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「子どもがほしい」に理由なんかない

こんにちは。編集とデザイナー夫婦ののほうです。

今回は先日の夫の『「子どもがほしい」がわからなかった話』を受けて、往復書簡のようになってしまいますが、私の気持ちも整理してみようと思います。

▽「子どもがほしい」がわからなかった話

子どもはそんなに好きじゃない

のっけから衝撃的かもしれませんが、私はあんまり子どもが好きではないかもしれません。

苦手というのでしょうか?
正確には、いたことないからわかりません。

「子どもがほしいから〇〇歳までに結婚したい」
みたいな話は(女性の身体のリミットを最近ひしひしと感じているので)ものすごく理解はできますが、気持ち的には共感はできないのです。

そういう意味では、夫の「子どもがほしい」がわからないのとほとんど変わらないのだと思います。

どちらかというと日本語の難しさの問題でもあるのですが、「子どもがほしい」という言葉がしっくりきていなくて、捉えようによっては「子どもがほしいから結婚する」という感じにきこえてしまうときがあるのです。

そこに夫(妻)の存在が見えない感じが、登場人物がごっそり抜け落ちている感じが、どうにも馴染めない。

たぶん、とくに日本人の多くは照れ隠しで、人前でパートナーへの愛を語る白々しさが勝るのかもしれないけど、やっぱり「夫(妻)が好きや!」からの「子どもがほしい」であってほしい、と思えてならないことをまず記しておきます。

赤ちゃんがそんなに好きじゃないかもしれない

ひとりっ子の夫と違い、私にはお兄ちゃんが2人いて、末っ子なので、ちょっとした失敗や成功、人生のイベント的なものはひととおり前例を見てから心の準備をしているようなところがあります。

子どものこともそうです。

お兄ちゃんの子ども達や、友達の子どもとも遊んだり、うちに泊まってもらったり。

その都度かわいいとも思うし、一緒に過ごす時間はとても楽しいです。

でも、いっとき一緒にいる時間ではわからないんだろうなあ…と感じるのが常で、がんばって想像してみても、とにかく大変そう
汚いし臭いし眠れなそうだし
(語弊があったらごめんなさい、よだれやオムツ変え、授乳のことです)

何よりも自分たちに子どもができたそのとき、自分の仕事を続けられるのだろうか、とか。

ホルモンのいたずらで、子どもが一番!
みたいなスイッチが入りすぎたり
夫につらくあたってしまったらどうしよう、とか。

(ホルモン怖い)

そして何よりも、とくに姪っ子甥っ子に関しては、赤ちゃんのときの彼・彼女らよりも、少し言葉が喋れるようになって意思疎通がはかれるようになったときのほうが何十倍も楽しい!! と思ったのです。

つまり何が言いたいかというと、とりあえず
赤ちゃんはそこまで好きじゃないみたいなのです。

でも、会ってみたいと思う

好きじゃないのに責任持って育てられるのか、とか。
そういう倫理的な話は、正直(私と夫との間では)どうでもいい。

だって、生まれたら「好きじゃない」は「好き」になるかもしれないし、はたまた「好きじゃない」のままかもしれない。

お金とか仕事のことは、結局なんとかするだろう。
障害を持って生まれても、変わらず愛するとも思う。
自分たちが死んでしまった後のことは、やっぱり心配かもしれないけど。

だけど、
間違いなく「なんとかなる」と思っているし、「なんとかする」のです、私たちなら。
そのへんは、そんなに心配していないのです。

そして何より
私は自分の子どもが大人になっていく姿を想像(妄想)して今から楽しんじゃっているし、なんなら一緒にお酒飲むのが楽しみで仕方ない(気が早い)。

顔がどっちに似てるとか、性格は独特だとか……
妄想が過ぎて
とにかくなんか、こう……

このへんに、いる気がするんです!!

自分たちの子が!!!

あいてぇ!!!! 早く!!!!!

これ以上考えてもわからないことは、やってみるしかないっしょ!(根明)

こうしてなかば強引に、私から言い出して妊活はスタートしたのでした。

身体のリミットが近づいてきている

途中ブランクはあるものの、結婚から1年経った頃から妊活を始めてもう7年くらい経ちます。

タイミングから不妊治療までひと通り経験しましたが、一度も着床まで漕ぎ着けたことはありません。

幸い夫はその優しさゆえ、なかなか子どもができない現実を前に
「僕は絶対子どもがほしい」
などとは言ってきません。

お義父さんやお義母さんからも、急かされたことは一度もありません。(自分の親からはすごく急かされたけど)

でも、(自分と自分の身体と)文字通り「戦ってきた」私からすると、

とてもわがままかもしれないのですが

一緒になって切望してほしいと思えてつらかったのです。

少しでも「ほしい」「いたら楽しいだろうなあ」
の気持ちがあるなら、一緒に作る気にならないと、できない。

「できなくても別に僕は構わないよ」
は私にとっては全然優しくなくて

「ほしい」って言ってくれないと、
自分だけが「ほしくて」がんばってて
「できなくて」つらい。

そんな無限ループに
(世間と同じくもれなく)私も陥っていたようです。

妊活は、よく言われるように、女性の身体の負担が大きいのは事実です。

そして年齢的に、女性のほうが(生殖に関しては)早めにリミットを迎えるのもまた事実。

それを労ってほしい、とか言うのは簡単なのですが、私がほしいと思ったのは
「大変だったね」「大丈夫?」
とか外からの俯瞰した気遣いではなく
「がんばってくれてありがとう、また一緒にがんばろうね」
という共創感でした。

「あいたい」と一度でも思った気持ちは、
「あえない」まま、終わってしまう。

2人だけでももちろん楽しいだろうけど、それとは違う別の楽しみの可能性は、もうすぐ、完全に断たれます。

そのとき(実際にはジワジワと)感じるであろう喪失感は、たぶん一生消えてくれないのだと思います。

このなんとも言えない気持ちを、どうしたら理解してもらえるんだろうか…

男性だと、望んでないのに宦官にされる気持ちだろうか。そういう、もぎ取られる(言葉w)ような不安感を少しだけ、理解してほしかったのかもしれません。

さまざまなことに備えて身体や食事作りをしたり。子どもが産めるように、子宮筋腫の手術をしたり。身体の負担を押しても仕事を調節したり。子どもを産み育てながらキャリアやブランクに常に備えたり。

いつまでも終わらないこの不安を、少しでも自分のこととして、わかってほしかったのです(いや無理w)。

今はやっと、2人だけの楽しい未来も想像できる

そんな思いを、私はあんまり我慢せずに発するほうなので、その都度いろいろと議論したり、
夜通し議論したり、
まあ朝まで天井を眺めながら議論したり……

なんとなく夫の考える
「切望しない優しさとプライド」(語弊あり?)
みたいなのもわかる気がするし

何よりも、私の気持ちには精いっぱい寄り添ってくれている、というのが確認できていて

最近はやっと、このまま子どもができなくても
休日の2人だけのカフェタイムや、近い仕事だからこその「本」に関しての議論。そのうち犬を飼ってもいいという妄想や、車で旅行したり、お酒を飲みに行ったり……

なんだめっちゃ幸せじゃん

と妄想できるようになったので、ものすごく穏やかな気持ちで妊活が続いています。

要はきっと、大事なのは、夫婦間の対話であり会話なのでしょう。
いつもたくさん話を聞いてくれて、理解するまで議論してくれて、ありがとう!

コロナ禍を理由に、それぞれの両親に会えないのも
実は逆に良い距離感。(ここだけの話、親が嫌とかではなく)

本当に自分たちだけで、今までになく自分たちだけのペースで不妊治療を進められています。

3度の子宮筋腫の手術と、3度の体外受精
さらにもう一度別の方法で子宮筋腫の手術を終え
体調はかつてないほど絶好調。
今回4度目の体外受精で、
卵を近日中に移殖予定です(執筆当時)。

(人間も、最初は卵なんだなあ……)

どんな結果が出ても、まあなんとかするでしょう。
がんばらずに、がんばってきます💪

いろいろ考えたけど、結局「子供がほしい」に理由なんかないんだよなあ。
そんな私のお話でした。


くどいようですが子宮筋腫や手術の話は、ほかにも悩まれている方の参考になるかもしれない、と思うのでいつか書きますね。

後日追記:このとき移植した卵は、残念ながら根付かず。その後も次に控える卵を戻そうとしたら排卵してしまってリセットしたり……まあ、不妊治療あるあるですね。

焦りつつゆっくりとですが、進んでいこうと思います。

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