの減りの早いこと早いこと。
会社の消耗品にティッシュがあって本当によかったです。
そんなこんなで、生き物の中には春に発情期を迎える物達もいるようで。
ねー、本当にもう、今の私の恋愛事情を洗いざらいお伝えしたいんですけど、間が空いてしまったものだから(自業自得)何をどこから書けば良いのやら・・・
小出しにするのも、細切れにするのも性に合わないってのがありまして、もうちょい進展してから記事にまとめようかなと思います。
それにしても、もうすでに生涯の伴侶を見つけている方々って、どこで出会って、何をきっかけに結婚を決意されたんでしょうか。もうね、その後に離婚してても不倫してても浮気してても関係ない。結婚したっていう事実、結婚したいと思える人と出会えたっていう事実がもうすげー。本当に心から尊敬する。
ウチの母親と父親はお見合いで出会い、親に勧められてそのまま結婚。
なんやかんやケンカもしつつ、浮気や不倫は一切なし、お互い誠実に相手だけを伴侶として子どもにも恵まれて、もー本当に幸せなんだよな、ウチの両親ってば。
母曰く、お金の苦労はものすごかったらしいんですけど、幼少期を振り返ってみても草の根を食んだ覚えは無いので、やりくり上手な母と、良くも悪くも実直過ぎる父。相性はきっと最高だったんじゃないかな。
悩みは尽きないので、人は成長するのであるけれども
人は結局、置かれた場所で悩み事、困り事を積極的に探す生き物だそうで。そりゃそうだよな。だからこそ、技術も医療も文化も発展してきたんだと思う。今の悩みを抱えるステージを経て、振り返った時に「あー、そういえばそんなくだらないことで、あの頃は昼夜悩んでたっけな」ってなるんですよね。「今の悩みの方が重大なのに」って。
よよよ・・・
何といじらしく、愛おしきかな、人類。
私はごくごくたまに、神様の目線というものを想像することがあります。
昔、仕事で祭りの発祥みたいな記事を扱ったとき「祭りはそもそも、神に対する感謝や畏怖を踊りや相撲、供え物で表した」的な表現がありまして、まあ、諸説あるんでしょうけど、もし、もしもですよ。この世界で生活を営んでいる人間を、神様が何かしらをこねくり回してつくったとして。それらが自分に対して、精一杯、踊ったり歌ったり、ありとあらゆる方法で感謝を示そうとしたら?
なんか、もう、こみ上げてくるものが凄くてですね。
そりゃもう神様大ハッスルだよ。そこに存在してくれて、意志を持って生きていてくれるだけでいいのに、一生懸命さ、歌って踊ってさ。なんなん、そんなん愛おしすぎやん。可愛くってしかたなかろうな。と、こんなことをたまーに考えてしまいます。対価として豊穣を祈願したりだとか、子孫繁栄を願ったりだとか、人間だってちゃっかりしてたと思いますけどね。
そんなこんなで神頼みも視野にいれつつ、四十路の春を謳歌できれば・・・
なんかもうさ、家に帰る時間に炊飯器のタイマー予約してさ、「帰ったら炊きたてご飯が私を待っている!」ってなだけでご機嫌に仕事できるんですよ。
どうかな、こんな私を、娶ってくれる猛者はおらぬか。