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未来からやってくる言葉

大村紫乃

「レトロニム」

それは、ある言葉の意味が進化・変化したりして、膨らみをもったときに元々の言葉との意味を区別するために再命名することで、直感的にその構造を理解することはなかなか難しい。

例えば「デスクトップPC」という言葉は、「パソコン」のレトロニムにあたる。当初、パソコンといえば箱型の大きなものしか存在しなかった。けれども1989年に東芝のDynabookが腿の上に置いて使える「ラップトップPC」として世に台頭すると、それまで「パソコン」と呼ばれていたものは、「デスクトップPC」と再定義・再命名されたのである。

レトロニムをふと見かけても、瞬時に「ああ、これは◯◯のレトロニムだ」と意識することはほぼほぼ無いに等しいが、言葉の成り立ちや家族関係を追っていると、途端に今まで通り過ぎてきた足元のレトロニムに気がついたりする。そして、それまで本座に座っていた言葉が、ある日を境に新しいラベルを貼られ、より小さな単位を統べる言葉へと転じ、大人しく居直るしおらしさや、一連の物語を内包する「レトロニム」という概念に侘びを感じたりもする。

少し話は逸れてしまったが、伝えたかったのはレトロニム情緒だけではない。
寧ろ、その「一度定義されたものの過去を変容させる力」にこそ、跳ねるような面白みを感じているのである。

「いやいや、他人と過去は変えられないとよく云うではないか」と思った方もおられようが、ここであえて思考・言葉遊びとしての「レトロニム」の活用法を提唱したい。決して過去から今に至る事実から成る未来の妥当性を否定している訳ではなく、あくまで言葉遊びを主軸に未来を感じ取ることが「体感的に面白い」のだ。

一般的には必要に駆られて生成されるレトロニムであるが、未来で今我々が日常的に使っている言葉 ー 例えば、「ローカル」のレトロニムを考えなければならなくなったとしたら?

今取り組んでいる物事の「レトロニム」を先に考えることで、現実の拡張性に気がついたり、気の利いたネーミングやキャッチーなフレーズが生まれることも多い。殊に、気の置けない仲間なんかとそれをすると、突如大喜利のようにアイデアが跳ね出す瞬間に遭遇したりする。

東洋思想に「時間は未来から過去に流れる」という、バックキャスト的時間解釈があるが、同様に、「言葉が未来からやってくる」ことがあってもよいのではなかろうか。


大村紫乃

北海道旭川市江丹別町在住のおんがくか。大自然での暮らしにインスピレーションを得て作曲活動を行う。主な作品に小樽市観光誘致PV「青の街」BGMなど。たまにローカル番組のナレーションも。

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