ミニマリストにはなれないけれど。
はしもとゆうき
あえて田舎で暮らそうとか、地方へ移住しようと考える人のなかには、同時に「エコでエシカルでサスティナブルな」とか、「オフグリッドな」とか、あるいは「シンプルでミニマルな」といった暮らしを目指している方も、多くおありかと思う。(横文字の多さよ!)
御多分に漏れず、私にもそうした理想は、ある。憧れは中村好文さんの〈Lemm Hut〉。ソーラーパネルと風車で自家発電し、水は雨水を樽に貯めて濾過。ガスは引かず居間には暖炉、台所には七輪が据えてある。文明のライフラインを絶ったエネルギー自給自足の住まいは、しかしモダンで美しく、好文さんの美意識の詰まった過不足のない小屋を思うたび、いつもうっとりしてしまう。
では、実際の私の暮らしはどうか、というと、それはもう“うそっぱち”である。古民家暮らし……というと聞こえはいいのだけれど、古民家、めちゃタイヘン。あらゆる虫や小動物との戦いは日常茶飯事、何の手も打たずに2、3日家を空けようものなら、テーブルやら戸棚やらに、うっすらとカビの胞子が舞い積もっている。粉雪か。私は山ほどの靴や服を泣きながら捨て、とうとう24時間動き続ける除湿機を導入した。それも2台。おかげでカビとの戦いには終止符が打たれたが、電気代の明細を見ては、重〜い罪悪感でいっぱいになるのである。
それから、一人暮らしの割に大きな冷蔵庫も買った。日々いただくたくさんのおすそわけを食べきれず、食材をだめにしてしまうことがこれまた大いなる罪悪感で、「胃袋に見合わぬストレージ」と葛藤を抱えつつ設置した。「畑ができたらいいナ」と夢見た庭には雑草が生茂り、草刈機やら工具やら、田舎暮らしに必要な“特殊道具”だけが増えてゆく。チーン。
と、なんだか田舎暮らしへの憧れを打ち砕く現実をさらけ出してしまったが、見方を変えればこれは、「田舎にアウトソーシングは無い」ということなのかもしれない。“特殊道具”が多い=“買って済ませる”あらゆるモノゴトを“我が身でどうにかしている”ということ。我が家もほとんどDIYで改装したのだが、「丸鋸持っとらん?」ときけば、近所のおじちゃんの四次元納屋(と呼びたい物量と品揃え)から、丸鋸にさしがね、「ビスも使うてよかよ」と頼んだ以上の道具が出てくるし、「雨漏りがっ!」と助けを求めれば、やはり四次元納屋からブルーシートや使い古しのタオルなどが持ち込まれ、あっという間に応急処置。ミニマリスト的には“まず捨てるべし”に分類される、“いつか何かの役に立つかもしれないシリーズ”が、ちゃんと役立つ瞬間を見届けるのはなかなか気持ちがよく、もはや“役に立たせる”という気概すら感じる。ほしいものはつくる、あるものでなんとか工夫してみる。私が西海暮らしで愛おしいと感じる、(洗練されてなくとも)尊敬せざるを得ない生活力、たくましいクリエティビティだ。
と・は・い・え、できることならもう少し身軽に暮らしたいので、葛藤や妥協を抱えながらも私は私なりの生活の落としどころを探っていくのだろう。好文さんの〈Lemm Hut〉のごとき〈ユーキ・ハット〉は、いつの日か形になるのかしら。
はしもとゆうき
1988年長崎市生まれ。大学時代、NZへ短期留学したことを契機に、ローカリゼーションやまちづくり、コミュニティデザインなどに関心を持つ。2011年、(株)ながさきプレスに入社。タウン誌を通してまちづくりや地域の編集に取り組む。2018年、長崎県西海市へ移住。農林漁業体験民宿事業に取り組み、2020年より(一社)山と海の郷さいかいの代表理事も務める。